D の 一日

Dのブログ

一期一会 キミにききたい!! from.NHK

2006年09月30日 00時25分22秒 | Weblog
なんと言うか…。『ヲタク』『ヲタク』ってマスコミは騒ぎ過ぎです。

本日はNHKの番組を見て思うことを言います。

最近、秋葉原・池袋などヲタクの聖地と言って色々と報道されていますが、あんまり良い印象をテレビから見て受けませんよね。
明かにマスコミは一種のネタとしてしか取り上げていません。

それらの番組の内容を見てもヲタクに関して「気持ちワルイ」「内気」「引き篭もり」などなど、どれも内向的で負のイメージしかもてませんよね。

実際にアキバ系の友人を持つ僕としてはアキバ系の人達は決して内向的でもないし排他的ではありません。
僕の持つ印象としては、彼等の持つコミュニティーはごく普通の人付き合いをしていると思います。
ただ、その人付き合いの際に使用する共通の話題がアニメや漫画など空想現実なだけなのです。

その、共有している情報が非現実的で空想的な面を持つため一般人の感性からしたらずれているため、マスコミや世間一般での会話で面白おかしく取り上げられている最大の原因なのでしょう。

そして、彼等(アキバ系)は世間一般に偏見を持たれている事を自分達で理解しています。その為、普通の一般人との付き合いをした場合、偏見により辛辣な事を言われ自分が傷つく事を理解しているために為に同種の趣味を持つ人間以外との接触を極端に嫌います。

良く考えてみれば、マスコミで面白おかしく取り上げられるようになってからアキバ系やアニメ系の趣味を持つ人達は常日頃、辛辣な事や誹謗中傷を全く関係のない赤の他人に言われているような気がします。
もし、私たち一般の人達がそのような扱いをマスコミでされ、全く関係のない赤の他人から同様な事された場合、アキバ系やアニメ好きの人々の様に警戒心を抱き普通に他人と付き合えないのではないでしょうか?

D君から言わせれば、彼等の「内向的」なイメージは社会やマスコミが作り上げた一種の虚像なのではないでしょうか?

彼等も共通の話題が無くとも根気良く話し掛け、彼等の趣味主張を理解する事によりかなりの確立で彼等は心を開きます。
実際、D君は彼等のコミュニティーに共通の話題を持たずに入ろうとしたら、かなり強い拒絶の意思を示されました。
しかし、彼等と一緒に行動するうちに打ち解けて今では一緒に出かけるほど仲良くなりました。

ただ、重要なことがひとつあります。

決して彼等の持つ感性を否定してはいけません。
彼等は常に自分の趣味に対するコンプレックスを抱いています。
重要なのは彼等の文化に理解を示すことです。
これは決してバーチャルに依存する文化に限ったことではありません。

世界には我々日本人にとって異様な文化がある事でしょう。
決して全否定をしてはいけません。
それは彼等にとって非常に重要な文化です。
その文化を認め自分の文化を知ってもらうことが重要です。
人のつながりと言うものは複雑であるが非常にシンプルな方法で仲良くなることできることでしょう。
地道な歩み寄りにより文化の差を埋める事に成功すれば、より穏やかな未来がやってくることでしょう。



追記・こんなこと書かなくても皆理解してるか…。

友人の一言

2006年09月29日 23時28分28秒 | 気持ち
今日から大学が再開。
そうそう、D君は休学していたので一年進級が遅れているので友人は皆三年生なのにD君だけ二年生なんですよね。

しかも、一年の大半を病欠していた為に単位に至っては一年生レベル…。
少し弱気になり友人に一言。

「おれ、どうして大学に進学したんだろ?」

すると友人は

「将来も今も、どの道を選んでも後悔は必ずある。後悔するのはしょうがない事、だから後で(今を思い出して)後悔しないように今頑張れば良い。」

と言われました。
その、友人の一言に感動したのでブログに載せたいと思います。
まぁ、後悔しても現状は変わりません。
なので頑張って挽回したいと思います。

う~ん。早く左下半身と右耳の末梢神経治らないかなぁ。

ハムとライオン

2006年09月28日 00時23分14秒 | 日常
今日はパリーグの最終戦でした。

正直、西武が昨日の時点で優勝すると思ってました。
日本ハムファイターズのまさかの逆転劇には驚きました。

いつもは日本のプロ野球を見ないのですが、今日はしっかり見てました。

七時半時点では西武ライオンズが優勝するはずでしたが、あれよあれよと日本ハムファイターズが逆転してしっかり守り優勝してました。

おめでとうございます。

ところで、今日。新庄選手はレギュラーシーズンは最終日だったんですよね。
背番号を「1」から「63」に変えて最終日に望むあたりは「SHINJO」を感じました。
引退セレモニーを見たのですがサポーターの応援が後ろで聞こえる中、涙をこらえセレモニー会場から退場する新庄選手と見て感動しました。

