<前記事のつづき>
身は娑婆に在りながら、心は浄土に往生す・・・
皆さんも、遠くの事を思い起こすだけで、あたかもそこへ行ったような気分になること、おありでしょう・・・。東京へ行ってもいないけど、東京のことを思うだけで、東京に行ったような気分になるような・・・。
私も昨年、体験しました。ロンドン五輪・・・。当然、イギリス・ロンドンみたいな遠くには、私は行ってません。TVで見て、「ああ、凄いな・・・、あれが、ロンドンの街か。選手も頑張っているなぁ、凄いなぁ・・・」と、まあ、こう思っているだけで、既に私の心はロンドンですわ(笑)。
でも、五輪なんかには興味ない・スポーツなんか興味ない、という人は、どうでしょう・・・。その人たちの心は、ロンドンには行けてませんよね。ロンドン五輪と聞いて、私のように、見たいな・・・、行きたいな・・・、そう思った人の心が、ロンドンに到達できるんです。「聞いて、信じて、願って」、そしたら行けた・・・と、こういうわけですよ。
子どもは、もっと凄いですよね。すぐにいろんな所へ行けます。大垣の街中に在る「餅惣」さんというお店(皆さんもご存じでしょう)。あのお店の正面には、2匹のウサギが餅をついている「からくり人形」があるんです。先日も孫が、それを真剣に見てましたわ。人形のウサギが(ぺったんこ・ぺったんこ)と杵で餅をついている光景を、孫が首を上下に動かしながら、ずーっと真剣に見とるんです。孫はもう、ウサギの餅つきの世界に入り込んどるんですね・・・。私ら大人では、とても入り込めない世界ですが、孫は、いとも簡単に入っとる(驚笑)。
浄土は、心で行くんですね・・・。
「往生は心にあり、成仏は身にあり」と、言えましょうか・・・。
以上、3月27日(水)午前・午後。沼秋香師(郭町東の長勝寺さん)の法話から抜粋引用編集
身は娑婆に在りながら、心は浄土に往生す・・・
皆さんも、遠くの事を思い起こすだけで、あたかもそこへ行ったような気分になること、おありでしょう・・・。東京へ行ってもいないけど、東京のことを思うだけで、東京に行ったような気分になるような・・・。
私も昨年、体験しました。ロンドン五輪・・・。当然、イギリス・ロンドンみたいな遠くには、私は行ってません。TVで見て、「ああ、凄いな・・・、あれが、ロンドンの街か。選手も頑張っているなぁ、凄いなぁ・・・」と、まあ、こう思っているだけで、既に私の心はロンドンですわ(笑)。
でも、五輪なんかには興味ない・スポーツなんか興味ない、という人は、どうでしょう・・・。その人たちの心は、ロンドンには行けてませんよね。ロンドン五輪と聞いて、私のように、見たいな・・・、行きたいな・・・、そう思った人の心が、ロンドンに到達できるんです。「聞いて、信じて、願って」、そしたら行けた・・・と、こういうわけですよ。
子どもは、もっと凄いですよね。すぐにいろんな所へ行けます。大垣の街中に在る「餅惣」さんというお店(皆さんもご存じでしょう)。あのお店の正面には、2匹のウサギが餅をついている「からくり人形」があるんです。先日も孫が、それを真剣に見てましたわ。人形のウサギが(ぺったんこ・ぺったんこ)と杵で餅をついている光景を、孫が首を上下に動かしながら、ずーっと真剣に見とるんです。孫はもう、ウサギの餅つきの世界に入り込んどるんですね・・・。私ら大人では、とても入り込めない世界ですが、孫は、いとも簡単に入っとる(驚笑)。
浄土は、心で行くんですね・・・。
「往生は心にあり、成仏は身にあり」と、言えましょうか・・・。
以上、3月27日(水)午前・午後。沼秋香師(郭町東の長勝寺さん)の法話から抜粋引用編集
以下、3月27日(水)午前・午後
沼秋香師(郭町東の長勝寺さん)の法話から抜粋引用編集
<浄土に往生する>(浄土にいく)
私にも、孫がおりまして・・・。赤ちゃん(新しい命)は良いですなぁ・・・。この間も、うちで家族が少々ゴタゴタして嫌な雰囲気だったところ、「オギャー」の一声で全てを一変させてくれましたよ(笑)。赤ちゃんというのは、平和の世から来て、平和をもたらすのですなぁ・・・。
仏の世「浄土」も平和の世です。さて、この「浄土」にはどのようにして行くものでしょうか・・・。死んでから行くものでしょうか・・・。
