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「ルノワール展」国立新美術館 2016.06.20.

2016年06月26日 03時06分12秒 | 安らぎを求めて、美術博物館へ



    「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」が日本で観られるなんて・・・





                    





今回、25年ぶりでしょうか?
東京へお上りさんとして行きました。



前に行った時は、バブル時代で、毎月出張で会議に出ていた時代でしたね。
相変らず、人が多く路線が複雑で、事前にネットで調べて行かないと頭がパニックになります。



それでなくても、方向音痴なもんで・・・スマホでも持ってりゃいいんですけど・・ないので・・・



今は安くて便利なんですね、新幹線と宿泊で\18,000くらいからあるんですね、電車賃だけでも大阪から普通に買えば往復3万円くらいするでしょうにね・・・不思議であります。



ただ、チケット予約の乗車時間帯は、行きは早朝、始発時間帯で、それはよかったんですが、帰りが、17時~19時代のゴールデンタイムはダメなんですね。


だから20時代で乗れましたね・・・新大阪に22時半に着き、家に23時過ぎに着き、もうくたくたでありました。


ただ、行きも帰りも新幹線の空いている時間帯なのか、往復とも二人掛けの席の窓側の指定席だったですね・・・これは、よかったですね・・・



そういうカンジで私は、日本旅行で浅草に泊まる\22,300コースに致しました。



東京駅に着いて、二重橋駅から東京メトロに乗って、乃木坂に10分ほどで着きます。
こちらの左側立ちのエスカレータで、癖になってしまっている右側乗りに「ちゃうちゃう・・」と思わず左側に寄ります。


右立ちは、偏屈な関西人だけのように思えますが、世界で言うと圧倒的に右立ちが多いそうで、車の通行区分に類似、世界が右側通行に由来していると聞きます。


そうゆう意味では、日本は左側通行なのに、関西人は右立ちにしたのは、やはり偏屈人だからなのでしょうね。


ただ関西では、阪急電車が、昭和42年(1977年)に梅田駅に動く歩道を設置、「歩く人は右側、急ぎの人は、左側」と、当時アナウンスをしていたそうであります。


そこから、右立ち、左開けが始まったんですね。
それから20年後に、新御茶ノ水駅で左立ちが自然的に始まったそうであります。
まっ、どっちゃでもいいんですけどね・・・





                    







出口6番が美術館直結通路になる事を事前に調べていたので、簡単に着きました。
適当な出口で地上に出ていたら、時間がかかったと思います。


                    







まぁ、とにかくデカイ美術館で、2007年に開館して、日本でも一番延床面積が広いのではと云われているそうであります。


                    




3階建てで、広い吹き抜けのエントランスにカフェなどもあり、ガラス張りの陽光の中で、エスカレータから見た光景は、圧巻であります。




                    







一階会場入り口前には、入場時刻前から人が並んでおりました。
この展は、10のセクションに別れております。



その中で、お目当ての作品は、「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」。
セクションⅣにあります「現代生活を描く」の中にあります。



会場の中ほどの位置にあり、大きな円形部分にでっかくこの絵が飾られており、反対側に「田舎のダンス」「都会のダンス」が、対目に飾られております。



中央に、ベンチを配して、これらの絵が庭のベンチから眺められるイメージで、ゆっくりと鑑賞出来るようになっているんでしょう。



絵がとにかくデカイので、ベンチからでも充分鑑賞出来ます。



「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」で、131.5cm×176.5cm
「田舎のダンス」で、180.3×90cm 、「都会のダンス」179.7cm ×89.1cmとほぼ等身大の作品であります。



本家のオルセー美術館には、こんなカンジの展示だそうです。


                    





                    




木漏れ日の中で、楽しそうに踊り、語り合う人々、ルノワールの「絵は、楽しく」っと言う真髄が、この絵の一番の魅力なんでしょうね。



観てるだけで、気が晴れるというか、嫌な事も忘れさせてくれそうな気持にさせてくれますね。



幸せの休日、時間が止まって見える幸せの空間、また、絵の中の人々が動いているようにも見えます。



この絵の中に、吸い込まれそうに、中に入って行きたい気持ちにさせるんでしょうね。
ルノワールが、いっしょに楽しく飲んで歌って踊りましょうっと誘っているかのように描いているんだと思いますね。



友人やエキストラを使って描きあげた大作、アリーヌ・シャリゴの姿を捜したのですが、アリーヌとは、1878年か1879年に出会っているそうなので、まだこの絵には出てないみたいですね。




手前のテーブルを囲む人々は、モンマントルのアトリエの庭で描いたそうであります。





                    





                    




また、この庭では、「ぶらんこ」の製作場所でもあるそうです。



この絵のムーラン・ド・ラ・ギャレットは、こんなカンジだったそうで、憩いの場としてのダンスパーティがあったそうであります。







                    


現在は、レストランになっており、当時のギャレット(お菓子)を食べさせてくれるそうでワインといっしょに食するんだそうであります。





                    







父の「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」に影響を多分に受けた息子のジャン、映画監督になり、1926年「ナナ(女優ナナ)」、1954年「フレンチカンカン」、1956年「恋多き女」など、舞踏会の様子ののシーンが入っている。



このシーンの映画を館内で上映をしております。
興味深いですね。

                    





                    




