介護疲れ、
介護離職、一家心中、、、
なぜ私だけ、家系の被害者、という意識からの脱却
仮に親と同じ天中殺として生まれたなら、そこには深い意味があります。
50代/介護/同じ天中殺を受け継ぐということ|柚木ひなた(ひなた)
50代になると、 親の介護問題等で悩まれる方が多くなります。 誰が親の介護をすると良いのか、それは占い的、私の勝手な解釈だと親と同じ天中殺の方です。 というのは、仮...
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50代になると、
親の介護問題等で悩まれる方が多くなります。
誰が親の介護をすると良いのか、それは占い的、私の勝手な解釈だと親と同じ天中殺の方です。
というのは、仮に反対の天中殺の場合(親が戌亥で子供が辰巳その逆も然り)、運気の奪い合い、運気のシーソーが起きます。
親をどれだけ介護しても、基本的に介護のゴールは、親に健康になってもらって再び社会復帰をしてもらうためではありません。親に穏やかに晩年を過ごしてもらうためですので、その時期に運気の奪い合いをするとなると、その際に親と自分の間でゴタゴタが起きます。
親の晩年、介護の時期になってまで親と喧嘩したり、そういうゴタゴタを起こすことはご自身のため、そして親のためにも避けたいですよね。そして、運気の奪い合いということは、今の時代50代くらいのまだまだ働き盛りの子供の年代にとって、それはとても大変で、運気上親とシーソー、奪い合うこと自体が不毛なことでもあります。最期が良ければすべてよし、なんです。ですので、正反対の天中殺の場合で子供が自分一人しかいない場合は施設に早々に預けることも考えると良いでしょう。
同じ天中殺の場合は、なんだかんだといっても、思考法、大切にするものが似ているんです。似ているからこそ、嫌悪を感じる方もいます。しかし、介護の場合でその意思疎通を最初からしないといけない、しないとわからない状況は、お互いにしんどくなります。ただでさえいつ終わるか未知のしんどい介護でお互い違う天中殺である場合は、親、子どもお互いに”なぜそういうことをするの!?”とそのまま怒りとまではいかなくても不満をそのままぶつけ、でもぶつけられた側もその意味がわからない、、、そして苦悩の連続になってしまうことが多いんです。
親と違う天中殺で介護をする場合で順調に介護できる、その場合は、本当にお互いの仲が良く、尊重できる大人の親子関係を昔から築けている場合に限られます。
同じ天中殺の場合は、例えば親が戌亥天中殺ではみ出し運で、子どもも戌亥天中殺の場合、子どもが生まれる時点で、親は無意識下で、子どもを産んだ後、はみ出し運的な生き方はできない、ということがわかっていた、ということで、そこに生まれる子もまたそこに同意して生まれてきています。
一般的に20代から30代に子供を産むことになる女性のそれまでの生き方によって、そこで生まれるお子様が親と同じ、ということは子供を産んだあと、色々な要因で親は天中殺通りに生きられない、だから子どもの助けも借りる、ということなんです。ですので、結果的に相互依存的関係になりやすいのが同じ天中殺の場合です。しかし、その相互依存的な関係になる、それは親が子供を産む時点で自分の人生をある意味諦めないといけない事態になったから、それを子供が助け、助けられ、親と子一体になって、はみ出し運的な生き方を実践する(戌亥天中殺の場合)ということです。
相互依存的な関係が同じ天中殺の場合は普通なんです。相互依存的な関係というと悪の印象がありますが、しかしそうではありません。それは、親と子、お互いに許可して生まれているわけですから、ある程度大人としての距離を保ちながらも完全に断ち切れない関係であるそれについて不満を感じる方向に生きるのでなく、共同体として一緒に人生を向上させていこうという心持で親と接したり、介護をすると自分の人生もさらに向上します。
なんだかんだといっても、違う天中殺の子供からすると、意識が親に良い意味で向かわないことが多いです。似てないから、わからない、わからないことは普通だよね、と自己完結型の思考になるので、介護をしようとも、親が何を大切にしているかわからないし、それは自分の気持ちも伝えられない、ということで違う天中殺で介護をする場合、そのファーストステップが親子関係が昔から悪い場合ほどたいへんです。
