徒然、気分屋日記

自分による、自分のための、自分の日記

恐山

2017年05月21日 20時42分48秒 | 日記

朝、函館から青森にフェリーで入港

人生初のフェリーを体感しつつも1時間半であっという間に到着。

着いて早々、恐山へ向かうことに。

場所だけ調べて行ったので有名な霊山場としかの知識なく行ったが、
見ていくと色々考えてしまう場所だった。 本堂から逸れて恐山を巡って行くのだが、色んな場所に点々と仏像が祟られている



場所場所に賽銭箱があるのと名前の書かれた石が積み上げられ、
中には文字の書かれた手ぬぐいを縛り付けられているもの、わらじや風車が祀られている仏像も
仏像は大きなものから小さなもの、形も呼び名も一つ一つ別のもの

戦後と思われる仏像を見てからか、縛られた手ぬぐいは特攻部隊の鉢巻と連想してしまう

八角円堂には亡くなった人の衣服が飾られていて、胸の奥がぎゅっとなる

その前方には水子供養の仏像があり、風車が多く祀られていたことが感慨深い


色々な人の想いが集まる場所なんだろう



引き寄せられるように近づいた仏像の顔を見ると、涙を流しているような跡




仏像の目の前に置かれた石の箱のようなものが棺に見えて、
その棺の周りに名前の書かれた表札や石が並べられているのが一番印象深かった


行く先々のガスが噴き出している場所にお金が置かれていて、
それが酸化して青い滝のようにその一帯を青く染めている





その青さが時間の経過を物語っていて、たくさんの想いの流れを感じたような気がした


数々の仏像や地獄を抜けた先、地獄とは思えない透き通った景色が見える

後々、調べたら極楽浜だと知ったのだけれども、
たくさんの石があった場所から一転して石のない浜があるのは異様な光景に見えた


霊が降り立つ山 一体、その人たちからはどう見えているんだろうか



調べてみたら手ぬぐいはお盆近くに降りてきても暑さで不自由ないように縛られてあるそう

八角円堂は霊が降り立つ場所らしく、いつ降りてきてもいいように服一式が置かれているそうな

積み上げられている石は供養塔と呼ぶらしく、亡くなった人を供養するために積んでいくんだとか



父も小さい頃に恐山に行ったことがあるようで話を聞くと今とは違ったそう

昔は今よりも仏像が少なく、供養塔も山型ではなく塔状に無数積まれていて
その光景が異様で、本当に霊が降り立つ場所なんだと肌で感じたそうな

仏像をよくよく見てみたら最近出来たものあり、徐々に増えているそう

それだけたくさんの想いがあり、たくさんの人が会いたいと願っているのかな