僕の細道

四国道中顛末記

『 四国道中顛末記 』 

8月18日

「ゴゥンゴゥンゴゥン・・・」
ディーゼルエンジンの唸りが横たわった体に響いてくる。和歌山港00:40初のフェリーの中、僅か二時間足らずの船旅を他のライダー達と寝転びながら過ごしていた。
 小松島港で夜明けとともに出発したかったのだが、ポツポツとにわか雨が降っている。今回の旅を暗示させるような光景であった。

 夜中に出発した若いライダー(TW200奈良)は、とうに山奥を走破しているだろう。残った年配ライダー(V-max東京)と僕は出発するキッカケを失ってしまった。もう少し、あと少しと雨の止むのを待っていた。08:00になると、さすがにムズムズしてきて気合を入れてエンジンを掛ける。
 何とかレインスーツを着なくとも走れそうだ。港内を出ると直ぐにV-maxと別れ、独り南下していく。

 小松島市内を抜けるR55は古い街並みと共に道路は拡張されておらず、片側一車線のイエローラインであり、又、トラック群もあり、朝の渋滞となる為、思うように先に行けない。
 30分も走るとまたしてもにわか雨が・・・。対向車を見ると本降りの予感。雨宿りが出来そうな民家の駐車場に潜り込み、着替えていると案の定本降りとなってきた。やはり、今回は雨と共に・・・。

 南阿波サンラインは、天気さえ良ければ快走ツーリングとなり得た道路である。元は有料道路だったためアスファルトもキチンと整備されていて、各所に展望台もあり、雨さえなければと残念、無念。タイヤがグリップを失わない程度に遊んでしまう気持ちよさだった。

 R55に戻り、室戸岬に近づいて来ると雨も止んだ。まだ上空には灰色雲が姿を残しているのだが、その透き間から覗く日差しは忘れた南国を感じさせるには充分である。
 波しぶきがヘルメットのシールドに水滴を残す。レインスーツの蒸れが思考能力を妨げる。カウルがある為、なかなか風が当たらず、涼しくさぜるには3桁のスピード域に達しなければならない大型バイク。

 道路状況も良くなり、流れも速くなり適当な海岸線をつなぐワインディング。条件は揃った、右手に力を少し込めるだけで快適な世界がホンの目の前に開ける・・・。
 そんな時、対向車線をパトカーや白バイの姿が現れる。事前に仕入れた情報によると、このコースは制服を着た方々がお茶を出さない代わりに色の着いた紙を出して押印を求めると聞いていた。

 周囲に注意して加速していく。台風時になるとTV画面に登場する室戸岬では、やはり荒波の歓迎を受けた。はるか遠く沖縄にある台風の影響が、ここまであるとは予想打にしていなかった。波に揉まれた黒く大きな岩石がテトラポットの様に海岸線を分け隔ていた。

 ここから高知まではアップダウンも少なく適度なワインディングが続く、その途中に変わった公衆電話を発見してパチリ!。高知市が近づくにつれて車両も増え、信号で停まる回数も多くなる。
 高知市周辺は「土電」と呼ばれる路面電車が走り回り、レールに気を付けていないと脇見している観光ライダーでは直ぐにタイヤを取られてしまう。

 宿探しも終え、再びバイクに跨り市内観光に出かける。高知と言えば、「はりまや橋」と頭から離れず、最初に向かったの場所は当然その「はりまや橋」であった。
 そしてそこは自分のイメージを無残にも壊してくれた。橋の欄干が地面から生えているだけで、そこだけが周囲の発展から浮いて見えた。

 夕方からは五台山竹林寺にてグローバルライダーミーティングによる演奏会が開かれるので遊びに行く。開演にはまだ早く、地元の人達が準備に追われてる。力仕事もあり唐突だがお手伝いしていく事になった。

