弟が知事選!?

県知事選に出馬する候補者の兄の日記

いきさつ(2)そして感謝

2004-10-23 22:05:57 | Weblog
 今日選挙事務所のリース品撤収しました。最初と同じがらんとした何もない事務所になりました。この「無」からすべては始まったんですよね。
けっして最初から素人選挙をやろうと思っていたわけではありません。東京の支援グループから押されたとはいえ選挙をする場所は新潟です。イメージは四輪駆動の自動車で、前輪は新潟で実質選挙運動をするメンバー、後輪は後方支援する東京のグループって感じで。ですからまずは新潟で選挙を仕切れる人を捜しました。選挙経験者から人を紹介してもらったりといろんな方を紹介していただきお会いしました。しかしこちらは素人なので誰にどのような形でアプローチして良いものやら・・・。こちらの体制が整ったら後方支援をするよと言った人に巡りあっても、選対をまかないますといった人に巡り会わなく、時間だけが過ぎてしましました。相談に乗ってもらってた新潟の人々は、早く正式に記者会見をした方がいいとアドバイスをくれます。たしかに正式な記者会見をしない限りこちらの事は表面化せず、支援同感してくれる人にも巡り会いませんから。落下傘の人間の選挙を面倒見ると言うことはほんとうに大変なことで、そう易々請け負ってくれる人はいないのが現実でした。孤軍奮闘をヒシヒシと感じ始めました。東京の支援グループのメンバーである朝日新聞もと論説主幹田中豊蔵氏や朝日新聞もと田中派番記者井田敏夫氏からは「現状をしっかり把握し今までのこと、将来のことすべて考慮してこれからの事を自分で決めなさい」といったアドバイスが最終的にあり、本人は熟慮の末、現状での出馬に踏み切りました。紛れもなく地盤看板カバンは無く有るのは「志」のみ、といった状況でした。どんな状況であっても高き「志」のみが弟の行動の原動力であり、そしてそれが進むべき大義だったのです。
メインメンバーは本人も入れて3人の選対です。私は選挙の「せ」の字も知りませんでしたから、選対本部長や事務長などといった立場になるとは考えてませんでした、身内でもありますし。そしていつでもそういった人が関われるよう私は「世話人」といった肩書きで通させてもらいました。選対でコメントする人間が「世話人」というのも非力丸出しでしたが、現実そうだったのです。
告知前から手伝ってくれたボランティアの同級生さんや告知後ずっと来てくれた同級生の妹さん、ほんとうに助かりました、ありがとう。沢山の方のお力を借りながら、非力というのも何ですが、そんなこんなで素人選対スタートしたのでした。
途方に暮れながらマップ作りをした、12000枚のポスター貼りも98%以上貼ることができました、沢山の人の協力が有ってのことです。本人も敗戦の弁で「選挙は一人でやるものじゃあなく、沢山の人とやるもの。その事を痛感し、そしてその沢山の人にたった一つ報えることは、<当選>する事。志同じくして共に運動してくれる沢山の人々に恵まれるよう行動し次を目指し、そしてその人々に報えるよう必ずや<当選>する」と誓っておりました。けっして大勢とはいえませんでしたが、しかしとても大きな力になってくれた、支援者お手伝いしてくれた皆さん、ほんと感謝しています、そして必ずや必ずや今回のこと報われる時が来るでしょう。
異次元の世界にいたようなこの二月あまり、疲れもピークでしたが過ぎてしまえば沢山の事が得られた貴重な期間でした。いま又以前の世界に舞い戻りあくせくと仕事をやっていますが、少し自分の中でも意識改革があったように感じます。鼓舞新潟!鼓舞伊藤!今はそんな思いです。