僕は頑張る人を見ると涙が出ます。
その一挙手一投足で人を感動させる。そういう人間になりたいですがまだまだ努力が足りなさそうです。

でも、ボクシング亀田興毅選手のタイトル試合は感動しなかった。
やっぱり、人としてのあり方でしょうか?選手としての態度でしょうか?
人気も大事ですが、それ以上にスポーツ選手である以上、人としての礼儀などがあるのではないのでしょうか?
パフォーマンスなんでしょうけど、あれではただの強いから我侭を言う人間だと思います。
あの、人間を見て色々なことを思う人がいることでしょう。
亀田興毅選手は嫌いではないです。
むしろ、目標に向かって我武者羅に努力をし、家族を思いやる姿は好きですが人に見られる以上、数多くの他人に影響を与えていることを自覚してほしいですね。

逆に特筆するならば父親です。
会見場でもリングでも、主役は選手。
父親でもセコンドはセコンド。
最悪な人間ですね。父親は嫌いです。
あくまで、息子はプロの選手です。
ちゃんとしてほしい。公私混同してますよね。

まぁ、初防衛戦となるランダエタ選手との再戦が楽しみです。
亀田興毅選手頑張れ!!今度そこ完勝してください。

休日と台風。

2006年09月22日 20時58分18秒 | 日常
なんと言うか、休日を狙ったかのごとく台風が日本に上陸しているような気がします。

先週は地元の友人と山奥に旅行に行く予定だったのですが見事に中止になりました。
そして、今週は週末にサイクリングに出かける予定でした。

おかげで最近、外で運動していないため非常に運動不足です。
フットサル用のシューズも買ってやる気満々の気持ちも雨に洗い流されてしまいました。

秋の長雨と言いますが温暖化は確実に日本の時間の流れや季節感を壊していくんでしょうね。

パソコンの設定…。

2006年09月19日 12時35分41秒 | 日常
以前にパソコンを自作していると言いましたがOSの入ってないノートPCにノートPC単体でOSを入れるのは一苦労。

Boot.iniなんてあるんですけどね。それを手動で入れるのが大変なんです。

でも、先日友人のOSを治そうと思ったとき意外にもCDを入れたらバイオスが勝手に認識してくれて動いたんですよ。
んで、設定を少ししたら動いたから楽チンみたいな…。
いやぁ、ホント便利な世の中になりました。

でも、赤帽なんて入れたら便利ボタンの設定をしなきゃいけない。
まぁ、無くても関係ないけどあると便利だから設定してみようと思う。
久々にマシン言語を使って入力するから本が必要かも…。
基盤のチップに対するアドレスってどうやって調べるんだろう?
トントン頑張ろう。

教育と力。

2006年09月16日 00時03分12秒 | 気持ち
教育に体罰は必要ではないですが、教育を行使するものにある程度の権力は必要だと思います。

学校とは集団生活を学ぶ場です。
教師への暴力がある現在の状況で学校で集団生活を学べるのでしょうか?

学校とは擬似的に理想的なミクロな社会を作り出せる格好の場だとD君は考えます。
そして、「学級」と呼称される社会を理想的な形にする手助けをするのが教師の仕事ではないでしょうか?

10人が10人同じ思考を持ち行動しているのであれば問題は無いのですが、人は十人十色です。社会を作るにはルール、要は約束事を作る必要があります。
実際、僕らの社会も厳密な約束事の上に成り立っています。
しかし、そんな約束事を守れない人間は「マクロな現実社会」や「ミクロな学級社会」にもいます。

そんな時、D君の生きる「実際の社会」では「警察」と言う治安維持機構が特別な権力を行使し約束事を守らせます。
しかし、「学級と言う社会」において特別な権力を持ちえるのは教師…と言う考えを持っているのはD君と同世代で学生だった人まででしょう。

現在、学校では「教師=生徒」の構図が薄らと見え隠れしています。
さて、こうなると学級の中で特別な権力を持ちえる「教師」と言う存在がいなくなってしまいます。
するとどうでしょう?「法があっても罰が無い」なんて言う、野放し社会が出来上がります。

さて、ここで言う教師の権力とは何でしょう?
D君としては
「良識ある行動へと生徒を正す際に行使する行為対して正等である場合において、例え生徒が損失を被ろうとも教師が咎められる事の無い権力」
と、思います。
難しいので、もう一度
「教師が体罰を用いて説教をした場合においても教師は恥じることの無い権利」です。

