今春、妻の父が急死し、喪中というわけではないのだが、いまいち気が乗らないのは言い訳か?
近年、子どもの写真のみが印刷された賀状が届くようになった。
その子どもと付き合いがあるわけでなく、その親と付き合いがあるのだが・・・。
子どもの写真が届けられて嬉しいのは、爺婆、親戚ぐらいであろう。
せめて、家族皆が写った写真なら、友人の近況を思い浮かべることができ、嬉しいのだが・・・。
年賀状は、第二次世界大戦後に行方不明者の安否確認を目的とし、広がった。
郵政省は、その後も年賀状を伝統文化と称し、年内に投函しさえすれば、元旦に届くと宣伝するようになった。
ちょいとおかしいぞ。
年賀状の裏面には、元旦と記するではないか。
手紙や書面では、文面の末に書いた日付を記すではないか。
となると、元旦に書くのが本来の意味ではないのか?
そうなると、「旧年中はお世話になりました。本年も・・・」という文章も合点があう。
と、思っていたら、案の定、平安時代は元旦に年賀状を書いていたというではないか。
郵政省のいい加減さも明らかになったが、戦後のドサクサと高度成長時代の大雑把さで、本質が変化してしまったようだ。
昨今、カウントダウン後の元旦には、携帯電話やPCからの「おめでとうメール」が増大し、サーバー制限を設けるようになってしまった。
これって、平安時代の本質に戻りつつあるのかな?
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