いきさつ(2)そして感謝

2004-10-23 21:55:15 | Weblog
 今日選挙事務所のリース品撤収しました。最初と同じがらんとした何もない事務所になりました。この「無」からすべては始まったんですよね。
けっして最初から素人選挙をやろうと思っていたわけではありません。東京の支援グループから押されたとはいえ選挙をする場所は新潟です。イメージは四輪駆動の自動車で、前輪は新潟で実質選挙運動をするメンバー、後輪は後方支援する東京のグループって感じで。ですからまずは新潟で選挙を仕切れる人を捜しました。選挙経験者から人を紹介してもらったりといろんな方を紹介していただきお会いしました。しかしこちらは素人なので誰にどのような形でアプローチして良いものやら・・・。こちらの体制が整ったら後方支援をするよと言った人に巡りあっても、選対をまかないますといった人に巡り会わなく、時間だけが過ぎてしましました。相談に乗ってもらってた新潟の人々は、早く正式に記者会見をした方がいいとアドバイスをくれます。たしかに正式な記者会見をしない限りこちらの事は表面化せず、支援同感してくれる人にも巡り会いませんから。落下傘の人間の選挙を面倒見ると言うことはほんとうに大変なことで、そう易々請け負ってくれる人はいないのが現実でした。孤軍奮闘をヒシヒシと感じ始めました。東京の支援グループのメンバーである朝日新聞もと論説主幹田中豊蔵氏や朝日新聞もと田中派番記者井田敏夫氏からは「現状をしっかり把握し今までのこと、将来のことすべて考慮してこれからの事を自分で決めなさい」といったアドバイスが最終的にあり、本人は熟慮の末、現状での出馬に踏み切りました。紛れもなく地盤看板カバンは無く有るのは「志」のみ、といった状況でした。どんな状況であっても高き「志」のみが弟の行動の原動力であり、そしてそれが進むべき大義だったのです。
メインメンバーは本人も入れて3人の選対です。私は選挙の「せ」の字も知りませんでしたから、選対本部長や事務長などといった立場になるとは考えてませんでした、身内でもありますし。そしていつでもそういった人が関われるよう私は「世話人」といった肩書きで通させてもらいました。選対でコメントする人間が「世話人」というのも非力丸出しでしたが、現実そうだったのです。
告知前から手伝ってくれたボランティアの同級生さんや告知後ずっと来てくれた同級生の妹さん、ほんとうに助かりました、ありがとう。沢山の方のお力を借りながら、非力というのも何ですが、そんなこんなで素人選対スタートしたのでした。
途方に暮れながらマップ作りをした、12000枚のポスター貼りも98%以上貼ることができました、沢山の人の協力が有ってのことです。本人も敗戦の弁で「選挙は一人でやるものじゃあなく、沢山の人とやるもの。その事を痛感し、そしてその沢山の人にたった一つ報えることは、<当選>する事。志同じくして共に運動してくれる沢山の人々に恵まれるよう行動し次を目指し、そしてその人々に報えるよう必ずや<当選>する」と誓っておりました。けっして大勢とはいえませんでしたが、しかしとても大きな力になってくれた、支援者お手伝いしてくれた皆さん、ほんと感謝しています、そして必ずや必ずや今回のこと報われる時が来るでしょう。
異次元の世界にいたようなこの二月あまり、疲れもピークでしたが過ぎてしまえば沢山の事が得られた貴重な期間でした。いま又以前の世界に舞い戻りあくせくと仕事をやっていますが、少し自分の中でも意識改革があったように感じます。鼓舞新潟!鼓舞伊藤!今はそんな思いです。

いきさつ(1)

2004-10-19 23:24:29 | Weblog
 事務所の整理もかなり済み、弟はいったん東京へ帰り週末に戻るスケジュールです。ご支援を頂いた方々に挨拶の電話を入れてましたが、沢山の方から「これで終わるな、次があるぞ」って励ましを頂いてたようです。いずれにせよ新潟にスタンスを移して勉強会・集会・タウンミーティングなどで支持者を増やし、後援会などの個人組織を作っていかなければならないのでしょうね。
 しかし皆から時間が無さ過ぎたとのご意見を頂きました。現実的にそうでした。しかし当選した泉田氏との時間の差はそんなに無かったと思います。時間はなくても、一方は党の御輿に乗って、一方は何の支持団体も無いというところでの差でしたね。記者会見後に面談したある商工会議所の方の話によると、8月頃に、新潟県知事を考える会(という名だったと思いますが)の候補書の候補者リストに伊藤雄二の名前も挙がっていて、かなり面白い経歴の持ち主で話としては上がっていたらしいのです。その頃には本人も東京では出馬の意志を固めていたわけで、その履歴書が押してくれているグループの誰かを通じて地元の考える会に送られていたようなのです。そんなこと本人は知らずお盆頃に地元の親族に意思表明をしていたわけですが。結局考える会としてもその後自薦他薦共に動きが無いということで、選考のテーブルに上がらなかったようです。考える会の推薦、決定手段の善し悪しは別として、テーブルに上がっていれば早くからマスコミにも名が上がり、支援するグループも生まれたかも知れません。ほんとうにちょっとしたことでの違いだったのです。その後は出馬意思表示をするものの、東京から落下傘状態の民間それもベンチャー系企業の社長ということで、マスコミ的には知事選出馬が本気なのか、売名行為ではないのかといった疑念の元でマスコミに登場しないまま時間ばかりが過ぎていた状況でした。とにかく正式に記者会見をしたら公表するっていう感じだったみたいです。
続きはまた。

