第四不妄語戒とは簡単に言えば
人を惑わすことをしない
傷つける嘘を言わない
という意味です
そして
マニピュレーター(潜在的攻撃性パーソナリティ)の存在はその逆の存在として定義します
自分の望みを果たすために、攻撃意図を隠しながら相手を操って支配していく
他人を支配したがる人たち
マニピュレーターは
自分の起こした不適切な行動や態度を「取るに足りないもの」だとし
物事を自分の都合のいいように “わいしょう化” する
「重要な言葉を伝えずに嘘をつく」
「事実を捻じ曲げて嘘をつく」
自分の行動に問題があったとしても、その事実を認めようとしません
さらには、わからないふりをして疑問を投げかけ
相手の認識のほうが誤っていると見せかけようとします
意図的に怒りを表明することがあります
怒りを示すことで相手に畏怖心を抱かせ
自分に従うよう操作する
皮肉や当てこすりなどをすることで
相手に自身の能力や価値観について疑問を持たせようとします
そうして相手の不安感情をゆさぶり
罪悪感や羞恥心を抱かせる
意図的に
自分は「人に傷つけられた不運な人間」であると被害者を装い
良心ある人々の同情心を利用しようとします
こうした方の治療は
心理学的療法では解決するのは難しいと思います
根本的に目的が分からない事が多いからです
自分の思い通りに人を操り
目的を達成させたいという気持ちがあるのは間違いないのですが
まだ理解が浅い気がしています
自覚のあるサイコパスとも似ても違う
なぜマニピュレーターの説明とその対策について
書いたかというと
宗教の中でもそういう類の方が一定数いると思います
その中には純粋に仏に使えるという気持ちはなく
何か別の目的をもって宗教活動をしています
特に
宗教の世界に身を置くと
その存在を把握します
そして
私自身も支配されそうになります
心理学者の私から見ても
何がこの人をそこまで突き動かすのか?
と逆に感心するほど高度な知識や話術、行動を
適切なタイミングで
適切な量だけ使ってきます
危険を感じるほどではないでしょうが
日常的に
会社や家族、友人関係でも
潜在的なマニピュレーターの人はいると思います
よく言えば器用で人の扱いが上手く
誰からも可愛がられる
その結果
社会的地位を手に入れてより穏やかな過激な行動をする
よくいない言い方をすると
ずるい人です
マニピュレーターの人を相手にすると
知らないうちに支配され
人生を操られ
その人の信者のような存在になります
拡大解釈をすると
テレビやネットで活躍する人も
マニピュレーターに近い存在の人がいると思います
優しい声で誰よりも優しい態度と言葉を選び
貴方のありのままを受け入れ
共感し癒しながらも応援する
ここまでは良い人だな
で終わりますが
日本人は受けた恩は返すという律儀な性格の持ち主なので
何かお礼をしたくなります
それが結果としてお金を渡す事になります
ここまでも問題はありません
問題は自分の生活を圧迫するほど
貢いでしまう事です
クレジットで支払うことが多いので
いくら使ったのか?
分からない人もいます
その結果
借金をする
その頃には無責任に相手はいなくなる
訳ではないのです
マニピュレーターは自分が全てであり
他人の負担で罪悪感を感じません
この歪んだ関係と経済的な課題で体調を崩して
精神科に来る方が増えました
コロナで不安と孤独になりやすくなった時期から比例して
増えたと思います
本人には病識はなく
家族が進めたり連れてきたりするケースが多いです
その場合
まず本人に病識がない為
治療が進まないのです
そしてこの状態に適切な病名をつける事も難しく
自律神経失調症や抑うつ状態
が限界で
今のICD11やDSM5に該当しません
つまり医療行為を受けることができない
今後精神疾患になる可能性がある潜在的な人という事になります
こうした医療では対応できない事を
仏教方面で予防的フォローをしてますが
一人で活動している私にも限界はある
という事を最近痛感しています
そこで以前から進めていた計画が実現可能な範囲まで来たので
行動しようと思っています
それは
仏教と心理学を合わせた
心理士、カウンセラー、ソーシャルワーカー
の新しい取り組みです
似た活動はありますが
対象と専門性の高さを重視しています
そうした協会を設立して体系化し
活動者を増やさないと
予防的ソーシャルワークを続けるのは難しいでしょう
早く結果が出したいのなら一人でやるのがいい
大きな事をやり遂げたいなら仲間を作る必要があると
私は今までの経験の中で学びました
不安要素はありますが
不安や課題がない日などありません
むしろ
一生懸命考えたら
何も考えないで行動する事が
解決に向かうのです
院内でカウンセラーとして仕事をしている内は
問題の本質にたどり着けません
アウトリーチをして
病識がない人へアプローチをして