「ナナ」は、女優から娼婦に転落、次々に男を破滅させて行き、自らも天然痘にかかり晩年人知れず亡くなるというお話だそうであります。


この女優のカトリーヌ・ヘスランは、ジャンの奥さんで、ルノワールの晩年の「浴女たち」のモデルだったそうであります。





                    




そして、この絵の対目に展示されております2枚の等身大の絵、
「田舎のダンス」と「都会のダンス」であります。





                    




本当は、もう一つのダンスの「ブージヴァルのダンス」も同時期に製作されたそうですが、こちらはボストン美術館所蔵なんだそうであります。
うまく、調整して、3部作一気に観れたらすごいんですけどね。






ルノワールは、3部作ともモデルをシュザンヌ・ヴァラドンにするつもりだったそうですが、アリーヌ・シャリゴの嫉妬で「田舎のダンス」だけは、彼女にしたそうであります。



ヴァラドンは、ご存じのようにモーリス・ユトリロのお母さんであります。
この絵の時は、ヴァラドン17歳でもうこのユトリロがお腹に入っていたそうであります。



ヴァラドンは、モデルをしながら画家も目指し作品も出しております。
ユトリロもその血を受け継いだんでしょうが、恋多きこのヴァラドン母親は、ユトリロの友達とも恋をするんですね。



まっ、ユトリロとヴァドンの話は、またにして、このアリーヌの幸せそうな笑顔が印象的ですよね。



ルノワールは、行きつけの食堂で、このアリーヌと知り合い、この絵の時から2年後にジャンが生まれ、5年後に正式に結婚するんですね。



アリーヌの扇子が、流行りのジャポニズムなんでしょうか・・・この時のルノワールの絵は、木漏れ日のような影がありません。



ルノワールは、印象派の手法から、ラファエロの聖母子に感銘し、女性の生き生きとした表情を描くために、印象派のぼやけた輪郭から、しっかりとした輪郭に変えたんですね。


                    




その代表的なのが、「雨傘」右半分が1881年に描き、左半分が1885年に描いたという苦悩の期間があったんですね。

人物の描き方の違いがわかりますね。









「ぶらんこ」
ムーラン・ド・ラ・ギャレットと同時期に描かれた絵で、第3回印象派展で評判になり、「印象派」誌の表紙を飾る。



ブランコの女性は、ルノワールでお馴染みの女優のジャンヌ・サマリーだそうです。
木漏れ日の手法が、一番よくわかりキラキラしてますね。


                    




「ジュリー・マネあるいは猫を抱く子供」


目鼻立ちがはっきりする手法に切り替えての絵でしょうか?
少女の愛らしさと猫の気持ちよさそうな顔が、よく出ていてみんなから愛される絵の一つでしょう。



当時この少女(ジュリー・マネ)は、9歳の少女。
父親は、エドゥアール・マネの弟のウジェーヌ・マネで1892年59歳で他界、ジュリー14歳。



母は、女流画家のベルト・モリゾ、ウジューヌの3年後、1895年54歳の若さで他界、ジュリーのインフルエンザがうつったとか?ジュリーは、17歳であった。



両親を亡くしたジュリーの後見人として、ドガやルノワールが面倒をみていたそうです。
ジュリーは1966年、88歳まで生きて、最期までこの絵を手元に置いていたそうであります。








「ピアノを弾く少女たち」
誰もが一度は見たことがある、超有名な絵ですね。



5,6点ほどの似たような絵がありますが、やはり楽しそうにおしゃべりをしながら弾いているカンジがいいですね。



パステル調がまたいいですね。
ルノワールは、ブルジョアの室内がよく売れると言ったそうであります。


                    





                    




モネとルノワールは、仲がよかったんでしょうね。
モネの自画像を描いたり、モネといっしょにキャンバスを持って風景を描いていたんでしょうね。



個人的に気になる絵がありまして・・・・・






                    




目元が、宮崎あおいに似ているような気がして、似てません・・かね?







ルノワールよりも先に逝ってしまうアリーヌ、糖尿病?、ルノワールは、いろいろな女性を観て来て、やはり最後は、このアリーヌが一番愛おしく思ったんでしょうね。


                    




二次元の絵画から三次元の彫刻に魅了し、アリーヌの像を手伝いながら造ります。
持病のリューマチがなければ、彫刻などもっといろいろと試し、自分の理想を追い求められた事を残念に思う事でしょうね。



ルノワールにコンピュータグラフィックを与えたら、どんな作品が出来るのか、ちょっと想像してしまいますね・・・逆に、邪道だと嫌うかもしれませんね・・・



この展に、ルノワールが使った絵具箱やパレットが展示されておりました。







他、まだまだ、多くの作品があり、コロー、ゴッホ、ピカソの作品なんかもあります。
是非、行ってみてください。
この展は8月22日までだそうであります。




大阪からでも、満足出来ると思います。
こうゆう機会でもない限り、東京へ行く事がないもんで、このあと行きたいと思っていた所へ行って見たいと思います。











                    



          「国立新美術館(ルノワール展)」




   この後、千葉の土気まで行って「ホキ美術館」に行ってみたいと思います・・・・迷わず行けるかな・・? つづく・・・     

    つづき・・・「心ゆさぶる写実絵画」展 ホキ美術館 2016.06.20.



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