ちきゅうぎ

宇宙と地球のかけはし

これでいいのだ バカボンのパパ

2022-06-11 15:43:12 | 徒然メモ
ウェルビーイングをテーマに語るラジオ番組にて。徒然に。

--
“Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会仮訳)“
--


日本の物語はぐるっと回って連環している。

欧米のように、最後は最上の状態で終わらせるストーリーでなく、例えば、浦島太郎では、竜宮城で接待を受け幸せな気持ちを味わうが、玉手箱をもらい、おじいさんになり終わり。

これは、
欧米の感覚ではよくわからない世界。

見方を変えると、おじいさん、おばあさんで始まること自体がウェルビーイングとして満ち足りてる状態として、捉えられるとも言える。それが昔から物語として語り継がれている。

人は不確実な状態、選択肢がある状態が、ウェルビーイングな状態であると、認識されていて、ある女王は満ち足りた不自由のない生活の結果、ギャンブルにはまってしまったという話に、深く考えさせられた。

そして、バカボンのパパの話が締められたのが、インパクト強く心に刻まれた。

そうか。これでいいのだ。か。

zoe_mori
コメント

心って?

2022-04-23 10:10:02 | 徒然メモ
言葉は心を運ぶ器

言葉づかいは、心づかいの顕れのひとつ。


名前の呼びかけや、うやまいやへりくだりは、心の作法。


命につく名を「心」と呼ぶ。
歌うたいの声が響く。

心を尽くしたことは、
命を燃やしたこと。

そしてそれが生きた証。

zoe_mori


コメント

心の渚に寄り添う日々。~命題:ときめきはどうやって生まれるのか~

2022-04-02 09:20:00 | 徒然メモ
<序>
山を縫って走る列車のループ橋は、丸く、緩やかに傾斜をすることで10両を超える重厚な全車両を高さ10mも上げることができる。

そのまどかの美しさは、人の生き方や人生に当てはまるのではないか。

コロナ禍、2020年4月には、日本全国に対する緊急事態宣言にて、人流抑制の号令の下、大幅な行動制限となり、2年を経過した今、制約、解除を繰り返し、皆、そのたびに新しい悩みや苦しみを重ね、その中でも生きることの意味を問い続けている。

そんな中、不要不急って、何なんだろうとふと考える。
例えば、音楽やミュージカル、スポーツ観戦などは、不要不急として言われて久しい。

確かに、コロナ禍、未知の恐怖に対して、重症化や死に至ってしまう人たちを少なし、医療体制や社会基盤の円滑には不要かもしれないし、その観点において世の中では正論と受け止められている。

でも、ひとりひとりの心にどう向き合っているのか。
ひとりで孤立し、その悩みすら打ち明けられない人への不要不急はなにか。

2021年8月、1年延期したオリンピック・パラリンピックTOKYO2020が開催された。
白熱した真剣勝負に、胸が熱くなり涙がこぼれた。コロナ禍にて心が疲弊する状況下、生きる意味のヒントが見えた気がした。

