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【FJ通信】 何が彼らをそうさせるのか

2012年07月24日 11時19分37秒 | 日記・ご紹介記事・つぶやき等

【FJ通信】 何が彼らをそうさせるのか


   

2012年07月13日

土佐のくじらさんの日記転載

FJ通信】です。


 今日は時間が余りありませんので、
日記が知りきれトンボになったらごめんなさい。
 
前回日記で、オウラン兵士の武装解除の話をしました。

http://blog.goo.ne.jp/ziyuunakaze/e/c840a44c785ca1c023936c9969ecffb0

この時に、現実問題として、渋谷の多くの群集が
正悟らに向かって集まってきます。

 彼らはなぜ集まってきたのでしょうか?
 
それは、正悟の説法に秘密があるのです。
 
渋谷説法全文を、私は記憶しきれてはおりませんが、

 まず、「私の話を聞いてください。」と、映画冒頭での
選挙での演説のごとく始まります。
 
そして、
 「皆さんは、肉の塊ではありません。」
 「私たちの本質は、あなた方の本質は、肉体ではなく魂です。」
 
と、人間の本質を話ます。
 
そして、人間の尊さの本質が明らかにされます。
 
「その魂が、神から分かれてきたもの。」であるから、尊いのです。
 
肉の塊のどこが尊いのでしょう?
 それを説明することは、未来永劫不可能でしょう。
 
しかし人間は、本質的に知っております。
 人間は、その存在自体が尊いことを。
 人の命は、本質的な意味において、尊ばれる存在であることを。
 
それが何かがわからないだけで、人は皆、知っているのです。
 
- 人間の本質は魂であり、それが神から分かれてきたから尊いのだ -
 
この短くも、力のこもった真実の言葉は、
悟りたる者そして救世主でなければ、決して
自信を持って言えない言葉なのです。

 であるならば、もう他の人々が発表しているはずです。
 
そして説法は続きます。
 
死ぬことは不幸な事ではない。
 それは人生には、魂修行という意味があるから。
 
- 心正しき人は天国に還る - 
 (=心正しき者は、幸いである。)
 
- 間違った思想に染まった人は地獄での厳しい人生が待っているが、
   反省すればまた、やり直せる -
 
これは、神は愛であることを示すと共に、生きる勇気、
やり直す勇気が生まれます。
 
そして大事なことは、反省すればまたやり直せる

・・・ということは、

 宗教の違いによって、迫害したり、弾圧したり、場合によっては、
 人を死に至らしめたりする動機、宗教戦争をする動悸自体が、
 この言葉によって、無力化されてしまうことなんです。
 
なぜなら、そういった宗教を母体とした数々の不幸は、
 相手が間違っているから、この世から葬り去らなければならない・・・
 という発想の元に起こりますが、
 
今は間違っていると思われる相手も、反省すればやり直し、
 また神の子の本質の元、生きられる存在だからなんです。
 
であるならば、自分が神の子、神から仕事を任されていると思う人は、
 神に敵対していると思われる人を、葬り去るのではなく、
説得しなければならないくなるのです。
 
そうでなければ、神の心から離れた、
間違った判断をすることになるのです。
 
そして説法は続きます。
 
・・・が、今日はこのへんで・・・(^^;

 
                                    
 (続く)

 

コメント付き
 

 

 2012年07月13日


1: 英


>心正しき者は天国に還る
 例え、信仰でころされても(リンの両親)、
 仮に人生の途中で死んでも自らの使命(役割)を
まっとうすれば、(憲三)ですね。
 
間違った思想に染まった人=リンやオウラン軍そして、
日本人全体、いや世界中ですね。
 
宗教戦争は、お互いが間違っていると思っているから
戦争がおきるわけで、その「お互いが間違っている」という
間違いをお互いに気づいて、
 反省すれば、確かに戦争はなくなりますね。


 
. 2012年07月13日


2: (土佐のくじら)


>>1 英さん、コメントありがとうございます。

 
人間の理解は浅く、間違った判断をすることは、神は想定内でありましょう。
 
しかし、
 
反省すれば、また神の子としての生き方に戻ることを、
神は許していらっしゃることを、本気で信じていたならば、
どうして宗教が原因の戦争や、虐殺や処刑などが起こせましょうや。
 
信じていないのです。
 本当には、信じていなかったのです。

 そういうことができる背景には、他の教えを報じる者は
悪魔の子だと思っていただろうし、
 
永遠に地獄から出ることはないと、タカをくくっていたでしょう。

 自分に都合の良いだけの信仰は、大変な間違いと不幸を
人類に投げかけているのです。
 
植民地時代、キリストの教えの、まだ届いていない地域の人々、
 アフリカ人やアジア人などは、
 動物の類と、キリスト者は認識していたはずですね。
 
でないと、原爆や枯れ葉剤など、使用できるはずはないのですよ。
 
宗教が違えば、神の子ではないのか?
 宗教が低レベルであれば、神の子ではないのか?
 
違うだろう?
 ということです。
 
それらに対してへの怒りの感情を、
 救世主は激しい表情で、雨に打たれて表現していましたね。
 
正悟がリンにしたように、説得し、教化するのが、
信仰者のあり方だったのです。
 
戦争や非道なことが、宗教の名の下に行われることは、
 その両者が間違っているのです。
 
さすれば英さんがおっしゃるように、戦争・・・

 少なくとも、宗教を旗頭にした戦争は、今後できなくなるはずです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

SNSの日記から転載、させていただいた記事です

英さんのコメントもいただきました。
<(_ _*)> ありがとうございました

 

 



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