グループサウンズ 真冬の帰り道 ザ・ランチャーズ
1967年11月25日発売
ザ・ランチャーズが加山雄三から独立してリリースしたデビューシングル。
作詞は水島哲、作曲は喜多嶋修
オリコンチャート23位
今は毎日GSばかりきいている毎日ですが「冬の散歩道」は当時きいた時と同じ感覚が未だに残っている。
新鮮で汚れのない名曲だ。
昔、この曲は駄目、耐えられないと思った曲も、今きいたら許せるものがある。
ブルーコメッツが後半に向かっていった時の、演歌調の曲だ。
作曲者の井上忠夫が亡くなってしまったことも、一因か。
井上忠夫は岡崎友紀さんのアルバム7の「イフ」「手袋を脱ぐ時」を作曲していて、友紀さんのアルバム収録曲では忘れられない名曲になりました。
彼の才能は群を抜いてましたねえ。
GSでは当時も今でも、私の中ではタイガースが一番好きです。
演奏に少し難があったり、隙もありますが、ヴォーカルが沢田研二(ジュリー)ですから。
何回きいても飽きがこない。
魅力のかたまりです。
ランチャーズはズーッと加山雄三のバックバンドだと思っていたのですが、違うんですね。
今はワイルド・ワンズがバックをやることが多いですが。
ワイルド・ワンズのメンバーは全員、癌を患って、克服したそうです。
これも凄い話です。
父も結局は癌が原因で死亡したようですが、年中むせていたので、肺に水が入ったか、はたまた心臓の血管がつまったか、はっきりしませんが老衰ということでしょう。
もう何も食べられなくなって、血便っぽいものも出ていたようですし…
気の強さは死ぬまであったようで、先生に「凄いね」と言われました。
要するに頑固者なのです。
お坊さんが決めた戒名には「徹」という言葉が入ってました。
そうです、その通りの人でした。
私たちは、死んでから涙も出ませんでした。
やっとこの世の苦しみから逃れたのだから、ホッとしているのは本人でしょうが。
1967年11月25日発売
ザ・ランチャーズが加山雄三から独立してリリースしたデビューシングル。
作詞は水島哲、作曲は喜多嶋修
オリコンチャート23位
今は毎日GSばかりきいている毎日ですが「冬の散歩道」は当時きいた時と同じ感覚が未だに残っている。
新鮮で汚れのない名曲だ。
昔、この曲は駄目、耐えられないと思った曲も、今きいたら許せるものがある。
ブルーコメッツが後半に向かっていった時の、演歌調の曲だ。
作曲者の井上忠夫が亡くなってしまったことも、一因か。
井上忠夫は岡崎友紀さんのアルバム7の「イフ」「手袋を脱ぐ時」を作曲していて、友紀さんのアルバム収録曲では忘れられない名曲になりました。
彼の才能は群を抜いてましたねえ。
GSでは当時も今でも、私の中ではタイガースが一番好きです。
演奏に少し難があったり、隙もありますが、ヴォーカルが沢田研二(ジュリー)ですから。
何回きいても飽きがこない。
魅力のかたまりです。
ランチャーズはズーッと加山雄三のバックバンドだと思っていたのですが、違うんですね。
今はワイルド・ワンズがバックをやることが多いですが。
ワイルド・ワンズのメンバーは全員、癌を患って、克服したそうです。
これも凄い話です。
父も結局は癌が原因で死亡したようですが、年中むせていたので、肺に水が入ったか、はたまた心臓の血管がつまったか、はっきりしませんが老衰ということでしょう。
もう何も食べられなくなって、血便っぽいものも出ていたようですし…
気の強さは死ぬまであったようで、先生に「凄いね」と言われました。
要するに頑固者なのです。
お坊さんが決めた戒名には「徹」という言葉が入ってました。
そうです、その通りの人でした。
私たちは、死んでから涙も出ませんでした。
やっとこの世の苦しみから逃れたのだから、ホッとしているのは本人でしょうが。
興味ないなあ、というか知りません。
この曲はフォーク・ソングに近いです。
カレッジ・フォークは私も大好きですから、波長が合うんでしょう。