僕の細道

新潟ツーリング



『お父さんの夏休み』

期日:平成17年8月7日(日)~9日(火)
走行距離:1,065km
使用車輌:ホンダCBR1000F

8月になり、やっとバイクに乗れる休みができた。久々のロングツーリングに出られることもあり、新潟在住の友人たちに会いに出かけることにした。

前日に用意を済ませ、終業後にバイクに跨り、いそいそと北へ進路を向けて出発する。名古屋からだと東海環状線を使った方が早いかな~と思い、三好ICから豊田JC経由で、土岐JCへ向かったのだが、実は遠回りとなり、余分な時間を掛けて新潟へ走ってしまいました。

日曜夜の中央自動車道は車輌も少なく気持ち良く走れた。岡谷JCを越え、長野自動車道を走っていると、標高が上がるにつれ気温が下がり、20度以下となり、夏仕様の服装ではメチャ涼しかった。黒姫高原辺りは、ガス?霧?が発生していていたから見づらかったが、眠気も飛んだ。北陸自動車道は、昨秋の中越地震の影響なのか、ところどころ路面にうねりがあり、横着運転して走るとハンドルを取られてしまい走りにくかった。それでも快調に飛ばし、深夜未明に長岡市に到着。夜中の走行は、シールドが虫だらけとなり、街中での走行は対向車のヘッドライトの乱反射を誘い走りづらい、バイクを路肩に停め、ペットボトルの水で洗ったのでした。
 
ガソリンも心細くなったため、GSを探すべく長岡市内をウロウロ。しかし、どこも開いていない。深夜未明に友人宅に押しかけるのは、一応社会人をしている身にとっては、避けねばならぬ。(昔は、夜中に友人を叩き起こしたものだが、今は、それぞれの家庭があるからね。)どこかに休息場所を探さねば・・・。途中に見つけた陸上競技場の木立を思い出し、林の中にバイクを留め、パニアケースからエアマットを取り出し、土の上に広げ、体を伸ばす。全身の筋肉が、息を吹き返すと眠気が訪れ、そのまま仮眠する。



朝焼けの中で目を覚ますも、以前、新潟を走った際も長岡市内のGSは少なかったし、地方モードの営業スタイルとだったのを思い出し、どこかで時間つぶすべく、喫茶店を探してバイクで探索する。ちょうど通り沿いにマンガ喫茶を見つけ、朝食を兼ねて、インターネットで届いていたメールを片付ける。一通り片付くと、良い時間となり、出勤前の友人をたたき起こすべくバイクを向ける。



長岡市内の某所にて、軒先にバイクを停め、友人の携帯電話に電話する。出ない・・・。まだ、寝ているのか・・・。家族を起こすのは申し訳ないので、土産だけおいて、次の目的地へ向かうか・・・。とりあえず、家のチャイムも押してみる。中から反応があった。ボサボサ頭の友人が扉を開けて出てきた。半年振りに、お互いの顔を見合わせ、何となく笑う。

彼は、昨秋の新潟中越地震の際、小千谷市のボランティアセンターにてバイク隊のリーダーとして指揮を取り活躍していた。その後も、各方面と繋がりを持ち、新潟の災害復旧、復興に尽力している。彼の乗るFJ1200とGSX-R1100が眠る車庫の前で、そんな災害の話を聞きながら、地図を広げバイクが走れるルートを説明してくれた。他の友人の所にも連絡を取り、今夜の宿泊先は確保できた。
 
今日のルートは、昨夏の新潟水害の被災地を抜け、長岡市を一望できるコースにした。明日は、中越地震の震源地を抜けて名古屋に戻ることにした。早々に立ち話を切り上げ、早々に出発する。まだ乗っていれば、次もまた会えると、別れを告げた。