『グロ-バルライダーミーティング』 
 能楽師大鼓奏者・大倉正之助/韓国打楽器奏者・金大換らの呼びかけで1994年に発足。『私達は皆、地球(グローブ)と言う一つの乗り物に乗っている(ライダー)』と言う共通認識の下、国境や文化の違いを乗り越えて集い、音楽・芸能ろいうグローバルな言語によって『国境』や『差別』の無い場を創り出していく。1997年夏、ライダー達は「水の国、森の国、神の国」をテーマに土佐路を走り、四万十川を下る。

 今回は二輪車が四十数台と四輪が数台の六十余名の各国(日本・韓国・香港・マカオ・アメリカ・ドイツ・パキスタン・アフリカ)の演奏者と支援のライダー達が東京よりフェリーにて高知を始め、四国を巡礼者の如く七日間で走り回った。満月の夜、四国三十三番札所となる竹林寺は開山1200年余り、そして建物も四百年を過ぎたと伝えられる。国宝のお寺の境内で演奏は催された。山間から続く灯篭による道しるべに従い歩いて行くと五台山々頂にある本道の前に特別舞台はあり、檀家、観客に混じり、新聞・TV・ラジオのマスメディアも取材しに駆け付けていた。

 日本の古代史に出てくるような石笛の音色、古典の大鼓や尺八、そして外国人による民族楽器による演奏、観客らの手拍子により、全てのミュージシャンによるセッションが静かな山に響き、各演奏者の荘厳なる音の調べは観客の中に沁みていった。

 演奏後はミュージシャン達との宴会が待っていた。国宝のお寺を会場にして歴史を刻んだ縁台いたたずみ、日本庭園を眺めながら、高知の地酒を飲み、鰹のたたきを食らう。酔ってしまえば、言葉の壁を取り払い、あとは一緒に騒ぐだけ。住職も交え国宝のお寺が宴会場に化すには時間はそうかかからなかった。

8月19日

 翌朝、ビジネスホテルから見る窓の外は雨模様。シャワーを浴びて目を覚まし、散らかした荷物をパニアケースに詰め込む。雨もひと休みした頃を見計らい出発する。雨のせいか空気がネットリと体にまとわりつき暑さがより増している。

 観光客でごった返す桂浜を一人散歩して坂本竜馬の像に挨拶を住ます。至る所に懐かしいアイスクリーム屋が出ていて、オバチャン達は蒸し暑さを忘れたいのか、どの店も人垣が出来ていた。
 
 高知市からR56でなく、西へ向けて海岸線県道47号線を走る。有料の橋を二つ越えて行くと気持ちの良いワインディングが姿を現す。ここから約12kmは低中速のコーナーが続いている。しかもヘアピンコーナーは無く、左手に土佐湾を眺めながら余裕でコーナーを駆け巡る。目を三角に吊り上げる事もなく楽に走れる。民家もアップダウンも少なく、あっという間のワインディングであった。

 R56に合流し、中土佐子峠を越える頃には又してもにわか雨がポツリポツリ・・・。レインスーツは着たくないので体をすぼめて車速を上げる。大型ツアラーの真骨頂を発揮だ。雨が体の周り通り過ぎていくのを感じながら走る。そして身体は濡れなくなる。車速の上がったツアラーバイクには、景色を見ているヒマは無くなっていた。益々暗くなっていく鉛色の空を尻目にカウルからヘルメットを少しだけ覗かせてひた走る。とうとう四万十川河口に到着した。

 河口付近には「とまろっと」名付けられた展望施設とアスレチックやキャンプ場まである。開設されて間もないらしく施設は綺麗で、ここはお薦めです。星四つですね。
 河口からは堤防道路を走り、中村市内を抜ける。お昼時なので、ここにて昼食にしようとするのだが、市内には喫茶、食事処が少ないようだ。中華屋、居酒屋は目に付くのだが、まだ店は開いていない。中村市民はどこで食事をしているのか不思議になってしまった。
 食べられそうな店を見つけてもオートバイを置くスペースが無い。歩道に停めたら歩行者の通行妨害になり、車道にしても渋滞の原因になるのは想像が付く。それでもグルグルと回遊して喫茶店を探し、カツカレーを注文する。ホントは四万十川の鮎料理を食べたかったのに・・・。