だって、そうでしょ?
誰だって飲酒運転して警察に止められ「罰金を払いなさい」と言われたら納得しますが一般人に「払え!!」と言われても納得がいきませんよね。

それと同じように警察の様にとは行きませんが、教師は学級に対してある程度の「権力」を持っていても良いと思います。
そうすれば、「学級と言うミクロな社会」を正しい形に持っていく事が出来ると思います。
そうでなければ教師は生徒を「臆する事無く正しい路へ導く」ことは出来ないでしょう。
悪い雑草は小さな芽の内に抜き取っておくのが一番楽な方法かと思います。



追記・しかし、D君も考えておきながら不安なのが教師でも良識が無い人間がいるもんで、そんな教師が権力と言いながら、一部政治家の様にお門違いの権力行使をした場合問題になるんでしょうね。
結局、ブログに書いても水掛け論にしかならないのが悲しいです。

未来への恐怖

2006年09月14日 23時24分48秒 | 気持ち
本日は二本立てです。

D君はよく経済関連のニュースや雑誌を読むのですがとある記事を読みビックリしました…。
なんと、『遊ぶための家庭教師』なんて物があるそうです。しかも、月々三万円。なんか、変な世の中になってきてしまいましたね。
(寂しい気がします。)
下記の内容と絡めるつもりは無いのですが、ますます世の中は僕らの常識が通用しなくなっていくのでしょうかね。

パソコンが家に無くて、インターネットが時間課金制で、ポケベルなんてあって、携帯電話にメール機能が無くて、ブラウン管でテレビを見てた世代のD君は歳をとったなぁ、と思います。

生き物とロボット。

2006年09月14日 20時34分08秒 | 気持ち
ロボットが『奴隷』から語源が来ている事は非常に有名ですが、最近のロボットは非常に動きが滑らかで徐々にロボットと生き物の境界線がなくなっているような気がします。

まぁ、実際の生物とロボットの差が小さくなる事は人間の持つ技術が向上している証拠なので大変良いことなのですが、ここで非常に危険な思想が生まれてきます。

「生き物の代用を機械にしてもらおう。」

これは肉体的な面に関しては非常に良いことですが、精神的な面を機械で代用をすることは非常に危険なことに思います。

機械は人間が設計して人間が組み立てています。
よって、壊れてしまってもプロセスや構造自体を自体を人間が完全に把握しているために修理も容易に行うことができ、パーツも簡単に交換が出来ます。
メンテナンスの状態によっては半永久的に最高の状態を保つことができます。
人間で言えば不老不死なのです。

さて、『人間の不老不死』これは人間が求めている永遠のテーマの1つです。

人間は非常に強い欲を持ちます。
好きな人とは一生一緒にいたい。愛おしい動物と一緒にいたい。もし、このような願いがあり。機械を利用することにより実現できるとしましょう。

あなたならどうしますか?

え?人間じゃないから、ロボットだから絶対にそれはない。

と思うでしょう。
しかし、世界にはマネキンに恋をした女性がいます。
彼女は人間とは遥かに差異があるマネキンとの結婚すら望みました。
すると、どうでしょう。
人間と見分けがつけようが無いほど高精度でそして自分の理想を完璧にかなえたロボットがいたとしましょう。
D君が思うには恐らく世界の人々は不完全で寿命を持つ生物と永遠に死なない好きな異性。永遠に死なない愛おしい動物を選ぶことが出来るならば後者を選択するでしょう。
すると、人々は何時かロボットと生物を同等のものとして扱うことでしょう。
しかし、ここで問題が発生します。

ロボットには死がありません。
しかし、人間には死があります。

すると、生命がこの世に誕生してからある概念の『生と死』はどうなってしまうのでしょうか?

そして、ここで怖いことが発生します。
生まれた時から生き物と機械の差異が無い世界で育った未来の子供達はどうなるでしょう?
仮にあるロボット動物ショップで本物と全く同じロボット猫を買って来るとしましょう。
その猫は排泄もしません。鳴いて欲しい時に鳴きます。そして、どんなに乱暴に扱っても壊れません。飼い主の言うことは100%守ります。
そんな、ロボットを生き物と思い育った子供は友達と喧嘩をする時、バットで殴っても大丈夫。また、自分が無茶な事をしても腕の交換が聞くから大丈夫。なんて、思ってしまう世界が来てしまうのでしょうか?

幸い、人とロボットの差で痛覚があります。
痛覚があることで人は学習して危険なことを見分けます。
すると、将来痛覚のあるロボットが出てくるのでしょうか?

D君が思うにロボットは苦痛を感じないことが最大の利点なので恐らく痛覚と言うものは永遠に付かないと思います。

一体、どんな未来が待っているのでしょうね。
どんなに人の技術や知識が優れても人間の持つ精神が優れない限りは永遠に本当の意味での快適な未来は来ないでしょう。
D君は技術より精神面での向上を先に進めたほうがいいと思います。

そんな事を「猫のロボット」のCMと「AIBO」を見て思うのでした。