おはようがんす
先日前橋市野企業ギャラリーに彫刻家の二人展があったのでさわりだけ見てきた
と言う事は餘興味が少ないので失礼乍ら作家さんの名前も憶えていないのだが、興味を曳かれた
いくつかを紹介したい
一本の樫の木でできているらしい?し樫の木と判断した
怒髪衝天、の獣神の様であるが、それは普通の人の判断なのかもしれない、作家の主張は違う
所に在るのかもしれないが、芸術とは無縁の所で人生の大半を過ごして来た者には理解できない
UPしてみると意外に憤怒の形相ではあるが内に秘めた誠実さや優しさ、そして強い正義感などが感じ居られる
若しもこの世に人魚なるものがいたとしたら、これは人木か???或は気にお花の精かもしれない
薔薇の大きな花を頭上に掲げたビーナスかもしれない、そうした幾つものことを想像させるものが
私は良い作品だと思っているのだが
恍惚の顔をした少女の、純真無垢、が女神とはこうしたものかと思わせる
この作家の基本的な感性は何時も若い永遠不滅の生を持った者への憧憬なのかも知れない
私が勝手に「少年阿」としたが、作品名は下に書いてあった
阿がいれば吽が居るのは至極当然のことだ
少し気難しい顔をした少年の、でもものすごく利発で豊かな感性を持った少年の顔がそこにある
日本語の五十音の中から48音を超越して、あ、と聴いて全てを理解して、ん、と答えられる
最も理想的な会話だ、どんな親友でも、あかさたな。はできない、あ、う、お、がやっとだろう
長年連れ添った妻でも1,3,5、は儘ならない、1から⒑迄丁寧に順を追って話してもわからな
い理解できないところがある
ましてや他人は尚更だ、でも一つでも飛び級で話ができた時はとてもうれしい
阿吽の呼吸ではなく、あ、う、呼吸でも楽しい
私も、ヨガ、を何年も習っているがとても形にならない、リハビリだとか、参加する事に、、、、
などと言ってごまかしている
この作品ほどの柔軟さはない、、理想のヨガの形だ
作者の意図もわからず勝手に想像して言いたいことを言うのも楽しい
凡人の楽しみだ
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子
絵画でもピカソに代表される抽象画などと同じように、彫刻の中ではまったく「これ何」と思うものがあります 特に彫刻では学校で習うイメージとはかけ離れているように思えるものがたくさんあって「彫刻」=「彫り物」or「石膏・金属などの型取り」のイメージがあるのですが、その範疇にはいらなかったり、巨大なモニュメントも彫刻と言われるとどうも私の感性が動きません というかただの庭石みたいな「置物」のように思ってしまいます
人それぞれ個性があるように感覚も「好き嫌い」や感じるものが「有る無し」に分かれてくると思ってます
それから見ればこの作品では何とか感じるものはあります 良し悪しはわかりませんけど好みかどうかは判断できるものです 凡人の私にはわかり易いものでしか感性が動かないようです(^^;)
<橙>
こめんとありがとうございます
本当にお説の通りです、我々凡人には何故かしっくりくる物が無く、感動がいまいち伝わらない
勉強が足らないのか、芸術性が理解できないのが残念です
然し作家も90%の人が理解できないものは購入してくれる人は10%の人しかいないと言う事になる
多くの人に理解できる作品が経済的に効果がある作品でしょう
死んでから有名になりいくら効果で取引されても
本人は少しも幸せには感じないのではないだろうか
芸術も生きる手段の一つと言う面もある
もっと現実を見つめた方がよいのでは
でもそれでは後世に残る作品はうまれない、
凡人には関係ない話だが
ではまた