投票結果

2004-10-18 21:53:21 | Weblog
 投票結果がでました。結果は厳粛に受け止めなければなりません。組織が無い一個人が全県で4万票という得票をしました。何もない一人の個人が数ヶ月でビックスワンをいっぱいにしたのです。記者会見から告示日までは候補とフィアンセと私の3人で全てやってきました。告示後はボランティアのスタッフが来てれくれて少しは楽になりましたが、候補とフィアンセは街宣カーで出かけますので私は事務所から離れられません。毎日がスケジュール管理調整とマスコミ対応で終わってしまう日々でした。そんな弱小な選対が全国組織の党得票数とほぼ五分の得票ですので、検討したと言えるでしょう。しかし候補的には、投票数全体の4%あまりの票はけっして満足いくものではないと思ってると思います。今回の事で反省するところは反省し、次につなげることでしょう。必ずや次は勝つ、選挙は勝たなければならないという事も身に染みた経験でした。残務整理や挨拶連絡で今日も一日アッという間に過ぎました。仕事もしなければ。あと少しこの事務所を閉鎖するまでこの日記続けます。

投票前夜

2004-10-18 16:43:59 | Weblog
 長くて短い選挙戦とうとう終わりました。夕方の昭和大橋での手振り挨拶運動には家族・同級生・スタッフ・ポスター貼りを手伝ってくれたボランティアの方々・事情で陰ながら精一杯の応援をしてくれてた友達等々、最後に集まってくれてありがたかったです、嬉しかったです。しがらみで表だっては応援しずらかった同級生、一番働き盛りの年代で仕事の責任を任され離れられない友人達、子供達に手が掛かるお母さん世代になった同級生、昭和大橋には来れなかったけど、電話やメールで最後の激励もらいました。候補にとって姿は見えぬども大きな支援を感じていたはずです。やっぱ友達、幼なじみ、仲間ですからね。
その後私は最後のポスター貼りに出かけました。最後の最後までポスター貼りです。12000カ所ある内、11800以上は貼ることになりますから98%あまりをボランティアで貼ることになります。ほんとよくやったなあと思っています。しかし全96市町村全て貼りましたが一部残っているところも現実あります。その投票区の有権者さんにはほんと申し訳ないと思います。いくら組織がないといえ本来許せないことです。これは反省しなければなりません。とにかく投票日まで17日の午前0時まで頑張ります。
(帰ってきてからの投稿です)

ラストトゥーデーズ

2004-10-15 23:49:56 | Weblog
 こんなに弟と一緒にいたのはどれくらいぶりだろう。そりゃあそうですよね学生時代は、盆正月に帰っても両方とも遊び盛り、お盆、年夜の晩くらいしか顔を合わすことがなかったように思います。お互い忙しく生きてきたのでその後二十数年間で一緒に過ごした時間というのは数えるほど。今回の知事選出馬の話を聞いたのが7月上旬で、8月のお盆以降ほとんど一緒に過ごしている訳ですから、子供の頃以来でしょうこんなに一緒にいるのは。一緒に居て思うことは高校卒業以降、お互いいろんな人生を歩み今にいたっているなあ、ということです。最初知事選出馬を聞いたときには「何を寝ぼけた事言っているのか」と思ったものでしたが、今まで一緒にいて、中央の新聞社元論説主幹の方が背中を押したことが理解できるようになりました。告示後は毎日のように新聞社、各種団体からの質問アンケートが満載で、つまり政治的な回答をしなければならないのですが、それを精力的に回答していました。あまりの時間のなさに締め切りギリギリで街宣途中に事務所で執筆していたこともありました。他陣営は沢山の政策ブレーンに囲まれてともすると丸投げしている状況と聞いてますが、候補は全て自分の手により回答していました。もちろんブレーンはいますが、だいたい回答は夜中の執筆でしたからねえ。政治家の姿がかいま見れたものです。政治に関する考えはもとより、人生に関しての考え方も曹洞宗の修行や民間企業の厳しさの中から自分なりのものを掴んでいったようです。新潟を地盤に長く生活してきた私と考え方の相違点も無きにしも非ずですが、間違いなく多くの新潟人が持ってないものを彼は持っています。それはハングリーさと諦めないところでしょうか。新潟県民性は自給率が高いのでハングリー精神が薄く、またおおような性格でのんびりしています。良いところでもありますが、がんばり時には物足りなさも感じるでしょう。そんな人間と二月も一緒にいるんですからこちらも奮い立たせられますは、鼓舞!鼓舞!鼓舞!って感じで。
 さて明日は泣いても笑っても最終日。昭和大橋での候補者と家族・スタッフ・ポスター貼りをしてくれたボランティアのみんな・全員参加で手振り挨拶運動をします。もちろん飛び入り参加大歓迎です。私はその後残りのポスターを貼りに出かけます(まだあるんですよね・・・)。

