after-studio (画と本のある空間)

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山田わか女史

2016-09-29 18:01:21 | 記録

いつの時代も「人生相談」は雑誌や新聞の一つになっております。
こんな相談が皆様に向けられたならどうこたえられるでしょう。

それは昭和初期の話です。
母親と暮らす婚約者のいる女性の家にある日強盗が入ります。
その強盗は物をとるだけではなく、その女性を強姦してしまうのです。
彼女は母親に相談し婚約者にその事を打ち明けることにしました。
婚約者は事故だと思いましょう、と励ましてくれます。
ところが、彼女は妊娠してしまったのです。
さてどうしたものか、婚約者に打ち明けるべきか、隠したまま堕胎すべきか。

その相談は、朝日新聞の「女性相談」欄に載ったものでした。
回答者は山田わかという評論家であり女性解放運動家です。
彼女はどう答えたでしょう。
きっぱりと
「産んで育てよ」
と答えたそうです。

この山田わかという女性は、後に母子寮や保育園を設立し、また売春婦の更生保護施設「幡ヶ谷女子学園」を設立した人です。
子供を抱え夫を戦争で亡くしたり、訳あって母子家庭になった女性たちの生きやすい環境を整えて行った女性です。
個という物の見方ではなく、人類という視点で様々な問題を見て来た人でした。
人類という視点で見るなら、身ごもった子供は産むという結論は迷いなく出てくるのでしょう。
勿論、女性問題に思想だけではなく行動で取り組んだ方ですから、実のある運動家といえるでしょう。

その山田わか女史は若かりし頃、シアトルのキングストリートのアロハハウスで白人相手の娼婦、あめゆきさんの一人だったのです。
源氏名は「アラビヤお八重」
数年間辛酸をなめ、何とかそこを抜け出して勉学に目覚めた女性でした。
彼女の向学心は当時アメリカで社会学者として活躍をしていた山田嘉吉氏の目にとまり、とことん教えたいと思った嘉吉氏は彼女を妻に迎えるのです。

日本に帰り、アメリカでの事は伏せて夫の活動を支え、自らも女性解放運動家として活躍します。
辛酸をなめた彼女だからこそ、相談員として酸いも甘いも噛み分けた回答をすることが出来、多くの読者が惹きつけられたそうです。

山崎朋子の「あめゆきさんの歌」は山田わか女史を書いたものです。
それを読んで大きく心を掴まれ、彼女の著作があるなら是非読んでみたいと思いました。
女史の著「恋愛の社会的意義」を読み、一層物事の見方で世界が大きく違ってくるということを学ばされた一冊となりました。
本によって本に出会う。
楽しい読書体験でした。

秋の夜長、皆様はどんな本に出会っていらっしゃるのでしょうね。