永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(176)

2008年09月30日 | Weblog
9/30  176回

【薄雲(うすくも)の巻】  その(15)

 秋の雨が静かに降り、お庭の花々がうつむいて咲いている風情に、源氏はかつての六条御息所のことをなつかしく思い出され、涙で袖をぬらしつつ、斎宮の女御のお住いに向われます。

「こまやかなる鈍色の御直衣姿にて、数珠ひき隠して、御様よくもてなし給へる、つきせずなまめかしき御有様にて、御簾の内に入り給ひぬ。御几帳ばかりを隔てて、自ら聞え給ふ」
――濃い墨色の御直衣姿(叔父の式部卿の宮の喪も加えられて、墨色に)で、数珠をひき隠して、目立たないように振る舞われますのが、かぎりなくなまめかしい御様子で、御簾の内にお入りになります。女御は几帳を仲立ちとして、ご自身で応答なさいます――

 植え込んだ花も咲きそろいまして…などと、柱に寄りかかって話される源氏のお姿は、夕日に映えて大層お美しい。女御も野々宮での母君を思い出されて、少しお泣きになっていらっしゃるご様子です。

 源氏は
「いとらうたげにて、うち身じろぎ給ふ程も、あさましくやはらかに、なまめきておはすべかめる、見奉らぬこそ口惜しけれ、と胸のうちつぶるるぞ、うたてあるや。」
――大層お美しげで、かすかに身じろぎなさる衣擦れの気配も柔らかく、なまめかしくお見えになります。それにしても、いまだに女御のお姿をはっきりとお見上げ出来ないとは口惜しいと、胸がどきどきなさるとは、困ったことですよ――

 源氏は長々と続いておっしゃいます。
以前、それほど悩むこともなくて済む筈でした頃でも、やはり色めいた事には性分で苦労が絶えませんでした。無理な恋をして気の毒な思いをした中で、最後まで和解せず胸の晴れぬままに終わってしまったことが二つあります。

「先づ一つは、この過ぎ給ひにし御事よ。(……)」
――その一つが、亡くなられた母君のことですよ。(私をあきれるばかりに恨んで亡くなられたのが、永劫の悲しみの種でしたが、こうしてあなたを親しくお世話もし、また親しく思っていただくのを、せめてもの慰めに思ってみるのですが)――
とて、
「今一つは宣ひさしつ」
――もう一つについては、お口をつぐんで、おっしゃいませんでした。――

ではまた。


源氏物語を読んできて(175)

2008年09月29日 | Weblog
9/29  175回

【薄雲(うすくも)の巻】  その(14)

 源氏は、
「世の中の御後見し給ふべき人なし、(……)何事もゆづりてむ、さて後に、ともかくも静かなるさまに、とぞ思しける。」
――そうなっては、太政大臣として帝を補佐なさる人がいない。(権中納言―葵の上の兄で、元の頭中将―が、昇進したなら)政務一切をまかせて、そうして後は、とにもかくにも気楽な身になろう、と、お思いになります。――

 そう思い巡らしつつ、帝が、あのことをご存知の上で、お悩みになっていらっしゃるのであろうか。もしそうであれば、畏れ多く、一体誰が、このようなことを…と訝しくお思いになります。そして王命婦に対面しようと。

 この王命婦は、(かつては、藤壺に仕えていた)今は御櫛笥殿の別当が変わられた後に移って、局を頂いてお仕えしております。
源氏は、
「『この事を、もし物のついでに、露ばかりにても漏らし奏し給ふ事やありし』と案内し給へど」
――「この秘密を、もしや何かのついでに、ちょっとでも故宮(藤壺の宮)が帝にお洩らし申されたことがありますか」とおたづねになりますと――

命婦は、
「『更に、かけても聞し召さむことを、いみじき事に思し召して、かつは罪うることにや、と、上の御為をなほお思し召し嘆きたりし』と聞ゆるも」
――「帝がちょっとでもご存知になりますことを、故宮は全く大変な事にお思いになりまして、又一方では、ご存知なくては罪障深いことになりはしないかと、帝のことをお考えになっては、嘆いておられました」と申し上げますと――

 源氏は藤壺の思慮深さに、懐かしくも悲しく思い出されて、限りなく恋しく思うのでした。

さて、
 斎宮の女御(梅壺女御)は、源氏がお思いになっておられたとおり、帝の良いお世話役を果たされ、ご寵愛も格別で、源氏も今では本当の親のように丁重にお扱いになっておられます。
その斎宮の女御が、秋になって二条院へ一時の里下がりをされています。

