民主団体とお互いを呼び合う団体があるが、それらの団体は民主的でないこと。それは共産党の影響下にあり、共産党が民主的でないから民主的になれない、と私は結論を出した。
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日本共産党の国会議員候補だった人に「岐阜県知事選挙雑感」の文章をメールで送った。「もう支持は出来ないよ」のつもりで送った。するとその人は、私の留守中に家に来たらしい。私はメールで、文書で出したもの(メール)に対して、もし返答を下さるのであれば記録に残る文書(メール)でお願いします。と書いて送った。
すると2日後、メールで以下の返信があった。
土曜日に街頭宣伝で近くまでお邪魔したので、ご在宅ならご質問の趣旨など詳しく伺って、これからもご支援願えればと伺いました。
私は、文章も自分も気持ちを伝えるのも得意ではないので、直接お顔を見ながら時間を掛けてお話した方が良いと判断して、ご都合も聞かずに伺って申し訳ありませんでした。
「つくる会」に参加している新日本婦人の会が、選挙カンパの目標を決めて会員の皆さんや支持者から募金を募って選挙資金をつくる事は、構成団体の一員として当然のことですが、会費から選挙資金を納めるというのは「新日本婦人の」会」の趣旨からしても、会員の了解が必要でしょう。
実は、共産党も参加政党として大きな責任を負っていますが、読者や支持者からのカンパが集まらなくて「一般財政」から建て替えて納めることがありますが、期限の決まった選挙費用はまった無しで支払いをしなくてはなりません。
今回取られた「供託金」も、このお金がなければ立候補もできません。どこかで用意をして選挙をたたかい、戻って来たら返すことも可能でしたが、没収されてしまっては「お返し」することもできません。
今回どうしたかは解りませんが、4年後の選挙の時は間違いなく「もっと早くから準備しておかなくては、選挙戦もたたかえません」よって、「新日本婦人の会」が知事選挙の資金をどのように準備されたのかは十分な情報がある訳ではありませんが、幹事団体、候補者選出団体として、選挙資金の調達に一定程度責任を持って取り組んでみえたのだろうと、一会員としても元県本部委員としても推察するばかりです。
今回の知事選挙は、新婦人の奮闘と候補者の決意に深く感謝し、敬意を表したいと思います。
新婦人の会長さんが候補者となられて、会員の中にも「戸惑い」が生じた事は否めないと拝察いたします。
私は、新人の江崎さんがいい、若い新田さんがいい、ベテランの古田知事がいいと、意見が分かれたとしても「つくる会」の参加団体として、会長が立候補を決意して下さった事を、私たち会員は「県政の学習」を通じて、県議会への要請を通じて実感していましたから、「保守分裂」のチャンスを生かして初の女性知事が誕生すれば、どんなに岐阜県の遅れた福祉や教育・文化行政が変わるかと、ワクワクと選挙戦をたたかいました。
会員の中に、色んな会員や意見があったとしても、最後は個人の考えを尊重して「稲垣さんに必ず投票しなさい」ではなく、古田県政を変えるには誰がいいのか、力不足で当選できなくても「自分たちの考えを届けよう」と、いながい候補の訴えや「つくる会」の合意政策を訴えて、支持をお願いしてきました。
そういう意味では、11月の新婦人県本部委員会で「会長が決意してくださった」ことを一番喜んだのは新婦人の皆さんで、選挙戦を一番がんばったのも新婦人の皆さんだったと聞いています。
私も、あんな素晴らしい候補者を当選させることができなくて、悔しくてなりません。4年後は、もっと力を付けて「野党が全員」で岐阜県政を県民本位に変えようと思えるような岐阜県にしておきたいです。
今度の総選挙で、菅政権を倒し「野党連合政権」ができれば、岐阜県でも野党統一が実現できるのではないでしょうか。
保守王国岐阜の終わりを4年後には見たいものです。そのためにも、今度の総選挙は負けられません。3年前の野党共闘が分断されそうになった時も、その旗を高く掲げてがんばったのは日本共産党でした。
今度は、野党共闘の勝利と日本共産党の躍進が、国民本位の民主的な日本をつくる鍵だと信じて全力で頑張ります。ご支援をよろしくお願いします。
やはりおかしい