予防的医療の役割の重要性を体験してからが
スタートラインです
ここでまとめに入るのが文章の流れからは良いのですが
どうしても伝えないことがあります
日本が抱えている問題の中で
最も最優先に解決するべき問題は
引きこもっている人の心のケアと健康的な生活を提供する事です
15歳から64歳までの年齢層の2%余りにあたる推計146万人です
これは引きこもりと判断する基準を満たしている人の数で
基準ギリギリの人もいます
世間体の悪い統計データは低く算出されるので
実際は倍以上いると経験値から確信しています
看護師・精神保健福祉士・作業療法士・精神科医などからなる多職種チームアプローチであること利用者の生活の場へ赴くアウトリーチ(訪問)が支援活動の中心であること
365日24時間のサービスを実施すること
こうした活動を私は続けています
実戦から学んだ経験からまだ確立されていない
実戦的な形式の作成など長年関わっていますが
問題も多く
一番の悩みは途中で諦めてしまう人がいる為に
活動が広まらないのです
私は
このACTの活動に参加しながらも疑問と不可能な部分を見つけていいるので
私が独立して協会を立てて行動する事にしました
疑問と不可能については
24時間のケアを多くの人に届ける事はできない
その理由は
専門家集団で活動する事を前提にしているからです
専門家は貴重な存在で
それでいて人手不足です
敷居が高すぎる事に妥協しないやり方が
このACT単語が国として活動しているのに
広まっていないのが一つの証拠です
5000文字を超えてここまで読んでくれた方には感謝しかありません
ぜひ
応援してください
まずは活動そのものを多くの人に知ってもらいたいので
ブログランキングのクリックや今後Twitter、YouTubeで活動内容を
情報提供と活動状況を報告していきます
一緒に
既存の概念を変えて歴史を変えていきましょう
誰でも支援者になれる
カウンセラーになれる
そして
活動の中心的自分物になれる
私たちの活動が
良い行いで徳を積むべきものに値するものだと
今後の未来が応援してくれるでしょう
全ての生きとし生ける命の平等と
結びつきによる物の
成り立ちという変わることのない真理を説き
自らの行いによって
全ての関わりある世界が輝ける事を願いましょう
その参加者になりましょう
仏教、心理学、そして私の生きざまとして
私の解釈でお話していきます
三帰依文とは家族、友達、他人、全ての生命の平安と世界平和を願う
言葉です
その中に仏様、法、僧の三つの戒律があります
下記の言葉です
南無帰依仏
南無帰依法
南無帰依僧
読みにくい漢字です
読めなくていいです
これは言葉や言語であり
つまりは知識です
試験のために覚えるわけではないので
知識として
学ぶことは仏教の本質から離れてしまいます
ではなぜ仏様の教えを言語化し
和文まであるのか?
これはあくまでも
人間が仏様は
こうお考えだろう
と作られた言葉です
本当に仏様がそう考えているのか?
それは私たちには
分からない事です
言葉も時間もお金という信用で成り立っているもの全て
人間が作ったものです
この人間が作った概念から解放される事が
目的だと私は考えます
忙しいと毎日時間に追われてつらい思いをするなら
時間という概念を捨てなさい
しかし
何が書かれているのか
和文が気になると思います
仏教と言っても
たくさんの宗派があり
同じ言葉でも意味合いが違います
同じなら
同じ宗派を信仰すればいいのです
私が出会ってきた
全国の和尚様の考えと知識と経験から
総括して私独自の和文に書き起こします
過去、現在、未来を信じて
理想に向かって努力します
努力し、そうあり続けることが大切です
私たちでは変えることができない
法則や世界が
私を包んでいます
何事にも
心を開いて
嘘偽りのない
私の真実の姿を
求めて追及します
素晴らしいご縁に
毎日包まれています
私は幸せです
だから
生きるもの全ての
人や生命を
大切にし
感謝していきます
私の解釈はこうなります
精進します
を前提に
前向きな考え方が
現代人には必要だと私は考えます
あまりに厳しい教えは
一般の方には
理解できないと思います
そこまで厳しい生き方が必要な
世の中で
世界を変えたいと思うなら
行動しましょう
私個人の意見として
今の日本、世界で生き残るのは
精進し、修業が必要なほど
過酷だと思っています
そう考える
直近の理由として
内閣府が発行している
障害者白書等に書かれている
政策の内容が
この世界の厳しさを
物語っていると思うからです
自殺率等、色々な統計データが載っているので
知りたい方がいれば
別の機会に
お伝えします
とにかく
過酷な毎日に
人は救いを求めています
それが
僧侶やカウンセラー、スピリチュアルな世界
占い、ヨガ等
その中に救いがないか?
