お晩でがんす
水沢山はそのほとんどが雑木林だ、冬枯れの今は見通しも良く小鳥たちが春の息吹を感じてじっとしていられない感じで飛びまわっている
東北大地震で多くの人たちが離れ離れになってしまった、生きてさえいればどこかで会えるのだが
御気の毒の方も二万人を超えてらしい、そんな再会や家族の融合を願って、雑木の逞しいがったいや融合を載せてみた
最初に此の事を思いついた元の融合樹、多分「椚」だと思ううが?
御休みベンチより下であり割と低いところだ
其の事に気づいて、良くみると結構沢山あるものだ、楢の木であろう、ほのぼのとしたものを感じさせる合体だ
次は水房の融合樹だ、少し太さの違う樹が母子像のようにも見える
母が優しく子を抱くさまは樹といえども、愛情を感じさせてくれる、震災の中では幾つも繰り返しあったであろう光景を思い起こすと涙ぐましく成る
そして復興に立ちあがり小さな力を結集して新しい東北を造るためにはたとえ異業種といえでも手を握らなければいけない、そしてそのためには私達もできる事をしなければいけない
「売子と小楢」の握手は何かを期待させて新しい力を生み出すように思う
そして最後は「令法」の樹だ,令法、は新芽はりょうぶご飯になったり、てんぷらにしてもおいしい
又材は、建材になったり化粧の柱になったりする
株立ちに成りやすく、この写真も株立ちの樹が絡み合って、融合樹に成っている
幾人もの家族が共に手を携えて助け合って立ちあがっている様子が、感動する
中には成長の段階で淘汰されて枯死した者もいる
自然は時として無情になり種の保護や繁栄をサポートする事が有るのだろう
人の世もそんな事が有るのかも、よいとか悪いとかでなく無差別に20,000人もの人をのみこんでしまった
自然の脅威を人間に教える為の犠牲に成ってしまった人たちの冥福を祈りたい
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子
水沢山はそのほとんどが雑木林だ、冬枯れの今は見通しも良く小鳥たちが春の息吹を感じてじっとしていられない感じで飛びまわっている
東北大地震で多くの人たちが離れ離れになってしまった、生きてさえいればどこかで会えるのだが
御気の毒の方も二万人を超えてらしい、そんな再会や家族の融合を願って、雑木の逞しいがったいや融合を載せてみた
最初に此の事を思いついた元の融合樹、多分「椚」だと思ううが?
御休みベンチより下であり割と低いところだ
其の事に気づいて、良くみると結構沢山あるものだ、楢の木であろう、ほのぼのとしたものを感じさせる合体だ
次は水房の融合樹だ、少し太さの違う樹が母子像のようにも見える
母が優しく子を抱くさまは樹といえども、愛情を感じさせてくれる、震災の中では幾つも繰り返しあったであろう光景を思い起こすと涙ぐましく成る
そして復興に立ちあがり小さな力を結集して新しい東北を造るためにはたとえ異業種といえでも手を握らなければいけない、そしてそのためには私達もできる事をしなければいけない
「売子と小楢」の握手は何かを期待させて新しい力を生み出すように思う
そして最後は「令法」の樹だ,令法、は新芽はりょうぶご飯になったり、てんぷらにしてもおいしい
又材は、建材になったり化粧の柱になったりする
株立ちに成りやすく、この写真も株立ちの樹が絡み合って、融合樹に成っている
幾人もの家族が共に手を携えて助け合って立ちあがっている様子が、感動する
中には成長の段階で淘汰されて枯死した者もいる
自然は時として無情になり種の保護や繁栄をサポートする事が有るのだろう
人の世もそんな事が有るのかも、よいとか悪いとかでなく無差別に20,000人もの人をのみこんでしまった
自然の脅威を人間に教える為の犠牲に成ってしまった人たちの冥福を祈りたい
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子
遊童子さんの視点がそれを良くとらえています
なんだかなまめかしいものにも感じたりして・・・
自然の中では風雪日照によって思いもよらぬ芸術品になったりもします 前投稿のように落石の災害にも襲われたりと 動けぬ植物は環境に耐えて何十年何百年と成長する様は神と称えられてもおかしくはありませんね 巨樹が信仰の対象となるのも道理です
自然は時に恐ろしい 人間は知恵で生き延びなければいけません 自然の猛威にはかないませんから 被災の犠牲なった方々のご冥福を祈っています
<橙>
コメントありがとうございます
雑木林は矢張り自然の山の原点です
よくよく落ち着いてみると色色なものが見えてきます
以前はもっとゆっくり見られたのに、最近仕事に追われて余りゆっくりと見る事ができません
もっと心にも仕事にも余裕が欲しいしそれが大切なのに、、、、、
樹半分が朽ち果ててしまった老木や、或は神の赤身部分だけが腐って洞に成ってしまった木や
それをまた利用する動物達等等見果てぬものが沢山あるのに、
ただ生きる事に必死で、そんな心の余裕もなく
人に接するにもぎりぎりでいる
子供たちや孫たちにももっと優しく大らかに接してやればよかったのかなと今思いますが
「後の祭り」です
人はそれらの事に、不満や不足や或は嫌悪や恨みなどを持ちますが、樹木や花達はそうは思いません、優しく接すれば優しく。辛く当たれば辛く、比例で付き合ってくれます
残りの人生は、人にも草樹にも或は動物たちにも優しく付き合いたいと思っていますが、、、
どうなる事やら
ではまた