返信を読んで3点見解の違いがあったので返信した。
1つめは
「つくる会」に参加している新日本婦人の会が、選挙カンパの目標を決めて会
員の皆さんや支持者から募金を募って選挙資金をつくる事は、構成団体の一員と
して当然のことですが、
の部分
選挙資金を支持者から集める、というのは私も正しいと思う。しかし、その集め方が強制にならないよう注意が必要。
私が若かった頃、社会党系の組合の中で政党支持の自由を求めて長年戦ってきた。選挙資金でもめたのは組合の集会中に組合活動として選挙カンパを集めること、また目標額を決め1人いくらと請求すること、選挙カンパと他の集金(組合員なら当然払う性格の集金)を組み合わせ合計○○円という集め方、等だった。
選挙カンパは、出す出さない、金額をいくらにする、は個人の自由。新婦人の会員個人の政治活動は自由だから、選挙資金カンパは新婦人会員に頼るのではなく支持者に頼るべきだ。
2つめは
会費から選挙資金を納めるというのは「新日本婦人の」会」の趣旨からしても、会員の了解が必要でしょう。
の部分
会費から選挙資金を納めるというのは、会員が了解してもアウト。会員に了解を求めることも不当だと思う。
なぜかというと会費は、政治活動の自由を有する会員が、会の活動のために出したお金だから。会費を選挙資金に充てるということは、会の活動でなく特定候補の選挙ために使うことだから、会員の了解のありなしに関わりなく不法。会員個人の政治活動の自由を侵害している。私からみれば民主主義ではない。
会員に了解を求め、了解されたら会費から選挙資金を納めて良いという考えは○○さん個人のものだと思うが、新婦人の県本部、中央、日本共産党の考えも同じなのか。大変気になる。
私は若かった頃、組合費から社会党の選挙資金を出すなと言って長年戦ってきた。
3つめは
「会長が決意してくださっ た」ことを一番喜んだのは新婦人の皆さんで、選挙戦を一番がんばったのも新婦人の皆さんだったと聞いています。
の部分
新婦人の会員には色々な思想の人がいる。新婦人の会会員の思想信条は自由だ。ところが上記の文では、新婦人の会員が「皆さん」と束ねられ、稲垣さんの立候補を一番喜んだとされ、選挙戦を一番がんばったとされている。便利に都合良く束ねられている。
本当は会員の1人1人が自由に考え、選挙運動するのもしないのも自由、好きな候補に自由に投票できたし、投票しない人もいたと思う。私は喜ばなかったし、選挙は他の人に投票したという人もきっといると思う。
文の結びが゜聞いています」だから、誰か他の人が言ったのかもしれない。でも書いた人は「皆さん」と束ねる言い方に違和感を持たなかったから文に書いたのだ。
このような束ね方をする文章を読むと、私は書いた人は全体主義的、権威主義的、独善的思想の持ち主と思ってしまう。民主主義には遠い人だと思う。私の知るところではこういう言い方は共産党員に結構多い。言葉の端々に思想は表れると思う。
返信文には3点しか書かなかったが、もう1点おかしなところがある。
今回の知事選挙は、新婦人の奮闘と候補者の決意に深く感謝し、敬意を表したいと思います。
と書いている点だ。
新婦人の奮闘に感謝し敬意を表すというのは、共産党は新婦人が新婦人の組織のまま選挙運動することを期待していると言うことだ。選挙団体でないNGOが組織ぐるみ選挙するのを期待するのは民主主義ではない。
この文から新婦人は共産党の指導下で、選挙のために使われる組織で、また新婦人役員の多くはそれを受け入れていると私には見える。
やはり民主主義にが一番大切だと思う。
追記
元国会議員候補○○さんが勝手に都合良く束ねている箇所がもう一つあるので指摘しておく。
私たち会員は「県政の学習」を通じて、県議会への要請を通じて実感していましたから、「保守分裂」のチャンスを生かして初の女性知事が誕生すれば、どんなに岐阜県の遅れた福祉や教育・文化行政が変わるかと、ワクワクと選挙戦をたたかいました。
と書いているところだ。
ワクワクと選挙戦を戦ったのは、○○さんであったとしても、新婦人の「会員全員」ではない。それを「私たち会員は」、と勝手に都合良く束ねている。会員はみんな、ワクワクと選挙戦を戦った、とされてしまうのだ。これは共産党の独特の表現法か。こんなところにも全体主義が表れている、と私は見る。