探し続けていいると思います
そこに
難しい言語で教えを説かれても
疲労した人間は
思考力が落ちるので
理解するのが
難しいのです
当たり前のことです
なので
和文を書きましたが
さらに
分かりやすく
より現代的に分かりやすくニュアンス重視で書き起こします
色々考えても
結局は
自分を信じる事が
何より重要です
そして
その信じ方は
ポジティブな気持ちで生きましょう
不運な人を見つけて助けたくても
難しい時があります
そんな時は
仲間を頼りましょう
その仲間と一緒に励ましてあげましょう
人は自分で回復する力を持っています
その人を信じてあげる事も
助けになります
人と比べて自分の
悪いとこ探しはやめましょう
ほとんどのことは問題なく
出来ています
そして
今より苦しい時代を
貴方は乗り越えていきています
自分の生きてきた道を
見失わないでください
立ち止まらないでください
やりたい事があれば
それを最優先にしましょう
やりたい事について
全力で真剣に考えましょう
行動を始めたら考えるのはやめましょう
あとは自分を信じ
信じぬくだけです
困難な事もありますが
逃げ出さないでください
困難がない日などありません
解決しても次の困難が待っています
それより
新しい自分を開発し
成長し
前に進みましょう
そして
成し遂げたこと出来たことを
自分で自分をしっかり褒めましょう
ガラスにうつった自分の姿は
誇らしいものです
才能を伸ばしましょう
才能とは
ついつい貴方がやってしまうことです
そして
才能は一つではありません
無限にあります
その才能を足していくことで
新しい自分に近づけます
新しいオリジナルを作るには
才能を見つけて
才能を足していくことで作れます
仕事はやりがいをもって
楽しくやりましょう
そう思えないなら
辞めましょう
お金より健康のほうが大切です
良い行いをして生きている人には
貴方を必要をしてくれる
素敵なご縁があります
自信を持ってください
いつ勇気を出しますか?
夢を見ることは何も問題はありません
しかし
冒険をしない事は問題です
同じところで経験を積んでも
新しい発見はありません
同じ出会いに
同じようにワクワクすることは難しいのです
人生の寿命を自分で決めましょう
大体で良いです、適当でいいです
大事なのは
今この瞬間
大切に生きていける思考や考え方を
手に入れて欲しいからです
夢を諦めた人を追わないで
貴方の夢を自由に追いかけましょう
何歳でもスタートを決めるのは貴方です
生きがいこそ人生です
その輝いている貴方を見て
周りも輝きます
それでも感謝の気持ちを忘れないでください
以上となります
こうしたストレスを減らして生きがいを
持つことで
免疫力が高まり
病気になりにくい
または病気が回復する
という科学的証拠が
精神神経免疫学
に書かれています
ここまで読んで
少し
自分、やれそうと思ってもらえたら
嬉しいです
「三帰依文」
という四文字の中にこれだけの教えが込められています
人により解釈も違います
なので
冒頭で書いたように
知識として
学ぶことは仏教の本質から離れてしまいます
経験と五感そのままで良いのです
世界中の人々の
幸せと安寧を
願い祈り行ずる
鉛筆で字や絵を描けば、削れていつかは無くなります。
これを「無くなった鉛筆はどこへ行ったのか?」
本当に無くなったのか?
実は
その削れた鉛筆で
素敵な文章や誰かを感動させる手紙に変わっています。
心が喜ぶ素敵な絵に変わっているのです。
つまり
無くなったと自分だけ思い込んでいるだけで
実は自分の周りにはとても素敵な物や世界で溢れています。
その視点を身につける方法は
大きな視点と小さな視点を持つことです。
人は落ち込めば自然と体は下向きになり
視野が狭くなります。
そうすると
視野が狭くなってしまいます
しかし
視野が狭いことは悪いことではありません。
注意深くなり、より細かく、些細なことに気づく力があります。
しかし
視野が狭い世界で生きるほうが人間の生命エネルギーを多く消費するため、非常に疲れます。
姿勢を意識して、下を向いている、と気づいたら
思い切って上を見ましょう。
大きな視野を手に入れましょう。
大きな視野を手に入れると
「なぜこんな小さなことで悩んでいたのか?」
と気づきます。
この大きな視野と小さな視野を繰り返す事が
特に物に対して感謝をする事ができるようになります。
人に感謝をする事は出来ますが、物にはなかなか感謝はできません。だからこそ、視野を意識して訓練して、感謝の心を育てて、手に入れてください。
身土不二は
案外、人間とは単純な生き物です。
つらい日々の中に少し良いことが見つかると
楽しく生きれるものです。
好きな人ができた。
欲しかったものが手に入った。
誰も気づかないところをほめてもらえた。
認めてもらえた。
他人に親切にされた。
私は
朝ウォーキングをしている時にエネルギーをもらいます。
美味しい空気や
人がいない水辺の美しさに感謝する。
誰にも頼まれていないのにゴミ拾いをしている人を見て尊敬する。
歩いた後の水のおいしさ。
そして
特に約束もしていないのに
いつもその時間に顔を合わす名前も知らない仲間。
そうした
自然や人間関係の中から
「感謝」する気持ちが
体力や精神力を回復させ
補ってくれます。
人生で大切なものは
お金より
健康です
そして
健康より
大切なのは
「生きがい」
です。
そこに
名前も知らない仲間がいれば十分
充実した毎日が送れます。
お金を稼ぐために体を壊しては
何のために働いているのか?
理由はあっても自分自身に納得はできません。
健康にこだわりすぎて
酒やたばこ、夜更かしの中で得られる
心から楽しいと思える時間が無ければ
健康であり続ける意味が見出せません。
金も健康もストレスには勝てません。
ある程度の妥協を選択しながら
ストレスをコントロールして
生きがいを持って生きることこそ
人生だと思います。