【FJ通信】 何が彼らをそうさせるのか
2012年07月13日
土佐のくじらさんの日記転載
FJ通信】です。
今日は時間が余りありませんので、
日記が知りきれトンボになったらごめんなさい。
前回日記で、オウラン兵士の武装解除の話をしました。
http://blog.goo.ne.jp/ziyuunakaze/e/c840a44c785ca1c023936c9969ecffb0
この時に、現実問題として、渋谷の多くの群集が
正悟らに向かって集まってきます。
彼らはなぜ集まってきたのでしょうか?
それは、正悟の説法に秘密があるのです。
渋谷説法全文を、私は記憶しきれてはおりませんが、
まず、「私の話を聞いてください。」と、映画冒頭での
選挙での演説のごとく始まります。
そして、
「皆さんは、肉の塊ではありません。」
「私たちの本質は、あなた方の本質は、肉体ではなく魂です。」
と、人間の本質を話ます。
そして、人間の尊さの本質が明らかにされます。
「その魂が、神から分かれてきたもの。」であるから、尊いのです。
肉の塊のどこが尊いのでしょう?
それを説明することは、未来永劫不可能でしょう。
しかし人間は、本質的に知っております。
人間は、その存在自体が尊いことを。
人の命は、本質的な意味において、尊ばれる存在であることを。
それが何かがわからないだけで、人は皆、知っているのです。
- 人間の本質は魂であり、それが神から分かれてきたから尊いのだ -
この短くも、力のこもった真実の言葉は、
悟りたる者そして救世主でなければ、決して
自信を持って言えない言葉なのです。
であるならば、もう他の人々が発表しているはずです。
そして説法は続きます。
死ぬことは不幸な事ではない。
それは人生には、魂修行という意味があるから。
- 心正しき人は天国に還る -
(=心正しき者は、幸いである。)
- 間違った思想に染まった人は地獄での厳しい人生が待っているが、
反省すればまた、やり直せる -
これは、神は愛であることを示すと共に、生きる勇気、
やり直す勇気が生まれます。
そして大事なことは、反省すればまたやり直せる
・・・ということは、
宗教の違いによって、迫害したり、弾圧したり、場合によっては、
人を死に至らしめたりする動機、宗教戦争をする動悸自体が、
この言葉によって、無力化されてしまうことなんです。
なぜなら、そういった宗教を母体とした数々の不幸は、
相手が間違っているから、この世から葬り去らなければならない・・・
という発想の元に起こりますが、
今は間違っていると思われる相手も、反省すればやり直し、
また神の子の本質の元、生きられる存在だからなんです。
であるならば、自分が神の子、神から仕事を任されていると思う人は、
神に敵対していると思われる人を、葬り去るのではなく、
説得しなければならないくなるのです。
そうでなければ、神の心から離れた、
間違った判断をすることになるのです。
そして説法は続きます。
・・・が、今日はこのへんで・・・(^^;
(続く)
コメント付き
2012年07月13日
1: 英
>心正しき者は天国に還る
例え、信仰でころされても(リンの両親)、
仮に人生の途中で死んでも自らの使命(役割)を
まっとうすれば、(憲三)ですね。
間違った思想に染まった人=リンやオウラン軍そして、
日本人全体、いや世界中ですね。
宗教戦争は、お互いが間違っていると思っているから
戦争がおきるわけで、その「お互いが間違っている」という
間違いをお互いに気づいて、
反省すれば、確かに戦争はなくなりますね。
. 2012年07月13日
2: (土佐のくじら)
>>1 英さん、コメントありがとうございます。
人間の理解は浅く、間違った判断をすることは、神は想定内でありましょう。
しかし、
反省すれば、また神の子としての生き方に戻ることを、
神は許していらっしゃることを、本気で信じていたならば、
どうして宗教が原因の戦争や、虐殺や処刑などが起こせましょうや。
信じていないのです。
本当には、信じていなかったのです。
そういうことができる背景には、他の教えを報じる者は
悪魔の子だと思っていただろうし、
永遠に地獄から出ることはないと、タカをくくっていたでしょう。
自分に都合の良いだけの信仰は、大変な間違いと不幸を
人類に投げかけているのです。
植民地時代、キリストの教えの、まだ届いていない地域の人々、
アフリカ人やアジア人などは、
動物の類と、キリスト者は認識していたはずですね。
でないと、原爆や枯れ葉剤など、使用できるはずはないのですよ。
宗教が違えば、神の子ではないのか?
宗教が低レベルであれば、神の子ではないのか?
違うだろう?
ということです。
それらに対してへの怒りの感情を、
救世主は激しい表情で、雨に打たれて表現していましたね。
正悟がリンにしたように、説得し、教化するのが、
信仰者のあり方だったのです。
戦争や非道なことが、宗教の名の下に行われることは、
その両者が間違っているのです。
さすれば英さんがおっしゃるように、戦争・・・
少なくとも、宗教を旗頭にした戦争は、今後できなくなるはずです。
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SNSの日記から転載、させていただいた記事です
英さんのコメントもいただきました。
<(_ _*)> ありがとうございました
。