◆里下がり=宮中は穢を嫌いますので、例えば、病気、生理などの時は実家に戻ります。そのことを里下がりといいます。これは女性はみな。

ではまた。
 

源氏物語を読んできて(174)

2008年09月28日 | Weblog
9/28  174回

【薄雲(うすくも)の巻】  その(13)

 帝は、しみじみとしたお話のついでに、譲位をほのめかされますので、源氏は思いもよらぬことと、お諫めになります。帝がいつもより畏まったご様子で、遠慮がちにお話になりますのを、源氏は不思議に思いながら、こうまではっきりと秘密をお耳にされたとは、お思いになりません。

上様のお悩み、
「上は、王命婦にくはしきこと問はまほしう思し召せど、今更に、……」
――冷泉帝は、王命婦に詳しいことを聞きたいと思われますが、故宮がそれほど秘しておられたことを、自分が知ったと今更王命婦に思われたくない――

「ただ大臣にいかでほのめかし問ひ聞えて、前ざきかかる事の例はありけりや、と、問ひ聞かむ、とぞ思せど……」
――源氏の大臣にそれとなくお尋ねして、過去にもこのようなことがあったでしょうか、と、聞いてみようとお思いになりますが、そのような機会もなく――

「さまざまの書どもをご覧ずるに、唐土には、あらはれても忍びても、乱りがはしき事いと多かりけり。日本には、さらにご覧じ得るところなし」
――さまざまな和漢の書をご覧になりますと、唐土(もろこし)では、公然でも、秘密裡にも、君主の血統の正しくないことが、大層多いのでした。日本には、そのような例は絶対にお見出しになることはありませんでした。――

さらに、帝は
 臣籍に下った人が、納言や大臣になった後に、また親王に復帰して、皇位にお着きになった例は、今までもあることだ。源氏の人柄の賢明でいらっしゃるのを理由にして、譲位しようか。などとあれこれ思い巡らしておいでです。

 秋の司召しに、帝は源氏の大臣に、またご譲位のことをお洩らしなさいます。源氏は、恥ずかしく恐ろしい気がなさって、絶対にさようなことは、あるべきでないとご辞退されます。太政大臣もお受けにならず、元の位のままに、ただ位階だけが昇進して、

「牛車ゆるされて参りまかでし給ふを、帝飽かずかたじけなきものに思ひ聞え給ひて、なほ親王になり給ふべきよしを宣はすれど」
――牛車のまま宮門の出入り(参内しまたは退出されるのをすること)をゆるされますが、冷泉帝は、なおも気が引けて申し訳なく、親王になられるようにと、おっしゃいます。――

ではまた。


源氏物語を読んできて(173)

2008年09月27日 | Weblog
9/27  173回

【薄雲(うすくも)の巻】  その(12)

 僧都は、申し上げましたことが、怪しからぬと思し召してのことかと、肩をすぼめて退出しかかりますと、お呼び止めになって、
「心に知らで過ぎなましかば、後の世までの咎めあるべかりける事を、今まで忍び籠められたりけるをなむ、かへりてうしろめたき心なりと思ひぬる。(……)」
――こうした重大事を知らずに過ぎてしまったなら、死後までも罪になるはずのものを、今まで隠しておかれたことが、かえって恨めしく思えたのです。(他にこの事情を知っていて、世に洩らすような者がいましょうか)――

「さらに、なにがしと王命婦とより外の人、この事の気色見たる侍らず。……」
――私と王命婦の他には、この事情を知るものはおりません。(ですから、ひどく恐ろしいのです。このところの天変の異常、疫病の流行はこの為でしょう。上様が次第にご成長なされますに至りまして、天がその咎を示すのでござりまする。すべてのことは、御親の御時から始ったことで、上様には何の咎ともご存知遊ばさないのが恐ろしく、一旦は口外すまいと決心仕りましたことを、今更申し上げました次第でござりまする。)――

 僧都は、以上のことを泣く泣く奏上されているうちに、夜も明けましたので退出しました。

 冷泉帝は、夢心地にこの恐ろしいことをお聞きになって、さまざまに思い乱れていらっしゃいます。亡き院のためにもお心が咎められ、また実の御父の大臣(源氏)が、このように臣下として仕えておいでになるのも、まことにもったいないことであったと、
あれこれ煩悶されて、日が高くなってもお出ましになりません。

