私小説的今日

昨日と今日、そして明日
「一つの絶望を別の絶望に、一つの混沌を別の混沌に、言い換える」

不眠症の明けない夜明け~人生最悪の時10

2011年06月24日 | 小説
人生最悪の時10
僕の情熱は今や流したはずの涙より冷たくなってしまった
どんな人よりも上手く自分のことを詐れる力を持ってしまった
大事な言葉を何度も言おうとして
吸い込む息は胸の途中でつかえた
どんな言葉で君に伝えればいい
吐き出す声はいつも途中で途切れた
というのはスガシカオの黄金の月という曲の歌詞だが何故この歌詞を引用したかというとそれに意味はないというのがいつものパタンだが今日はちょっと違ってこれには実は意味があるというのもオレはスガシカオの屈折した詩が好きだったという過去形になっているのはそれが過去のことだからであり売れる前からスガシカオの可能性を見出していたものとしては売れてから好きになったファンに対して優位であり差異を見せつけたいというオレの屈折した心根を表現するにはもってこい女将の事例であったためにこのように行を割いて述べた訳であるなんてことは誰も知らなかったであろうことは確かだ。またオレが人生最悪の時を過ごしていた1994年頃スガシカオもまた人生最悪の時を過ごしていたであろうということが実はこの物語に通底していることはスガシカオファンであればわかるだろうがこれを読んでいる人の中にスガシカオファンはそうそういないだろうからあまり意味がないのであるが初めて知った人は覚えておくがいい。オレは売れる前からスガシカオを認めていた。彼の1stアルバムのcloverの発売当日にそれを買ったオレは前人未到のハイジャンプという名曲を何度も聞いたことを今懐かしく思い出したではないか。一見無駄に見えることも書いてみると思わぬことを思い出して楽しかったりするでしょう。
で、何が言いたかったかというとオレはそろそろこの文章を書き続ける情熱が流した涙より冷たくなってしまい自分のことをどんな人よりもうまく詐れる力を持ち吐き出す息が途中で途切れる状態になりつつあるということを言いたかった訳で、今日は朝から一行も書かずに一日を終えようとしていたら大事なことをひとつ思い出したので仕方なく書き始めたのであった。何が大事かというとオレが借りた四本のビデオの最後の一本について話していなかったことを思い出したのだがそんなことを気にしている人はいないことはわかっていても当人であるところのオレが気になっているので仕方ない書こう。
四本目の映画はゲーム・オブ・デスという題名でそれなりに面白そうだったので昨日の夕方見始めたところ予告編パートが長くなかなか本編に入らない。しかも早送りができない仕掛けになっているところがTSUTAYAの策略なのかどうかは一度社長に会って聞いてみたいものだがとにかく本編の3分の1位の長さはありそうな予告編パートを見終えた時には疲れ果てて本編を見る気が失せていたのはオレばかりではなくたまたま通りかかった老母も同じであった。ゲーム・オブ・デスというかゲーム・オーバーです、という感じのDVDであったことは強く訴えておきたいという今や流したはずの涙よりも冷たくなってしまった情熱の残滓を汲み取って一生懸命書いているオレの姿を思い浮かべて欲しい。こうしてオレはようやくTSUTAYAで借りた四本のDVDのことについては筋を通して書くことができたので駅前のTSUTAYAまで歩いて返しに行く途中にiPhoneで件のスガシカオの曲をたまたま聞いていたという訳であると書いたところで賢い読者はこの話が大嘘であることにはもうお気付きでしょう、だはは、というところでマイルドセブンの時間です。







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