長岡市内で給油後、中之島町~見附市~三条市~栃尾市と新潟7.13水害被災地を巡る。建物の修復は見た限りでは済んでいるようだが、水田はあちこちに爪痕があり、田んぼの周囲にはゴミの山があちこち目についた。氾濫した河川の修復工事が行われ、ダンプやショベルカーが河川敷を走り回っていた。



栃尾市に入ると昼時となり、田舎は自宅で食べる人が多く、外食できる店が少ないので、走りながら食べられそうなお店を探す。通り沿いに「十割蕎麦、手打ち」と掲げられた蕎麦屋を発見し、店の前にバイクを停め入店。ざる蕎麦とぶっかけ蕎麦が出来上がる間に、水害や地震の話を聞いた。店のおばあちゃんによると、高齢者は田んぼが壊れたのを機会に止めてしまった農家も多いそうだ。



食べ終えると、長岡市を一望できるという八方台を目指す。登る途中で栃尾市の仮設住宅を発見、こんな山の中にあるのだと驚いた。山頂への道も、ところどころ工事個所があり片側通行なのだが、雪国新潟は路肩も広いので、一気に先頭へ出られ、二輪の機動性を発揮でき、何となく愉快。



八方台手前で一般車輌は通行止めとなっていたが、工事の警備員に聞くと二輪なら行けるだろうということで、通してもらった。路肩は地震の影響で崩れ、簡易舗装などで応急修理といった感じの道が続く。山際には土砂崩れのあとが残っていた。うねった道路を走り、山頂を着くと、眼下に真っ平らな平野の長岡市内が一望できた。



山を下り、先ほどの警備員に挨拶を告げ、今夜の宿となる長岡市内を目指す。友人とは夕方に待ち合わせなので、時間はたっぷりある。どこかに温泉はないかと地図を広げ、山の麓にある長岡温泉へ進路を取る。通りを歩く人に尋ね、入浴できそうな長岡温泉湯元館を教えてもらう。昔の温泉宿の名残が、妙な味わいとなり、タイル張りの湯船に体を沈める。後ほど聞いた、友人によると、この温泉宿は「連れ込み宿」だったそうだ。現代は、交通事情もよくなりラブホテルなどに簡単に行ける世の中になったのだが、昔は、こういう宿が各地にあったそうだ。宿泊する部屋を覗くことは無かったのだが、玄関や待合室には、そんな時代の面影があった。



夕方に友人宅を訪れ、駐車場の奥のカスタムされたGSX1100カタナの隣に、自分のバイクを停め、荷物を置かせてもらう。暫し、休憩の後、今回の旅の目的?酒宴会場?となるドカッティイ乗りである友人がオーナーシェフをするアジア料理店へ、電車に乗って二人で繰り出したのでした。

アジア料理店「GANESH」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~ganesh/

長岡市内にはエスニック料理の店は少ないらしく、20代後半から30代半ばの女性たちに、人気があるようだ。店主も、バイクに乗ったり、トライアスロンしたり、ミュージシャンしたと、各方面に手を広げ、ノリがよく、話題豊富な人だから、それも人気の一つとなっているらしい。店主が主宰するクラブのライダー達は、中越地震の際、困っている被災者たちのためにバイクボランティアとして被災地を駆け回り、活動されたそうです。

この夜は、そのお店で月1回の「アジアの会」という集まりがあり、他のバイク仲間も加わり、新潟美人たちと盛り上がったのでした。「店主のアジア料理を食べにバイクで名古屋から来たよ」と言うと、皆、歓迎してくれて、久々の独身状態を満喫していたのですが、久々に会った友人たちと、バイクの話から始まり、やがて家族の話になり、それぞれの携帯電話にメモリーされている子どもの画像を見せ合い、お互い自慢する姿は、現実を物語っているのでした。



この日のメニューは、タイ国の鍋料理「タイスキ」で、メニューには日本酒(新潟の地酒)も載っていましたが、タイスキと日本酒は合わないので、アジアのビール(日本のエビスビール、タイのシンパビア、タイのチャンビア、新潟の麻麦酒)を飲みまくり、タクシーでバイクを置いてある友人宅へ戻ったのでした。