 源氏は、帝のご様子をお聞きになって急いで参内なさいます。冷泉帝の御涙をご覧になり、故母君を、なお忘れ難くて、ご気分も湿りがちであろうと、お見上げするのでした。

 その日、式部卿の親王(故桐壺院の御弟君)がお薨れになりました。ますます世の中の不穏がつづくことよと、帝はお嘆きになります。このような折りですので、源氏は二条院へ退出されず、帝のお側に付き添っていらっしゃいます。

◆写真:今上帝(冷泉帝)は、桐壺院の第十皇子。実は源氏と藤壺の子。
    藤壺の死後、夜居の僧都の奏上により、真実を知る。

ではまた。


源氏物語を読んできて(172)

2008年09月26日 | Weblog
9/26  172回

【薄雲(うすくも)の巻】  その(11)

 帝は、何事であろうか、死後もこの世に恨みが残りそうだとは。法師というものは、聖僧でも、けしからぬねじけた、ひがみ根性が深くて困った者もいるからな、と思いながら、
「いはけなかりし時より、隔て思ふことなきを、そこにはかく忍び残されたる事ありけるをなむ、つらく思ひぬる」
――幼い頃から、私は隔てなく思っているのに、そなたは、そうして隠してきたことがあったとは、情けなくひどい話だ――

僧都は、
「あなかしこ、……。これは来しかた行く末の大事と侍ることを、過ぎおはしましにし院、后の宮、ただ今世をまつりごち給ふ大臣の御ため、すべて、かへりてよからぬ事にや漏り出で侍らむ。……。故宮深く思し嘆く事ありて、御祈り仕うまつらせ給ふゆゑなむ侍りし。……その承りしさま」
――これはもったいないことを。(佛の秘法さえ、上様にはお隠しすることなく、お伝え申しました。心に隠す何事がござりましょうか)この事は、過去未来の重大事と存ぜられますことでござりまするが、御崩れになりました桐壺院の帝、御母宮、そしてただ今世の政を執っておいでの源氏の大臣の御身にとって、このまま秘しておきまするならば、良からぬ結果として、世に洩れ伝わるかも知れませぬ。(上様がはじめて御胎内にあらせられましたる時より、藤壺入道の宮は、)深く思い嘆くことがおありのようで、お祈りをば、私に命ぜられたる子細がござりました。(源氏の大臣が不当の罪に遭われました時にも、故宮はいよいよ御恐怖あそばされまして、重ねてご祈祷など仰せくだされましたが、大臣もそれをお聞きになって、またさらに仰せつけられ、ご即位なされました時までご祈祷申し上げた事実がござりました。)その承りました次第とは――

 子細をお聞きになりますうちにも、冷泉帝は、あさましくも珍しい事柄に、恐ろしくも悲しくもさまざまに御心が乱れて、うつむいたままご返事もありません。

◆高貴な人への秘事の表現は、ことばを避けて書きません。

◆写真:僧侶鈍(純)色五條袈裟姿
 この僧都の服装がこのようであったかどうかは、不明です。
 風俗博物館

 ではまた。


源氏物語を読んできて(僧侶)

2008年09月26日 | Weblog
僧侶鈍(純)色五條袈裟姿

1  鈍色(どんじき)の袍(ほう)の僧綱襟(そうごうえり)
2  五条袈裟の威儀(いぎ)[紐(ひも)]
3  鈍色の袍
4  五条袈裟
5  五条袈裟の小威儀(こいぎ)[小紐(こひも)]
6  数珠(じゅず)
7  下襲(したがさね)
8  鈍色の裳(も)
9  指貫(さしぬき)[奴袴(ぬばかま)]

源氏物語を読んできて(171)

2008年09月25日 | Weblog
9/25  171回

【薄雲(うすくも)の巻】  その(10)

 高貴な方の中でも、殊に藤壺の宮のお人柄をお褒めにならぬ人はなく、悲しまない人はおりません。殿上人は一様に喪服を着けて、なにもかも沈みきった春の暮れでございます。

 源氏は、念誦堂にお籠もりになって、一日中泣き暮らしておいでになります。夕日がはなやかに射して、山際の桜の梢が鮮やかに見えるところに、薄く棚引く雲が、藤衣に似た鈍色なのをあわれ深くごらんになって、
「入り日さす峰にたなびくうす雲はものおもふ袖に色やまがへる」
――入り日の射す峰にたなびいているあの薄雲は、悲しみ嘆く私に心を寄せて、喪服と同じ鈍色なのであろうか――