 昼食後は今回のメインイベントである四万十川を遡る事にする。なるべく川沿いのルートを取り、進んでいく。行く手には幾つもの沈下橋があり、自分も一つを渡ってみるが、これが結構勇気がいるのだ。当日は風が吹いていて、橋の上では妨げる物は無く、早く走り去っては面白くなく、ゆっくり走るとバイクも揺らぎ途中に停めて写真を撮ろうとしても車両の往来があり、荷物満載の大型バイクは一度グラついたら踏ん張れないので怖かった。

 小雨の中、のんびりと景色を楽しみながら1,5車線の道路を対向車に気を付けて走る。狭いが嬉しい四万十川の道。
 道中、肌寒くなり出来たばかりの十和村十和温泉に飛び込むがハズレであった。新しい建物に惑わされたようだ。星は無し。
 
 雑誌などで紹介されているR381沿いの三島キャンプ場へ立ち寄る。覗いた感じでは自然と安全を上手く調査させているようで家族連れにもお薦めです。星3つかな。

 最後の清流と呼ばれる四万十川のある風景を一言で表現すると、緑色の墨で描いた山水画。外国人の想像する日本の田舎風景と形容できようか。うねった川と古い民家、近くまで山は迫り、川下には青松と白砂の海岸が広がり、そして荒波の黒潮まである。少し上流まで行けば、奥深い緑や渓谷まで望める。日本のあちこちにある姿を箱庭風にして山・川・海を一気に体験が出来、本州に無い景色が見えてくる。
 時間さえ許せば腕時計を外し、何も無いという生活をするには容易な場所と言えよう。そしてここでは「何かを求めてはいけない」ということが物質社会に生活している人間にも
少なからず解るはずである。

 大正町からは四万十川と別れ、最大支流の梼原川を進む。さらに細くなったR439通称・与作街道は梼原町に入り、私久しぶりに迷子になってしまいました。事前の情報では、四国の山道は道路工事による通行止めがやたらあり、迂回や時間通行止めがあると聞いていた。そしてとうとう進行方向通行止めの標識があり、迂回の指示標識が左に出ている。当然の如く、左側に進路を取り、進んでいくが、途中から標識が無くなってしまった。どうも林道に入り込んでしまったようだ。コンパスを使っても山道は曲がりくねっており、地図を見ても現在位置の確認が出来ない。曇天のため、太陽光もダメ、木々の繁殖状態でも植林ばかりで解りづらい。何とか道路の凹み具合を嗅ぎ分けて町への方向を探しだした。あとで地図で確認すると5km四方の中で10km以上は右往左往していた事になる。

 今晩の宿は、道の駅「ゆすはら」に新しく併設された「ライダーズイン雲の上」である。現在は役場主導の経営だが、各部屋にトイレ・シャワーが完備されてベッド付きの部屋も選ぶことが出来る。そして部屋の前部に各自の二輪を留め置き、蛇口もあり洗車・メンテナンスが可能で、管理棟には集会所や工具の貸し出しもあり、それぞれに時間を過ごすことが出来る。
 この宿に着く五分前から本降りの雨となり、レインスーツを着てないこの身は濡れネズミとなってしまった。やはり迷子の道草が恨めしく思う。部屋に入り着替えてみたものの、夕食をするのに町の中心部まで行かねばならず、又してもレインスーツを着てバイクに乗らなくてはいけない。体力よりも精神的に面倒くさくなり、今晩の食事は管理棟で購入したカップ麺と缶ビールを数本、そして非常食として持っている乾燥チリチキンライスが今夜のつまみとなった。この旅は地元料理を堪能するはずだったのに、どうも食事に恵まれないようだ。

8月20日

 最終日、予定では本日の走行距離は700kmとなっている。和歌山から先の250kmは高速道路なので楽なものだ。ここ梼原から徳島までの山岳ルートは、昨日のようなミスをしないように心掛けて霧雨の中、レインスーツを着用せず出発。この17km先にあるR440高知県と愛媛県の県境にある地芳峠を越えれば、天候は回復すると先読みしたのだが・・・。

