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マイク・ベルナルド 引退

2006年10月01日 12時27分30秒 | 格闘技・プロレス
「K-1 WORLD GP 2006 IN 大阪~開幕戦~」(9月30日・大阪城ホール)の第5試合終了後の休憩明け、現役引退を表明していたマイク・ベルナルドの引退セレモニーが行われた。

 万雷の拍手を受けリングインしたベルナルドに角田信明競技統括プロデューサーと藤原紀香さんが花束を贈呈。引退を告げる10カウントゴングのあとベルナルドは「みなさんと一緒にたくさんの思い出を作りました。みなさんのこと一生忘れません。長い間お世話になりました」と日本語でメッセージを送った。

 ベルナルドのコメントは以下の通り。

■ベルナルド 「みなさんのこと一生忘れません」

『 コンニチワー。(水色のハンカチで額の汗をぬぐう)残念ながら、引退させていただきます。みなさんと一緒にたくさんの思い出を作りました。みなさんのこと一生忘れません。長い間お世話になりました(ここまですべて日本語で)。

 今日自分がここにあるのはトレーナーとして支えてくれたカラコダ氏のおかげです。彼の存在なくして日本での成功はありませんでした。そしてK-1スタッフのみなさん、日本のファンのみなさんにお礼を申しあげたいと思います。私のことを忘れずに心のどこかにとめておいてください。』



■マイク・ベルナルド略歴

 1969年7月28日生まれ。南アフリカ共和国・ケープタウン出身。愛称は「豪腕」。

 1995年のK-1グランプリで初来日、当時絶大な人気を誇ったアンディ・フグをKOに下しグランプリ初参戦にしてベスト4の成績を収める。

翌1996年のグランプリ準々決勝ではピーター・アーツにKO勝利するも準決勝でジェロム・レ・バンナに敗北、前年と同じくベスト4にとどまる。

1997年のグランプリでは準々決勝で、98年のグランプリでは準決勝で、両年ともにアーツに敗退。

1999年のグランプリ開幕戦で当時無名のミルコ・クロコップ(当時、ミルコ“クロ・コップ”フィリポビッチ)に敗退、

翌2000年の決勝戦でふたたびミルコとの対戦となるが、1RTKOのリベンジを果たし悲願の初優勝を果たす。

 翌2001年の「イノキボンバイエ」では高田延彦とMMAルールで対戦、ドローに終わる。

 以降、マーク・ハント、ステファン“ブリッツ”レコらと激戦を繰り広げ、トップ戦線への返り咲きが期待されるも2006年に引退を表明。2003年のグランプリ開幕戦、アレクセイ・イグナショフ戦がK-1最後の試合となった。
 K-1戦績53勝(42KO)18敗3分。



http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/k1/column/200610/at00010782.html

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