紅茶の一期一会

紅茶歴(だけは)10年以上の管理人が、
主に、購入した紅茶の感想を書いています。

感想:ベートーヴェン交響曲第5番「フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル」1947年盤

2010-05-30 18:02:07 | 音楽系
先日、たまたまタモリさんの某音楽番組を見ていたら、
「Angel Beats!」というアニメの主題歌「My Soul,Your Beats!」「Brave Song」が4位にランクインしていてびっくりいたしました。
(ちなみに当方、アニメの方は第3回まで見て途中放棄した。)

詳しい感想を言うとまた先日のけいおんの記事みたいになりそうなので、差し控えさせていただきます。
(冗談。ひどく書くほどではないけれど、感想が書けるほど引っかからなかったというのが正直なところ。綺麗な部分もあるのだけれど…なぜだろう。)


さて、クラシック関連の記事を連続投稿するのは初めてかもしれません。

先日、クレンペラーの演奏でベートーヴェンの交響曲第5番にはまってしまった…。
ということで、遠い昔挫折した「フルトヴェングラー・ベルリンフィル」盤(UCCG-3696)を取り出して聴いてみました。

 昔の自分は一体何を聴いていたのだろうか?

第1楽章の最初の動機の重々しさからすでに物凄い。
自分の中でベートーヴェン5番は、まさに「苦悩から歓喜へ」というテーマを非常に密度濃く体現した曲だと感じています。
そのドラマの中で、一人の人間が抱くさまざまかつ複雑な感情を、表現していくという感じですね。
(先日のクレンペラー先生のCDはその辺がすでに違ってしまっているような感じも受けますが…。)

自分は、今まで聴いてきた作曲家の中でエネルギーの放射量が最も多いのは、ベートーヴェンだと思っているのですが、
このフルトヴェングラー先生の5番はまさにそうした面を最大限に引き出した演奏だと思います。

この演奏では、急激に音程が上がっていく部分は上ずったような高い弦音、下がっていく部分は精神を抉り取るような低音を出している。
楽譜の音程は他の演奏と同じはずなのですが、最高音部がより高めに、最低音部がより低めに出ているように感じるのです。
音自身が、音階の上下を乗り越えようとしているようなそんな緊張感があるというか、音の落差が激しいといっても良いかもしれません。

それに加えてこの演奏は、テンポを大きく動かすのですね。
そうした表現が、いきなり奈落の底に突き落とされ、恐れおののく人間模様や、絶望の森を一歩一歩歩むような重さを感じさせます。
これほど感情の振れ幅の大きいダイナミズムを音化している演奏は、そうそうないのではないかと思います。

かと思えば、白い花が静かに花開くような繊細な表現もやってしまう(第2楽章など)。
フルトヴェングラー先生は素人耳からしても、本当に凄い指揮者だと感じざるを得ません…。


しかし、なにゆえ最初に聴いたときにピンと来なかったのか不思議で仕方がない…。
でも、クラシック音楽を聴いていると、こういうことがよくあるのです。
初めに聴いたときにはピンと来ないけれど、何年か経った後に聴き直すとすごく良く感じるという…不思議なものですね。

音楽を聴くという行為も、聴くときの感情に左右されて、よく感じたり、そう感じなかったりという事があるようです。
しかし、それだけでもないような気もします。
やはり、ある程度いろいろな演奏・曲を渉猟したりすると、曲の聴き方が分かってくるというような部分もあるかもしれません。

自分は熱心にクラシックを聴き始めて4年程ですけれど、買って聴いてみたのにピンと来ていない名盤が山ほどあります。
今日取り上げた5番もそうだった訳です。
以前ピンと来なかったものが、ある日を境に輝きだしてしまう。
そういった隠された宝箱を開けるような感覚も、クラシックを聴いていて楽しい部分だと思います。

ですから、巷で不朽の名盤と言われているものを聴いて、自分の中でピンと来ないなと思っても何も気に病むことはないと思います。
本当に自分に合わない演奏というものもあると思いますし…。

なので、もしクラシックを好きになりたいと思っている奇特な(爆)方がいらっしゃるのなら(そんな風に思う必要もないと思うのですが…)、
つかず離れずで、演奏者・指揮者を変えて聴いてみたり、あるいは他の曲などを聴いてみるなどしていると、いずれ良い出会いがあるのではないかなというのが実感です。

 何はともあれ、素晴らしい演奏でした。

リンク→「『ベートーヴェン:交響曲第5番』フルトヴェングラー指揮、ベルリン・フィル(1947年)」(Amazon)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。