「聞法」(もんぽう)とは、「仏法を聞く」ことです。
当ブログでは、今後時々、お寺やその他の場所などで聞いた「お話」や書籍などで読んだ「お話」等を少々ご紹介していこうと思いますので、よろしくお願いいたします。
今回は、その第1回目です。
※※※※※
聞法(その1)
「初心忘るべからず」
千利休さんが招かれて茶会に出かけた。利休さんを客に迎えた亭主は緊張のあまりガタガタ震え、茶杓にすくったお茶をこぼしこぼしという点前であった。お伴の者が嗤ったのに対し利休さんは、
「あっぱれな点前であった」
と賞めたという逸話が伝えられている。
〈茶の湯は手上手羨ましからぬもの也。手くらしな玉取をみる心地なり。又巧者も疎ましきもの也。油じみたるむさけあり〉
これは小堀遠州とも親交のあった久保利世の随筆「長闇堂記」の一節である。茶の湯の点前のあまりに上手なのは手品を見ているようでおもしろくない。どこかに『おれはうまいだろう』という驕りが見られてよくないというのである。
昔から「なれなければならないが、なれてはならない」といわれている。「惰性におちてはならない」の誡めといただくべきものであろう。ガタガタ震えながら真剣に取り組んだ初心の心を忘れるな、というのである。・・・略・・・
【財団法人仏教伝道協会発行の著「正しい見方」〈みちしるべ 八正道シリーズ(正見)〉から抜粋引用】
当ブログでは、今後時々、お寺やその他の場所などで聞いた「お話」や書籍などで読んだ「お話」等を少々ご紹介していこうと思いますので、よろしくお願いいたします。
今回は、その第1回目です。
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聞法(その1)
「初心忘るべからず」
千利休さんが招かれて茶会に出かけた。利休さんを客に迎えた亭主は緊張のあまりガタガタ震え、茶杓にすくったお茶をこぼしこぼしという点前であった。お伴の者が嗤ったのに対し利休さんは、
「あっぱれな点前であった」
と賞めたという逸話が伝えられている。
〈茶の湯は手上手羨ましからぬもの也。手くらしな玉取をみる心地なり。又巧者も疎ましきもの也。油じみたるむさけあり〉
これは小堀遠州とも親交のあった久保利世の随筆「長闇堂記」の一節である。茶の湯の点前のあまりに上手なのは手品を見ているようでおもしろくない。どこかに『おれはうまいだろう』という驕りが見られてよくないというのである。
昔から「なれなければならないが、なれてはならない」といわれている。「惰性におちてはならない」の誡めといただくべきものであろう。ガタガタ震えながら真剣に取り組んだ初心の心を忘れるな、というのである。・・・略・・・
【財団法人仏教伝道協会発行の著「正しい見方」〈みちしるべ 八正道シリーズ(正見)〉から抜粋引用】