今日は、幾分暖かく過ごしやすい一日でしたね。
店の前の小さな小道の雪も、溶けて歩きやすくなりました。
昨日から古井由吉の作品を読んでおります。
芥川賞をとったという『杳子』を。
アンドレブルトンのナジャに似た展開ですが、ついつい引き込まれてしまっております。
お客様の途切れた時にフレーズ毎に読んでおりました。
お昼に少し混み、午後になってポツリポツリとお客様がお見えになり、その方々との会話がまた楽しくて・・・。
そんな午後を過ごしておりました。
夕方近く、男女別々にいらしたお客様と深い会話に至りまして、女性のお客様が 「教養とはなんと説明されますか」 と、私たちに質問されたのです。
私は、二人の会話を聞きながら、ふっとイエスキリストを思い浮かべてしまいました。
本来、聖書が好きで何年も読み続けております。
最近ではネットから聖書朗読を見つけ出し、寝る前や朝目が覚めた際にそれを聞いているのです。
そんなことからでしょうか、教養ある人物として迷うことなくイエスキリストが浮かんだのです。
彼は、どんな状況でも相手をよく観察していましたし、その相手に最もふさわしい話をしているのです。
それは、パリサイ人のようなイエスに挑戦的な人にも、彼らが反論できないような言葉を紡ぎ出すのです。
イエスは、人を深く愛し、その関心事を理解し、その人に最も相応しい話題が何かもよく捉えていたのです。
それこそが教養ではないかと思われたのでした。
人間として目指すべきお手本は、聖書に見る、イエスキリストかもしれませんね。
店の前の小さな小道の雪も、溶けて歩きやすくなりました。
昨日から古井由吉の作品を読んでおります。
芥川賞をとったという『杳子』を。
アンドレブルトンのナジャに似た展開ですが、ついつい引き込まれてしまっております。
お客様の途切れた時にフレーズ毎に読んでおりました。
お昼に少し混み、午後になってポツリポツリとお客様がお見えになり、その方々との会話がまた楽しくて・・・。
そんな午後を過ごしておりました。
夕方近く、男女別々にいらしたお客様と深い会話に至りまして、女性のお客様が 「教養とはなんと説明されますか」 と、私たちに質問されたのです。
私は、二人の会話を聞きながら、ふっとイエスキリストを思い浮かべてしまいました。
本来、聖書が好きで何年も読み続けております。
最近ではネットから聖書朗読を見つけ出し、寝る前や朝目が覚めた際にそれを聞いているのです。
そんなことからでしょうか、教養ある人物として迷うことなくイエスキリストが浮かんだのです。
彼は、どんな状況でも相手をよく観察していましたし、その相手に最もふさわしい話をしているのです。
それは、パリサイ人のようなイエスに挑戦的な人にも、彼らが反論できないような言葉を紡ぎ出すのです。
イエスは、人を深く愛し、その関心事を理解し、その人に最も相応しい話題が何かもよく捉えていたのです。
それこそが教養ではないかと思われたのでした。
人間として目指すべきお手本は、聖書に見る、イエスキリストかもしれませんね。