涙を流すこと。自分自身の気持ちに素直に寄り添い、心震わせること。
心が離れ離れと感じてしまっている今、これも不要不急なのではないか。

<TOKYO2020で心震えて>

生きがい。やりがい。
この言葉が、生まれ、世の中で使われるづけている意味を改めて考える。

心震え、涙を流す。
目の奥から光が輝き、憧れや圧倒的な美しさを見つめる。


~あぁ。巡り合えて良かった。
~再会できてよかった。
~何も多く言葉をかわさなくても、一体となれるひととき。

そんなとき、生きがいを感じる。


~ありがとね。
~やってもらってほんとに助かった。
~話を聞いてもらって不安な気持ちが軽くなったよ。
~感謝され、同じ気持ちを共感できたとき。

そんなとき、相手の役に立てたとやりがいを感じる。


そんな、魂の交流のとき、自分の生きることを支える“がい”がある。

ソーシャルディスタンス。と距離を取り、挨拶一つすら遠慮がちに交わす今、
心と心が離れて、生きるを支える“がい”が失われてしまっている。

支え合い、慰め合うことを、不要不急として捉え、心構えを持ち直すことが
必要と思い立ち、その思いを綴り始めている。

<音楽の心を癒す力>
距離が離れていても、同じリズムで、同じ歌詞で、歌を歌う。
こんな当たり前のことが、今、心の奥深くに染み入り、自然と涙がこぼれる。

きっと、支え合い、慰め合うことから、心が大きく離れてしまったため、
無意識にそんな、支えや慰めを音楽に求めているのではないか。

不安に世の中が包まれ、明日の確信が得ることができない今。
同じリズムで同じ歌詞で、少し先の未来を照らしたり、悲しい気持ちに寄り添ったりする音楽が心を癒す力に改めて気づかされた。
だから、美しい旋律やその寄り添う歌詞は、引き継がれ歌い継がれるということも腑に落ちた。

1000年先も鳴り止まないで♪。と歌う、音楽を賛美するある歌詞。心の底から共感する。

本当にそのように切に願う。
先の見通せないこんな世の中だからこそ、一層その気持ちを強く持つ。

(つづく)


2022.4 今年も美しく咲いた近所の枝垂れ桜



コメント

心のひだにときめきを。2 ~気づき、自分の未来と出会えた全てのひとへ~(仮題)

2022-03-30 08:51:33 | 徒然メモ
生きがい。やりがい。

この言葉が、生まれ、膾炙している理由を考える。

心震え、涙を流す。
目の奥から光が輝き、憧れや圧倒的な美しさを見つめる。


あぁ。巡り合えて良かった。再会できてよかった。
何も多く言葉をかわさなくても、一体となれるひととき。

そんなとき、生きがいを感じる。


ありがとね。
やってもらってほんとに助かった。
話を聞いてもらって不安な気持ちが軽くなったよ。
感謝され、同じ気持ちを共感できたとき。

そんなとき、相手の役に立てたとやりがいを感じる。


そんな、魂の交流とも言えるときに、自分の生きることを支える“がい”がある。

ソーシャルディスタンスと距離を取り、心と心が離れて、生きるを支える“がい”が足りない。圧倒的に足りない。

そんな意識を持って、不要不急を考えることも大切ではと、それをどうすればよいかと、今問われているように思う。

zoe_mori

(つづく)


コメント

心のひだにときめきを。 ~気づき、自分の未来と出会えた全てのひとへ~(仮題)

2022-03-27 19:00:00 | 徒然メモ

山を縫って走る列車のループ橋は、丸く、緩やかに傾斜をすることで10両を超える重厚な車両を高さ10mも持ち上げることができる。

そのまどかの美しさは、人の生き方や人生に当てはまるのではないか。


コロナ禍、20205月には、全国の緊急事態宣言での行動制限が出されるなど、

皆、悩みや苦しみをそれまで以上に抱え、それでも生きることの意味を問い続けている。


そんな中、不要不急って、何なんだろうとふと考えてみる。

例えば、音楽やミュージカル、スポーツ観戦などは、不要不急であると誰かが言う。


確かに、コロナ禍、未知の恐怖に対して、重症化や死に至ってしまう人たちを少なし、医療体制や社会基盤の円滑には不要かもしれないし、その観点では全く正しい。

でも、ひとりひとりの心にどう向き合っているのか。

ひとりで孤立し、その悩みすら打ち明けられない人への不要不急はなにか。


20218月、

1年延期したオリンピック・パラリンピックTOKYO2020が開催された。白熱した真剣勝負に、心のひだが触れ、胸が熱くなり涙がこぼれた。生きる意味が見えた気がした。

涙を流すこと。自分自身の気持ちに素直に寄り添い、心震わせること。


心にとってループ橋のような営み。様々な制約が2年し共存の道筋が少しづつ見えてきた今、これも生きるための不要不急となりつつあるのではないか。


zoe_mori

(つづく。徒然なるままに。)

コメント