ラストスリーデーズ

2004-10-15 00:59:53 | Weblog
 最終日のプランが決まりました。あちこちで「走る候補伊藤ゆうじ」が知れ渡ってきましたので、最終日候補は走って走って走りまくります。長岡、三条、亀田、そして新潟市。まさしくマラソン状態。若さとエネルギッシュは候補の十八番ですから。長岡は駅から大手通りを、三条は市役所スタートでジャスコ体育会館経由市役所戻り、亀田は駅から役場経由アピタ。新潟は駅から万代古町経由知事公舎、護国神社わき海岸通りマリンピア学校町市役所、ビックスワンから新潟駅南口。選挙最終日にこんなに走る人はかつて無かったでしょうね。とにかくすごいことになりそうです。

街頭演説もいよいよ終盤にさしかかる

2004-10-14 00:14:57 | Weblog
 世論調査は厳粛に受け止めなくてはなりません。ただ、まだ半数近い人が決めかねているのが現状なようですが・・・。行くところ行くところ候補への反応は良いのですが、やはり幅広く接しているわけじゃあないので、まだまだ偏りがあるようです。まずは全県の市町村にご挨拶回りをしなければなりません。山間部などでは「やっと来たか!」って感じで歓迎を受けているようですが。それと大都市とをバランスよくまわらなければ。やはり県知事は県の隅々のことを知ってなければ務められませんからね。広い新潟、各地の抱える問題も様々ですしねえ。
組織がないので組織票というのがありません。ですから票読みというのもなかなかできませんが、圧倒的に若者からの支持が多いようです。ただそれがどう票にむすびつくかも解らない状況ですが。
昨日は新潟市役所前の街頭演説、今日は長岡市役所前の街頭演説。そして明日は県庁での街頭演説です。候補は明日のメッセージに備えて現在座禅中です。明日のメッセージが選挙戦で訴えるメッセージの中でも特に重要なようですからねえ。

下田村のだるま

2004-10-12 23:12:05 | Weblog
 内海桂子師匠の応援をいただきました、いや師匠的には応援じゃなく激励のようでしたが。師匠は地球子供倶楽部のメンバーでもあり、御主人が亀田出身ということで、東京では懇意にさせていただいてるようです。朝早くから魚市場で挨拶行脚、本町市場・万代シティーでの街頭演説、師匠から候補へ宛てた都々逸なんかを披露したようです。「伊藤君、年寄りをいたわるばかりが政治じゃないよ、生かして使えよおいの知恵」。さすがに芸人、さらっと思いついて都々逸作っちゃいました。そして少子高齢化問題を政策に取り上げている候補にちょっとしたアドバイスを。年の功ですね、82才だそうですがとてもそうは見えません。それも自分は生かし使われているからだと公言していました。年を取って隠居で悠々自適じゃなく年を取ってからこそ我が身を公に捧げる。桂子師匠伊達に年とってる訳じゃあないです。
その後下田・栃尾と街宣に出かけましたが、相変わらずおばさんと中学生に絶大な人気のようでした。

連休最後

2004-10-11 22:17:03 | Weblog
 残り一週間切りました。中日の三連休は各陣営にとっても大事な日です。最終日の今日は新潟を中心とした運動でしたが、スケジュールミスもあったりして、完璧という感じじゃあ無かったです。まあ~逆に残りの戦略に関しての励みになりましたけど。さてあと5日、ポスター、はがき、スケジュール管理、電話作戦、etc・・・ありとあらゆる事をめいっぱいやらなくてはなりません。まだまだこれからです。50%の人がまだ支持者を確定していません。最後の最後まで気はゆるめられませんね。