 お心にあまる思いをお詠みになりましたが、あいにくどなたも居ない場所で詠み甲斐のないことでした。

 四十九日の御法要も終わり、帝は御母君を亡くされて、それはそれは心細くお思いでおられます。
この藤壺の宮の母君の代よりお仕えしていました僧都は、藤壺の宮にも親しくお仕えなさっておられましたので、冷泉帝も篤く帰依なさっておいでの御方です。この度も宮のご病気平癒祈願のためにお呼びになったのでした。御歳は七十歳ほどの大層優れた聖でいらっしゃいます。源氏からも、ここしばらくは、参内してお仕えするようにと、おすすめになっておられました。

 静かな暁に、冷泉帝の御前にて、僧都は世の中のことなどお話になりますついでに、改まって老人めいた咳をしながら、
「『いと奏し難く、かへりては罪にもやまかりあたらむと思ひ給へば、はばかること多かれど、しろしめさぬに、罪重くて、天の眼恐ろしく思う給へらるる事を、心にむせび侍りつつ、命終り侍りなば、何の益かは侍らむ。佛も心ぎたなしとや思し召さむ』とばかり奏しさして、えうち出でぬことあり」
――「実は、はなはだ申し上げにくいことがござりまして、また、申し上げてはかえって罪にも成りましょうかと、憚られることが多いのでござりまするが、上様が何もご存知なくいらっしゃってはいよいよ罪重く、天の照覧も恐ろしく思われます。私が心の内で咽び泣きつつ、ついに申し上げずにこのまま寿命が尽きてしまいますならば、何の益がございましょう。佛もさぞかし不正直な者と思われることでござりましょう」と申し上げかけて、それ以上言いかねておられるご様子です――

ではまた。



源氏物語を読んできて(170)

2008年09月24日 | Weblog
9/24  170回

【薄雲(うすくも)の巻】  その(9)

 源氏も、なぜこのように大切な方々が次々と続いてご病気になられたり、亡くなっていかれるのかと、深い嘆きの中に思うのでした。ここ数年、あの秘密のお心持ちを、一度も打ち明ける機会がなかったことが残念でしたので、思い切ってご几帳近くに寄って、藤壺の宮のご様子を、しかるべき女房にお尋ねになりますと、

「『月頃なやませ給へる御心地に、御おこなひを時の間もたゆませ給はず、(……)この頃は柑子などをだに、触れさせ給はずなりにたれば、頼み所なくならせ給ひにたること』と嘆く人々多かり」
――「この数ヶ月お具合悪くいらっしゃいましたのに、御佛のお勤めを片時も怠りなくなされました。(きっとご疲労が積もりまして、一段とひどくお弱りになってしまいました。)この頃は柑子のようなものまでもお口になさらなくなりましたので、ご回復の望みもなくなってしまいました。」と泣きき悲しむ人々が多いのでした。

藤壺の女院は、源氏へ
「『院の御遺言にかなひて、内裏の御後見仕うまつり給ふこと、年頃思ひ知り侍ること多かれど、(……)今なむあはれに口惜しく』と、ほのかに宣はあするも、ほのぼの聞ゆるに、御答も聞えやり給はず、泣き給ふさまいといみじ」
――「桐壺院のご遺言のとおり、あなたが若い帝の御後見をなさっておられることを、多年感じておりまして、(いつか感謝の程をお伝えしたいものと、それものんびりと構えていましたことが)今更ながらしみじみと口惜しくて」と、あるかなきかのお言葉も、苦しい息の中で申し上げますのに、源氏は何のお返事もお出来になれず、ただただお泣きになるばかりで、このようなご様子は見るに耐えないものです。――

 源氏は、帝へのお世話や、太政大臣の薨去につづき、その上あなた様のご病気を思いますと、私自身、生きていますのも、残り少ない気がします。と申し上げておりますうちに、
「燈火などの消え入るやうにて、はて給ひぬれば、いふかひなく悲しき事を思し嘆く」
――燈火(ともしび)が消え入るようにひっそりと、亡くなられましたので、源氏は言葉にできないほどの悲しみに嘆きつづけられるのでした。

◆柑子(こうじ)=日本原産と考えられ、古くから知られている柑橘。果実は小型で、甘いが酸味もある。

◆高貴な方の死は一貫して言葉を多く語らないようです。写真:燈火
 風俗博物館


源氏物語を読んできて(169)

2008年09月23日 | Weblog
9/23  169回

【薄雲(うすくも)の巻】  その(8)

 源氏は、大堰に近い桂や御寺にこと寄せて、お泊まりになるときには、姫君のご様子なども細々とお話しされるのでした。明石に居る入道は、絶えず使いの者を寄こして、大堰の様子を聞いては、胸の塞がる思いをしたり、喜ばしく面目ある思いをしたりしております。