『花びらは散っても、花は散らない
その人は逝っても、その面影は消えない』
これは、金子大栄という真宗の先生の言葉です。
形のあるものは、いずれ壊れます。諸行無常です。しかし、心はどうでしょう・・・。心にある花は散りません。人間ならば、身は滅んでも心は滅ばず、と言えましょうか・・・。
『信心の人は、その心、すでに、常に、浄土に居す』
(確か、真宗の法語カレンダーの昨年8月の標語だったと・・・)
この言葉はつまり、「心は浄土に往生し、身は娑婆に・・・」ということでしょう。浄土は、何も死後に行く世界じゃなんです。
「浄土があるよ」と、聞いて・・・、
「そうなのか・・・」と、信じて、
「それなら、その浄土に生まれたいなぁ・・・」と、願っておれば、
浄土に往生できるんです。行くことができるんです。
「聞」、「信」、「願」、これで浄土へ往生です。
浄土の事を聞いて、信じて、願う・・・、(浄土とは仏の世界ですから)これがつまり、仏を念ずる「念仏」なんです。
<つづく>
以下、3月26日(火)午前・午後、龍茂樹師(竹島町の善念寺さん)の法話から抜粋引用編集
<死にたい私>
高史明という先生がおられます。毎年、大垣別院にも来ていただいてお話して下さっています(毎月18日の大垣別院公開講座)。出版著書もございます。皆さんご存知でしょうか・・・。この方、息子さんを若くして亡くされておられるのです(息子さん12歳の時に)。
そういうこともあって、先生の所に相談に来る若い人も多いのです。ある時、中学生の女の子が「死にたい・・・」と、先生の所に相談に行ったそうです。そんな相談されたら、皆さんなら、どう応えられますか・・・。私も、どう応えたら良いか全くわかりません・・・。
「私は死にたい・・・」と、そう言う女の子に、先生はこんな風に応えられたそうです。
君は死にたいと言う・・・
なるほど、君には相当な苦しいことや辛いことがあったのでしょう。死にたいと言うのも当然でしょう・・・
しかしそれは、君の何が死にたいと言っているのでしょう・・・
君の「頭」や「心」が、そう言っているだけではないでしょうか・・・
君の「手」や「足」も、同じように死にたいと言っているでしょうか・・・
毎日、鉛筆を持ったり、物を持ったり、箸や茶碗を持ったり、してくれている君の「手」・・・
毎日、歩いたり、走ったり、階段を上ったりしてくれている、君の「足」・・・
毎日、何も言わずに黙って、君のために働いてくれている「手」や「足」も、死にたいと思っているでしょうか・・・
こんな風に、先生は応えられたそうです。
相談に来た中学生の女の子は、考えたでしょうね・・・
<死にたい私>
高史明という先生がおられます。毎年、大垣別院にも来ていただいてお話して下さっています(毎月18日の大垣別院公開講座)。出版著書もございます。皆さんご存知でしょうか・・・。この方、息子さんを若くして亡くされておられるのです(息子さん12歳の時に)。
そういうこともあって、先生の所に相談に来る若い人も多いのです。ある時、中学生の女の子が「死にたい・・・」と、先生の所に相談に行ったそうです。そんな相談されたら、皆さんなら、どう応えられますか・・・。私も、どう応えたら良いか全くわかりません・・・。
「私は死にたい・・・」と、そう言う女の子に、先生はこんな風に応えられたそうです。
君は死にたいと言う・・・
なるほど、君には相当な苦しいことや辛いことがあったのでしょう。死にたいと言うのも当然でしょう・・・
しかしそれは、君の何が死にたいと言っているのでしょう・・・
君の「頭」や「心」が、そう言っているだけではないでしょうか・・・
君の「手」や「足」も、同じように死にたいと言っているでしょうか・・・
毎日、鉛筆を持ったり、物を持ったり、箸や茶碗を持ったり、してくれている君の「手」・・・
毎日、歩いたり、走ったり、階段を上ったりしてくれている、君の「足」・・・
毎日、何も言わずに黙って、君のために働いてくれている「手」や「足」も、死にたいと思っているでしょうか・・・
こんな風に、先生は応えられたそうです。
相談に来た中学生の女の子は、考えたでしょうね・・・