after-studio (画と本のある空間)

経営する喫茶店の名前です。

店のHPはこちら→ http://www.samatsu.info/cafe/

教養

2013-01-31 19:59:42 | 人事・生活・世間
今日は、幾分暖かく過ごしやすい一日でしたね。
店の前の小さな小道の雪も、溶けて歩きやすくなりました。

昨日から古井由吉の作品を読んでおります。
芥川賞をとったという『杳子』を。
アンドレブルトンのナジャに似た展開ですが、ついつい引き込まれてしまっております。
お客様の途切れた時にフレーズ毎に読んでおりました。

お昼に少し混み、午後になってポツリポツリとお客様がお見えになり、その方々との会話がまた楽しくて・・・。
そんな午後を過ごしておりました。
夕方近く、男女別々にいらしたお客様と深い会話に至りまして、女性のお客様が 「教養とはなんと説明されますか」 と、私たちに質問されたのです。
私は、二人の会話を聞きながら、ふっとイエスキリストを思い浮かべてしまいました。
本来、聖書が好きで何年も読み続けております。
最近ではネットから聖書朗読を見つけ出し、寝る前や朝目が覚めた際にそれを聞いているのです。
そんなことからでしょうか、教養ある人物として迷うことなくイエスキリストが浮かんだのです。

彼は、どんな状況でも相手をよく観察していましたし、その相手に最もふさわしい話をしているのです。
それは、パリサイ人のようなイエスに挑戦的な人にも、彼らが反論できないような言葉を紡ぎ出すのです。
イエスは、人を深く愛し、その関心事を理解し、その人に最も相応しい話題が何かもよく捉えていたのです。
それこそが教養ではないかと思われたのでした。

人間として目指すべきお手本は、聖書に見る、イエスキリストかもしれませんね。

啐啄同時

2013-01-30 11:02:51 | 喫茶店「after-studio」案内
もう一月も末になりました。
時の過ぎゆくのは速いですね。
お店の窓から見える小さな道には、まだ溶けずに雪が残っております。

私がこのお店を引き継いで、9年目に入ろうとしております。
お店は店主が作るもの、でも、お客様によっても作り上げられていくものだと、つくづく感じる昨今です。
たくさんのお客様が通り過ぎてゆき、たくさんの新しいお客様をお迎えいたしました。
このお店と波長の合うお客様は、さらにこのお店の質を高めて下さり、いつの間にか随分充実した空間となりました。
引き継ぎ当初は、何をどうしたいのか自分でも何もつかめないままの営業でした。
家族に、「コンセプトは何?」と聞かれ、答えられなかったことを思い出します。
結局自分の好きなものでまとめ、それが功を奏したのか気に入ってくださる方が増え、自分でも大変居心地のよい空間となっております。

これから出会うお客様によっても、更にお店の充実度が増して行くのでしょう。
最近お見えになってくださるお客様に「啐啄同時」という言葉を教えていただきました。
”啐”は鶏の卵がかえる時、からの中で雛がつつく音、”啄”は母鶏が殻を外からつつき破ること。
禅宗で、師家と弟子とのはたらきが合致することだそうです。
うちのお店に関して言うならば、私が弟子で、お客様が師家といったところでしょうか。

これからも啐啄同時、お客様の”啄”に素直に応え更なる孵化をして参りたく存じます。
宜しくお願いいたします。


逃れられない数字

2013-01-15 14:36:20 | 人事・生活・世間
昨日、今日と冬本番ですね。
南からいらして、仙台初めての冬をお過ごしの方にっとって、仙台イコール北国、雪国、のイメージを持ってしまわれたかもしれませんね。
実は、仙台はあまり雪の多い街ではなく、年に数回このような雪が降る程度なのですよ。
昨日は道路を走る車もゆっくりでしたが、一日過ぎると慣れるのか、今朝はいつものスピードで道路を車が流れておりました。

今朝、朝一でJR病院まで行ってまいりました。
簡単な検査のためだったのですが、仕事に支障がないようにと朝一番にしていただいたのです。
JR病院は初めてだったものですから、診察券をつくるところから始まります。
必要事項を書いていて、生涯逃れられない数字というものがあるのだわ、と思わず感じ入ってしまいました。
なんのことやら、と思われるかもしれませんね。
名前は結婚をすると変わりますし、住所も引越しをすれば変わりますね。
また、電話番号も・・・。
ところが生年月日だけは変えようがなく、自分を証明しなければならない書類には決まって書き込まなければならない数字です。
勿論ソラで覚えているのですが 「この数字から解放されたいなあ」 と思うことってないのかしら、とふと考えたのです。
変な話だと思われるでしょうが、どうしてか、今朝、そんなことを真剣に考えてしまいました。
自分の誕生日を気に入っていない、というのが根底あるのかもしれません。
子供の頃から 「誕生日は?」 と聞かれてひと呼吸置かずに答えられたことはなかったのです。
母の話によりますと、私は夜中の10時頃に誕生したのだそうです。
ならば、あと一日届けを送らせてくれたならば、と幾度思ったかしれません。
しかし、これも母の話によりますと、祖母が女の子は一日でも若い方が良いという事で、なんと、4月1日誕生という登録をされてしまったのです。
この数字が一生ついて回るのです。
最近はそれほど気にしなくなっていたのですが、久しぶりに書き込み書類に直面し、今朝はなぜか不思議に逃れられない数字に思いを馳せてしまいました。

2013年、平成25年、皆様にとって素敵な数字となりますように!