アジアの宴のあと、長岡市の宿となる友人宅では、深夜にも関わらず新潟市から仕事帰りに四輪車で会いに来てくれた友人も交え、夜遅くまでバイクの絆を肴に麦酒を煽るのでした。(新潟市在住の友人は、車で帰宅なのでオレンジジュースでした。)
  
翌日は、手作り弁当をバイクの載せ、中越地震の爪痕が今でも残る長岡市内蓬平温泉へ向かう。旧山古志村へ続く道路は、まだ四輪車が崖にぶら下がっているままの場所があり、大きな揺れや、大雨が降りつづけたら、崖底へ落ちるのではないかと思えた。場所によっては、山が爆発したのではないかと思えるような崩落個所を目の当たりにしてちっぽけな人間に自然の脅威を見せつけてくれた。



小千谷市のバイパスを走り、川口町から山越えルートを目指す。小高い山の上にある田麦山地区は、震度7の震源地となった場所で殆どの家が倒壊したそうだ。短い夏を有効に活用して、危険な建物は全て撤去され、新たに建てつつある家の姿は、地震に負けない人間の強さを教えてくれた。ここでは、青い夏空の下で稲穂の緑が風に舞っていた。バイクを停め散策していると、田麦山小学校の先生や仮設の子ども達に会い、元気を与えるどころか、逆にこちらが分けてもらったのでした。



田麦山を下りると昼時となり、十日町市の通り沿いの和風レストランにて、手打ち蕎麦を食べる。店主の幼児が、こちらの顔を見て、にこやかに笑う。どこへ行っても、子どもの笑顔は可愛い。帰りも、気を引き締めて家路に向かおうと、家族の顔が重なった。
 
帰路の十日町市では、毎回こちらの方に来た時に寄る新潟の酒屋に寄り、土産となる新潟の地酒を購入する。いつも怪しく地酒を買っていく姿を覚えていてくれて、店のオバチャンと話が弾んだ。中越地震では連続して3回の地震が起き、その一つが十日町市を震度6の震源地となっていたそうだ。外観は大丈夫でも家具などは飛び回り、店内の酒瓶は全て割れてしまい、タイヘンだったそうです。この周辺には古い木造家屋が多く、街道沿いの家では大きな車輌が通過すると、揺れるようになったと聞いたのでした。

あちこちの道路で災害復旧工事に修復作業が行われており、片側通行の道路が多かったです。おかげで、二輪車の機動性が活かされ、いいペースで回ることが出来ました。冬が来れば、復旧工事は出来なくなってしまうため、工事のダンプには新潟ナンバープレートだけでなく東北のナンバープレートも多く、見受けられました。

十日町市から飯山市へ抜け、長野道の飯山豊田ICから上がり、あっという間に名古屋に帰着。
無事にロングツーリングを終えることができました。ニュースで見知った被災地を廻り、いろんなことが分かりました。いろんな人に会い、メディアに取り上げられない、細かな話も聞けました。ボランティアでなくとも、旅人が被災地で買い物したり、飲んだりすることにより、お金を落とす行為が、被災地復興へ繋がることも知りました。それも、本社が別の場所にあるフランチャイズ・チェーン店でなく、地元にある一般のお店で物品を買うことが、有効なのだということも覚えました。「実際に走り、自分の目で見て、自分の手で触れてみないと判らないことがいっぱいある。」というツーリングとなりました。

短い時間だったけど、懐かしい顔に会えて良かった。まだ乗っている連中は、走ってナンボの宿命を背負っているのかも?それとも、止まったら死んでしまう単なる回遊魚かもね。また、どこかの道の上で会いましょう。

夏の新潟は、青々とした稲穂が風に舞っています。日差しは強いですが、日陰に入ると凌げます。日が沈むと涼しく、よく眠ることができたのでした。

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