 R439でも地元の人たちから嫌がられているのに、その上にあるR440はさらに大変であった。田舎にある千枚田のあぜ道や民家の軒先をかすめて行くのが国道だったのです。どれが、本道か見当が付かない。標識も少なく、通りすがりの農家の人たちに確認を取りながら先に進む。標高が上がるに連れ、霧も深くなり、司会は10メートルもあるかないか。

 地芳峠は標高1080メートルで、その横に姫鶴平から四国カルストが一面に広がるはずであった。しかし、何も見えない。諦めて峠を下ることにする。雲も段々と薄くなり読みが当たったようだ。
 しかし、天は我を見捨てた。四国山中名物の道路工事「時間通行止め」である。丁度、閉鎖されたところで、これから一時間の待ち時間、そして十分間の交互通行となる。地図を開き迂回路を探すのだが、先ほどの峠まで又しても戻らなくてはならないので、ここはおとなしく待つ事にする。待っている間に停車したのは、本州ナンバーの乗用車が二台と自分の二輪が一台のみであった。のどかだ・・・。工事の音が山の静けさをかき消している。アスファルトに大の字になり、ひと休みひと休み・・・。

 たった15km程でR33を経由して又しても高知県に戻る。悪名高きR439との再会である。この国道は何故か東へ進むたびに道は険しくなり、自問自答して疑心暗鬼になってくる。吾北村の大峠は、今朝の地芳峠に勝るとも劣らないほどの道の状態である。
 この梼原から祖谷までの区間は今までを違った体験が出来ますのでお試しあれ。祖谷のかずら橋は、渡るのに500円掛かる一方通行の橋であった。維持費になると言うけれど、それにしても高額だ。又、近くにある同じ経営者の温泉も開所間もない為かドタバタ続き、アマゴ料理を食したが・・・星は双方に付けられず。

 天邪鬼な自分は大歩危・小歩危を避けて祖谷渓を通る事にするのだが、又しても工事通行止め、今回は三十五分で済んだ。この谷も一つ間違えれば、この世とおさらばとなるようで砂利の浮いた道を気を付けて進む。そしてR32に合流すると何となく町が近づいた気がしてくる。吉野川に平行して走るR192になると街になる。

 R192は松山、徳島を結ぶ主要道路となる為トラックやダンプの通行も多く、お盆も終り営業車も数が多い。又、山越えしたので瀬戸内海地方の天候となり天気も回復して走りやすく、交通量も何のそのと東へ向けて川沿いの真っ直ぐな一本道をちょこまかと走り去る。信号がやたらと多くなって来ると徳島市は近い。
 フェリーの出発時間を気にしながら走っていたが、16:35発にはギリギリ間に合いそうもない。次の便へ変更をする。

 徳島駅前にて土産物を買う為に小休止。この辺りだけは四国の玄関都市という感じがする。少し時間に余裕が出来たので十一年前に泊まった小松島ユースホステルに寄っていく。R55バイパスは出来たばかりで、通行料も少なかったのに、今では多い。DT50で真冬の鳴門大橋を渡り、金毘羅さんまでツーリングしていたのだ。
 建物自体はそのままだが、周辺の開発には驚かされた。テニスコートなどスポーツ施設がたくさん出来ていて学生達の合宿所として運営されているようだ。そのまま海岸まで歩き、少々感慨に浸る。

 小松島へ行き、船内で過ごす為のビールとおつまみを買っておく。18:40発の和歌山港までの船旅は学生ライダーと暫し歓談の場となった。20:47に接岸して本州に着いた。あとは和歌山ICから阪和道・名阪道・名古屋高速と乗り継ぎ、それで終り。
 ヘルメットを被り、船内からバイクを押し出した。そして日付が変わる頃には自宅の湯船に浸かる姿があった。無事で何より・・・。

日程:1997年8月18(月)~20(水)
走行距離:1,400km
使用車両:ホンダCBR1000F 1992年式
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