僕の細道

天白の名考

天白の名考

地名 よみがな 由   来
【植田】
井口 いぐち 天白川右岸。堤防下の桶入を通じて、灌漑用水路とした井の口。
堤溝 つつみみぞ 堤防に沿っている用水路。
長原 ながはら 天白川の氾濫で原になる、砂地。水利畑。
欠下 かけした 長原の隣、決壊したところ。
深田 ふかだ 天白低地。収穫の多い良い田。
塔の前 とうのまえ 中世に天台宗光谷寺・山野寺があった。五輪塔、宝篋印塔が発掘された。
前田 まえた 屋敷の前の田。室町期少し土地が高かった。植田城趾。
百々ヶ池 ももがいけ 権現山の西だれの地。湧水が多く沼地。
鴻の巣 こうのす 鴻が巣をつくったところ。牧野ヶ池の西。古窯があった。
焼山 やけやま 山を焼いて田畑を開発。
多久手 おおくて 久手とは湿地帯。植田川の流域。
一本松 いっぽんまつ 旅人の目印、安政年間に倒れた。根っ子は大正初期存在す。
大坪 おおつぼ 条里制の遺構。
西浦 にしうら 植田村の西の海岸。年魚市潟。
植田山 うえだやま 藩の御林山。
樋入 ひいり
    といのり 山の水を樋で田圃に引いたところ。
【平針】
元郷 もとごう 郷の島。平針駅の北西。川沿いで少し高くなった土地。
村はここにあった。
大藪 おおやぶ 川沿い。決壊を防ぐため竹薮のあったところ。
流 ながれ 細口池や清水屋敷から湧水の小川で、流水豊か。
神田 じんでん 荘園の一種。針名神社所有か。中世、小野田勘六の平針城跡。
高瀬木 たかせぎ 半森川の洪水を防ぐ高いせきがあった。
黒砂雲 くろすなくも 土壌が黒ずんでいた。南の秋葉山は亜炭の産地。
大堤池 おおつつみいけ 大きな堤防があった。
蓮池 はすいけ 沼地で蓮の多かった池。
向ノ山 むかいのやま 集落から見て向かいの山。
川田 かわだ 以前は川の中。
上原・
下原 うえはら・
そもはら 熱田街道を境に高台の方が上原。
黒石 くろいし 黒い石。チャートがおおく散在している。地質は石が多い。
樹木が良く育たない。扇川の源流。
【八事】
山田 やまだ 山ノ谷合いの田。
萱野 かやの 萱の生えていた土地。ススキの一種。古窯跡あり。
鶴田 つるた 年魚市潟のころ、鶴が多く飛来していた。
庚申前 こうしんまえ 不動山大学院の前。
西浦 にしうら 年魚市潟のころ、鶴が多く飛来していた。入江か。
【島田】
石薬師 いしやくし 「山畑」に薬師堂があり、石仏であることから。
溝口 みぞぐち 大根川からの用水路がとってあることから溝の口か。
東田面 ひがしためん 島田村の東の田。
横町 よこまち 地蔵堂の横の町か? 「堂の前」とも。
池場 いけば 年魚市潟の退化で海跡の湖(池)。
坂海戸 さかかいと 坂を下ると海へ出る。
上納 じょうのう 祖・庸・調の税の祖(稲束)を納める場所か。
東寄鷺 ひがしきりゅう 天白川と植田川の合流点の湿地帯に、ごい鷺、ゆり鴎が集まってくるところ。
西寄鷺もあった。
東上郷 ひがしうえごう 郷は屋敷。西上郷に島田城趾がある。
海老山 えびやま 太古、年魚市潟で海老がとれたとか。
保呂 ほろ 「保呂羽」の略。鷹の左右の羽。羽が落ちていた。
菅田 すげた 太古、菅が茂っていた。
福池 ふくいけ 池の名前から。
塩辛田 しおからでん 田に塩分が含まれていた。
古川 ふるかわ 昔の川筋。

【歴史資料】 《古事記に島田臣の祖の記事》
神八井耳命は、・・・臣、・・・臣、尾張国の丹羽臣、島田臣等の祖なり。
神八井耳命は、神武天皇の御子・日子八井耳命、神沼河耳命の三兄弟。
弟に皇位を譲る。神沼河耳命は、第2代綏靖天皇(すいぜい)となる。 (岩波文庫)
第5代孝昭天皇、尾張連の祖、奥津余曾の妹、余曾多本毘売命を娶る。
生みませる御子、天押帯日子命、大倭帯日子国押人命(第6代孝安天皇)二柱。
以後、8代孝元・10代崇神・15代応神天皇と皇紀を出している。尾張氏は大和朝廷と特別な関係があり、結びつきが強かったらしい。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「防災・災害(ボランティア)」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
1998年
1997年
1996年
人気記事