 この頃、太政大臣(権中納言の御父、葵の上の御父、源氏の義父)がお亡くなりになりました。先年辞表を奉ってからしばらく引きこもっておられた間でさえ、天下の柱石と源氏も頼りにしておりましたので、今後は御自分の政務も多くなると、不安でいらっしゃる。

 冷泉帝はお歳以上に大人びておられ、政務も危なげなくお見受けしますが、確とした御後見の方もいらっしゃらず、源氏は、お役を誰かに譲って静かに出家をお考えになっても、そのような現実ではないのでした。

「その年おほかた世の中騒がしくて、おほやけ様に物のさとし繁く、(……)内の大臣のみなむ。御心の中に、わづらはしく思し知ることありける」
――その年は世間一帯に疫病などが流行し、朝廷関係に訳ありげな不吉な前兆が多く、(天文博士や陰陽博士が意見書を奉るなかにも、世にめったになさそうな奇怪なことも交じっています。)ただ源氏ばかりは、ご心中ひそかに思い当たられることがおありになるのでした――

 藤壺の宮は、この春より病みがちでおられましたが、三月には一層重くなられましたので、帝も度々お見舞いに行幸されます。

藤壺の宮は、弱々しく、
「今年は必ずのがるまじき年と思う給へつれど、おどろおどろしき心地にも侍らざりつれば、(……)うつしざまなる折り少なく侍りて、口惜しくいぶせくて過ぎ侍りむること」
――今年は、どうしても命の果てる年と思っておりましたが、そうひどい病気というわけでもございませんでしたので、後世のための法会なども格別にはせず、このようなことになるなどとは思わず、本当に口惜しく、気がかりながら、今日まで過ごしてきてしまいました。――

 この藤壺の宮は、御歳37歳の女の厄年になっておられましたが、まだ大層お若く盛りの美しさにお見えになりますのを、帝は惜しくも悲しくもごらんになります。この頃になって、あらゆる加持、祈祷をおさせになります。

◆いぶせし=気持ちが晴れない、気がかり、うっとうしい。


源氏物語を読んできて(168)

2008年09月22日 | Weblog
9/22  168回

【薄雲(うすくも)の巻】  その(7)

 東の院にいらっしゃる花散里というお方は、気立てがおおようで、無邪気で、源氏とはこれだけのご縁と、あきらめて、めずらしいほどのんびりとしておられますので、夜のお泊まりのようなことはないものの、源氏のほうでも気安くお出でになります。他の人に侮られないようにと、お身の回りには、家司も別当も置かれて、紫の上と同じように大事にしていらっしゃいます。

 源氏は明石の御方の侘びしさを、絶えず思われていましたが、公私ともに多忙の時期が過ぎました頃、いつもよりねんごろにお化粧なさって、

「桜の御直衣に、えならぬ御衣ひき重ねて、たきしめ装束き給ひて、罷り申し給ふさま、隈なき夕日に、いとどしく清らに見え給ふを、女君ただならず見奉り送り給ふ」
――桜襲(さくらがさね=表白、裏蘇おう色)の直衣で、下には立派な御衣を引き重ねて、香を薫きしめたのを召されて、紫の上にお出かけのご挨拶をしにいらしたご様子が、
隈なくさし入る夕日に、たいそうお美しく映えていらっしゃいますのを、紫の上は、心穏やかならずお見上げし、お送りなさいます。――

 紫の上は、ほんの子供子供していらっしゃって、あちこちはしゃぎまわる姫君を、可愛いと思われますので、遠くに住むあの女を妬ましく思うお心も薄れて、源氏のこともお許しになるのでした。そして、

「いかに思ひおこすらむ、われにて、いみじう恋ひしかりぬべきさまを、と、うちまもりつつ、ふところに入れて、うつくしげなる御乳をくくめ給ひつつ、戯れ居給へる御さま見所多かり。」
――あちらの方は、このような成り行きをどのように思っていることでしょう。私なら、とても我が子を恋しく思うに違いないものを…と、じっと姫君を見つめ、また抱き上げて、美しい御乳を含ませなさって、戯れていらっしゃるご様子は、はた目に拝見しても素晴らしい光景です――

御前なる人々は、
「『などか。同じくは。いでや』など語らひ合へり」
――お前に控えている女房たちは、「どうしてかしら、思うようにならないものね。同じ事ならば、本当のお子様でしたらねぇ」などと話し合っています。――

◆このあたりに、紫の上の性格がよく出ています。

◆写真 桜襲(さくらかさね)の色合い

ではまた。