とはいっても、違う天中殺の場合は、親と悪い関係にもなれないことが多いです。お互いになんとなくわからないから、疎遠、家を出る、そしてそのまま、そして親が死んだ、と連絡がきて、お葬式には出席する、そこにどこか他人感というか、同じ天中殺の場合の方からすると薄情、一方で、違う天中殺からすると、依存関係、と見られます。
そういうこともあり、他の兄弟もいるし、と思って介護を見ないようにしていても、何もしてくれない兄弟なのは、親とその兄弟は違う天中殺である可能性が高いんです。結局同じ天中殺の子供がすることになってきます。すぐに施設に入れる場合など、その手続きはその兄弟がしてくれても、そうでなく自宅介護で近距離で長くいないといけない関係となると、それがたとえ親でもその仕方がわからない、となるので、同じ天中殺の兄弟に全て丸投げになることがあります。
同じ天中殺の場合の子供からすると、なぜ自分だけこんなことに、、、と思われる方もいると思います。親からは親の勝手な期待を押し付けられて育つことにもなりやすいのが同じ天中殺の場合です。しかし、それは同じ天中殺の子供が生まれたことで親は自分の人生の中の何かを諦めないといけないことが起きたはずですので、それが何か子どもに言ってなくても、そういう深いところを洞察したり、していくことが50代の試練の一つでもあり、それをすることが自分の探求にもつながって、成長になりますので悪いことではありません。申酉の親の場合で、申酉の子供が生まれた場合、申酉の場合は西欠けですので、本来、家庭運、配偶者運がないんです。しかし、人間は不思議で、欠けの部分を強烈に意識して、コントロールしようとします。申酉なので東の社会に目を向け、がむしゃらに働く、ということが普通になるのですが、ストレートにそこに向かうことに対して抵抗感が出てきます。これは他の天中殺でも同じです。ですので、申酉の親は、さらにその親から、家にいることを強制された、仕事より、いい配偶者を見つけるように言われ続けたなど、申酉天中殺の生き方を実行できない、その時代に子供が生まれると、申酉の子供がその親を助けるために生まれる、というふうに解釈できます。寅卯天中殺の場合は、東欠けなのですが、逆に仕事第一になったり、配偶者でなく同性の友人だけを大切にする生き方をしてきた、欠けている母親を大切にするようにと親がそのさらにその親にそういう生き方を強制された、というように天中殺とは矛盾の人生であったことが多いです。欠けの部分を強要される、それを大切と思い込む、ということは戌亥の私もしてしまうことです。戌亥は現実虚です。ですので、現実的で物質的なことを最初に考えるのでなく、先に天上に向かうことで、そういう生き方ができると、自然に後で物質、現実がついてくるようになるのが戌亥の自然な生き方です。虚であり、欠けの部分をコントロールできる自分の支配下においておきたいという気持ちはわかりますが、それをすると人生が向上しません。そもそも、虚である欠けをコントロールできていると思い込んでいるのは、自分自身だけで欠けを支配しようとするほどに実際には振り回されることが多々です。
同じ天中殺の子供が生まれた時点で、その親(特に母親)これから先、親自身がありのまま(天中殺の特徴)通りに生きられない、困難(困難的なこと)が訪れる、ことが確定している未来、ということになります。
天中殺通りに生きられないことが不幸とか、そういうことではありません。例えば、戌亥や辰巳の場合は、はみ出す運ですから、それを実行するとなると難しいことで、かなり困難だからです。決して簡単なことではありません。しかし、人生80年くらいかけて、そういう流れにもっていくことが人生のテーマだとすると、その大きなテーマを自分一人で果たせないということは心の底から自分を生きたということは感じられないかもしれません。しかし、同じ天中殺の子供がそれを手助けできる、その役割をもって、子どもは生まれてきたと解釈すると、親の見方、そして自分のこれまでの人生の見方も大きく変わってきます。
子ども時代に親の価値観を押し付けられる、依存される、なぜ押し付けられたのか、依存されたのか、その真意について、深い洞察を得ることができます。親側も子供側もそれを無意識下では明らかに同意して生まれてきています。