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東京絵の具

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華林山 最勝院 慈恩寺

2010年04月14日 | 埼玉県
所在地:埼玉県春日部市粕壁(かすかべ)3-9-20

最勝院は新義真言宗智山派の寺院で、この付近は粕壁でも寺町と呼ばれていて、
最勝院のほか、妙楽院、成就院、王蔵院、普門院などの寺院が集まっていて、
往時の粕壁の趣を残している。最勝院の本堂西側の墳丘は、春日部市の「市祖」
春日部重行を葬ったものといわれている。

春日部重行は、南朝の臣として後醍醐帝に仕え、元弘の乱などに功を成した
ことなどにより、上総の国山辺南部とこの春日部の地頭職を任じられたが、
のちに、足利尊氏の軍勢と交戦し敗れ、京都修学院鷺の森で自刃したといわれる。
その後、重行の遺骨は最勝院にもちかえられ、境内に葬ったといわれている。

明治時代この最勝院は、粕壁小学校(明治五年)や粕壁税務署(明治四十二年)などに
利用され、広い境内は大相撲の地方巡業やサーカス、村芝居の興行、各種の武道大会にも
利用された。また、明治二十六年に粕壁から越谷、草加を経て足立区千住までも結んで
開業した千住馬車鉄道は、この最勝院を起点としている。



春日部実景の孫・春日部(糟壁)治部少輔重行(時賢)の墓と伝えられる塚。
現在の春日部市は、鎌倉時代の末期には、春日部氏の領地で、
名前が春日部市の地名の由来となったという説がある。

地名の漢字表記は、
  春日部         →南北朝時代
  糟ヶ邊・糟壁     →戦国時代
  柏壁・糟ヶ辺・粕壁 →江戸時代中頃以後
  春日部         →昭和19年の合併(粕壁町と内牧村)以後

毎年五月一日には春日部重行の慰霊祭が行われている。

石田明夫の考古学から見た「会津の歴史」のサイト「春日部氏と春日部市そして
福島県会津若松市高野町平塚
」には、豊臣秀吉の後北条攻めにより春日部を
追われた春日部氏の子孫が住んでいるとことが詳しく書かれています。