僕の細道

茶臼山雪中野宿



『茶臼山雪中野宿』

≪2月17日≫

 寝坊した!予定なら6時に熾きて中日ビルに並ぶはずだったのに・・・。8時半頃に電話のベルで目が覚めた。もうナゴヤ球場には300人近くが並んでいるそうだ。今日は2月17日、中日対オリックスのナゴヤドームでのこけら落としとなるオープン戦の前売券発売日なのだ。
 慌てて着替えを済まして、バイクで発進。9時少し過ぎているので渋滞も無くスムーズに栄まで流れていた。中日ビルに寄ってみるが当然の如く完売されていた。
 ナゴヤ球場で並んでいるはずの知人に連絡を取ると、まだいけそうな気配が濃厚との事、再度アタックするべく荷物を背負い進路を向ける。ナゴヤ球場では、まだ発売を開始したばかりなのか整理券が余っていたし、全席を売っていた。
 
 並ぶ事、2時間近くでやっと外野自由席4枚を手にする事ができた。さて、これからが本日のメインである雪上キャンプツーリングへの出発だ。今回は、倶楽部の人達と『ひるがの高原』でキャンプツーリング&XCスキーを行う予定であったのだが、3月に延期になってしまい装備が無駄になってしまうのでソロツーリングに出てしまった。

 グリーンロードを抜けて稲武町にてラーメンをすする。冷え切った体には暖かい食べ物が一番だ。昼食後は隣にあるスーパーで今晩と翌朝分の少量の買い出しを済ませる。アルコールを求めて酒屋を捜すのだが、この辺りは月曜日が休日らしく、どこのお店も営業していない。稲武町の交差点を右折して行けば有料道路に出て、茶臼山まで簡単に行けるのだが、通り沿いには酒屋がなさそうなので根羽村を通り裏側から山頂を目指す事にする。この選択があとあと後悔する事になるとは、予想もしてなかった。
 
 根羽村農協にて、缶ビールと日本酒パックにおつまみ用にチーズを購入する。茶臼山、津具村の分岐点を越えると小戸名川沿いに道が有る。これが矢作川の源流となるそうだ。ここからが凍結道路との戦いが始まる。

 小戸名渓谷を過ぎる辺りになると、所々路肩に白い塊が残っている。道端に雪山が築かれている、と言う事はこの先も除雪してあるはずとたかをくくり、脇見をしながら身長に進んでいく、小戸名の集落周辺は、日陰には凍結した所が有るが、日中の日差しで
少しは柔らかくなっている。30~40km/hといつでも足が出せる速度まで落とす。そこから2kmも進むと日陰以外にも白いモノが増えてくる。

 頭の中も段々と白くなっていく。車両も通行しているためか、轍跡(わだちあと)からアスファルトが見え、雪の柔らかそうな所を狙ってラインを取りながら進む。茶臼山高原まであと1kmの表示前で何と言う事か通行禁止のロープが張ってある。これより先は除雪されてなく、そのまんまの雪が残っている。
 あと少しなのに・・・札には12月1日~3月1日まで冬期閉鎖との御達筆が・・・。せめて分岐店辺りに通行止めの標識を置いておけよと根羽村役場に訴えたくなった。



 現在時刻は3時半、これから大廻りするには時間が掛かり過ぎる。このままこの道を行き、売木村に抜けても山陰になるのでロケーションは良くならず、来た道を戻ることにする。 こんな事なら、愛知県側から行けば良かった。有料道路を使えば、山頂にスキー場があるために除雪されていると聞いていたことを思い出した。

 野宿できそうな場所を捜しながら下って行く。2km程戻ると東屋風の休憩所が設置されていた。ここなら、風も防げるし、平らになっているので、テントも張れる。バイクを停めて設営開始。





 宿ができると独りビールにて宴を催すのだが、あれ!ビールが一缶と チーズがワンパック足りないぞ。どこかで落としたようだ。これだけ寒いとビールもよく冷えている。温度計を見るとプラス4度と表示されている。冷蔵庫の中と同じくらいかな。これで日が暮れたらマイナスになるのを覚悟してシェラフに潜り込みひと休み。













 夕焼けでオレンジ色に染まった雪の中、夕食のシチューを作りだす。鍋の中にソーセージやマカロニを適当に放り込み、あとは市販の素を入れて塩、故障でちょいと味付けして火が通るまでビールを片手に時を過ごす。冷気が身を包み、BGMは小戸名川を流れる音のみ・・・。雪がストーブの燃える音を吸収してランタンの光を反射する。月明かりの中、アルコールに身を委ねると誰でも詩人や哲学者になってしまう。テントの中、シェラフに包まり小型ラジオで各地の中波放送を聴く。短波からは各国の民族音楽が流れてくる。酔いのせいか外国語が解るような気がしてきた。

≪2月18日≫

 翌朝、気温はマイナス6度。蓑虫状態でまた固まってしまった。 朝日に暖められ、九時を過ぎる頃には気温はプラス10度を超えてしまう。これでは寝袋の二枚重ねでは暑すぎるので、冬眠の熊の如く、這い出して朝食をとりながらテントを撤収する。





 腹も膨れ、陽だまりの中でマットレスをしいて、またしても惰眠をむさぼる。昨夜から、何時間と眠っているだろうか。寒いと体の動きも悪くなるから、 眠気を催すのだろうか。それとも単なる二日酔いか???

 昼近くに下山してR153を北上する途中、根羽村に新しく出来た「ネバーランド」なる村営のドライブイン?に寄り、中を見学していく。ここの芝生広場でキャンプができないか従業員に尋ねると、別棟に宿泊施設があるので、そちらを使って下さい、と丁重に断られてしまった。

 これだけの荷物を背負うと、非力な初期型セローでは登坂車線を走らなくてはならない。上り坂の最高速度は70km/hぐらいか。その脇を他車が追い抜いていく。背中のザックが横風に煽られると思わずハンドルにしがみついてしまう。

 平谷スキー場では、平日にも関わらず小さな子供連れにはお薦めのゲレンデがあるので賑わいがある。そのうち、スキー板でも背中に括り付けてバイクで来てみようか。

 売木村にある『こまどりの湯』へは、一部凍結している急坂があるそうな ので、平谷村の『ひまわりの湯』にて手足を伸ばすことにした。湯上り後のビールを飲みたいのだが、道中トイレが増えても困るのでここは我慢して名古屋まで戻ることにする。

 いつもなら飛ばせるこの道も、凍結が心配で黒く濡れた路面が見えると、スピードを落とし、この荷物の量ではコーナーリングの安定も無いので、失速気味になってしまう。

 伊勢神トンネルにある喫茶『シルクロード』にて遅めの昼食。タッチの差で最後のランチセットをBMW・R100ミスティックに乗り、刈谷からやって来た中年男性に奪われてしまい、ハンバーグカレーを注文することになった。その人とバイク談義に花が咲き、お互い名刺交換して再会ツーリングの約束までしてしまった?。

 バイクって、見知らぬ人とすぐ交流が持てる乗り物なのだと思いながら、ぬるんだコーヒーを飲む。さて、あとは行程は凍結を心配品K手よいから、気分的に楽な道のりだ。

日程:1997年2月17~18日 
天候:晴れ
走行距離:約240km
使用車:ヤマハ・セロー初期型
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