「地図でめぐる神社とお寺」という雑誌に掲載されていた神社に興味を持ち訪れた
駐車場もなく狭い道路の僅かに膨らんでいるスペースに車を駐め、重要文化財の「神明社観音堂」を目指した
神明社
もとは八郎潟湖岸の観音尻にあったといわれ、江戸時代の元禄2年(1989)に現在地に移った
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/cf/1d458c6b01ad2407a9a36cf963c145ce.jpg)
石段を上がると更に鳥居。その奥に拝殿らしき建物が見える
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/89/1c8148e19b8f6d26be85ef2e583e0e5c.jpg)
「本殿」らしいが名称については観音堂以外は不明である
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/3a/26c79dee3cb71bfba3a6e22f3a9ce73e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/9a/8d773a17b6d64da874a8e6dc890b28c0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/d6/068936c7087ed16df274ee74beae3a26.jpg)
神明社観音堂(重要文化財)
創建は元禄2年5月。八郎潟沖合の水底より発見した千手観音を浜飯塚観音尻に堂社を設け祀ったことに始まる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/45/42f2a0cdaaceb83005adeda72430fb9f.jpg)
近づいて注視すると、見事な彫刻が随所に見られる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/96/4086f9e089e5db228d7336c73ed38620.jpg)
修復の際、シカの足を抱えた白ギツネのミイラが発見され、堂内に保存されている
屋根は入母屋造り。柿葺、唐破風の向拝付き一軒間
「享保19年改築」の棟札があり室町末期の建築様式をとどめている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/4c/e5b2b9b663de441717448a8f73371396.jpg)
背部に回って見る。年輪まできれいに揃え、実に見事に造られている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/b3/eb802ebf02caaed35dfbd84c03fb46ee.jpg)
境内にある石仏
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/da/5c5e4d24b37c3a9b258326e26cd5ce6d.jpg)
貞和年代の石板
貞和3年(北朝、光明帝)銘の自然石板碑 4基
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/4b/6a747189f078118b8ac68891e0f26c75.jpg)
板碑は石塔婆のことで、地位の高い人を弔う墓石か供養塔として建てられた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/67/6c2ab7604a31e595bb167f48989f62e5.jpg)
路上駐車をしていたことも忘れ、時計を見ると午後5時を過ぎ、長い一日が終わった
撮影 平成28年5月14日
駐車場もなく狭い道路の僅かに膨らんでいるスペースに車を駐め、重要文化財の「神明社観音堂」を目指した
神明社
もとは八郎潟湖岸の観音尻にあったといわれ、江戸時代の元禄2年(1989)に現在地に移った
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/cf/1d458c6b01ad2407a9a36cf963c145ce.jpg)
石段を上がると更に鳥居。その奥に拝殿らしき建物が見える
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/89/1c8148e19b8f6d26be85ef2e583e0e5c.jpg)
「本殿」らしいが名称については観音堂以外は不明である
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神明社観音堂(重要文化財)
創建は元禄2年5月。八郎潟沖合の水底より発見した千手観音を浜飯塚観音尻に堂社を設け祀ったことに始まる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/45/42f2a0cdaaceb83005adeda72430fb9f.jpg)
近づいて注視すると、見事な彫刻が随所に見られる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/96/4086f9e089e5db228d7336c73ed38620.jpg)
修復の際、シカの足を抱えた白ギツネのミイラが発見され、堂内に保存されている
屋根は入母屋造り。柿葺、唐破風の向拝付き一軒間
「享保19年改築」の棟札があり室町末期の建築様式をとどめている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/4c/e5b2b9b663de441717448a8f73371396.jpg)
背部に回って見る。年輪まできれいに揃え、実に見事に造られている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/b3/eb802ebf02caaed35dfbd84c03fb46ee.jpg)
境内にある石仏
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/da/5c5e4d24b37c3a9b258326e26cd5ce6d.jpg)
貞和年代の石板
貞和3年(北朝、光明帝)銘の自然石板碑 4基
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/4b/6a747189f078118b8ac68891e0f26c75.jpg)
板碑は石塔婆のことで、地位の高い人を弔う墓石か供養塔として建てられた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/67/6c2ab7604a31e595bb167f48989f62e5.jpg)
路上駐車をしていたことも忘れ、時計を見ると午後5時を過ぎ、長い一日が終わった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/c9/82f689e3fc090f29da0abb432df79bad.jpg)
撮影 平成28年5月14日
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