おばんでがんす
性懲りも無く又沢山の写真を用意してしまった。一枚でも多くの感動を与えることができるのが才能なのに、、、
何十枚をもってしても中中感動が伝えられない、やっぱり無能なのだ
下野は百樹園にもある、でも別種ではないかと思える程色が薄い
極極普通の下野草だ、鹿の子下野でもないし色合いも普通の白だ、が、香りと蜜はたくさん持っている
虫たちが鈴なりに来ている
関西ではあの通りの大水害だがここでは水なしの旱魃状態だ、湖水の縁が白く砂浜に成って見える
湖水の放水路は水面より3mも下だ
然しこの水色は良い、思わず誘い込まれる色だ
野反黄菅の独壇場でもない色色な花が共演している、小葉の擬寶珠も大きく育っている
だれもが其其邪魔をしないで程程に仲良く共存している、人間とは違うし、長い時間をかけて共存に道を
探って来たもの同士の暗黙のルールがあるのだろう
外来種だってもう何百年も経てば在来種と馴染んで来るかもしれない
九階草があちこちに大株を作っている、放射状の車葉が九階もあるから九階草と言うらしいが、どんなに頑張って
もどんなに色よく咲いても雑草の中からは抜け出せない、抜ければ倒れてしまう、他に、支えられ自立できない
生涯が昔の苦界に似ているので,苦界草、と言ったという話を聞いた。憐れな話だ
花魁が簪に挿した紫珊瑚だともいう
湖水をバックにした擬寶珠はとても風情がある
浅葱斑の来訪をいまや遅しと待っている、沢火おとり、が到る所に群生している
何れ遠からず浅葱斑に面会に来なくてはなるまいと勝手に想像している
色色な花達が「そうだそうだ」と言っているような気がしている
山吹升麻も沢山ある其の純白の花色は、清清しい
孔雀蝶が隠れているし、じがばち、も訪花している
野花菖蒲の若い実には、秋の使者がもう布令に来ている
大きな鋭い棘を持ち、俯いて思案をしている、深山沢薊も到る所にある
真美を思案しているのか、近付く秋とその先の冬を考えているのか???
寄らば刺すぞ、と言う身構えが今一つ親しみを持たれないのではないのか
東京から家族で来たという可愛い女の子の野球帽の赤とんぼを仲間と間違えて止まっている秋茜が楽しい
黄昏て来た深山沢薊に何ほどの魅力があるのか知らないが、裏銀豹紋が止まっている
鳥足升麻だって数限りなくある未だ少し好機が来ないのか沢山の蕾だ
何かを考えているのかあるいは無心に成っているのか老釣り師が、棹を立てた儘で虚空を見ている
一つでも連れればよいのにもう三匹も釣れて、しまったと言っている、自慢なのか本心なのか??
50㎝は有る大物だ、さぞおいしいだろうと思うが、、、、、、、
あれがでしだよと老釣り師が指さしている若い釣り師が隣にいた、釣果はゼロだ、
未だ未だだなと師匠がぶやいている
こちらは田村草が秋茜を釣り上げたようだ
笹原を突き抜けた田村草は草薊と違った柔らかさがある
藤袴なのか???紅色の火お取り花が咲いている
碧空と一刷毛の白雲、そして田村草の濃い紫、、なんとなく絵に成る風景だ
充分に高山の花達を堪能して次の放浪に出る
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子
何を考えても、何も考えなくても存在するだけでいい。存在する事に乾杯!!
帽子のとんぼに止まるとんぼ、いいなぁ~、人間もそんなとこ、あるよね~
余り人に冒されない湖は、眺めているだけで癒されますね
短歌、今朝見ました
さすが師匠
初物は私も神棚と仏壇に供えます
師匠の心の中は、何時も奥さんの声が聞こえてくるのですね
私にも、あの穏やかな奥さんの声が聞こえますよ
優しく微笑みながらお話しする声は品がありましたね
もう少ししたら、帰ってきますね
一番最後の不明草? 分かりましたか?
デコさん アプリによるとサワギク(一見 弱弱しそうな切れ込みのある葉っぱ)だそうです。
私はマルバダケブキみたいに思ったのですが葉っぱはどうでしょうか?
短歌 入賞あめでとうございます。
おばさんも入選 チョキチョキさんも 3人で出るといいですね。
早とちりですよ。
「私はあの花はサワギクかと思ったものの葉の様子が分からず、はっきり同定できませんでした。」
と書いたのですよ。まずは葉の様子を知りたい。名前はそれからですよ。サワギクの画像はあくまでもご参考です。
遊童子さん、初なりの胡瓜の句、良かったですね。
こめんとありがとうございます
偶偶隣に座って休んでいた子供の帽子に止まった秋茜がじっと動かずにいたのがたまらなく印象的であったので、一枚撮らせてもらいました
モデル料は150円のラムネでした
では又
こめんとありがとうございます
初物を喰うと三年長生きをする、と言われて居ますが
農家の真似をしていると初物が沢山あります
茄子や胡瓜は勿論、トウモロコシも、茗荷も、枇杷や山椒の実と言ったものまで今月だけでも幾つも食べました
計算すると一つで三年だから十個で三十年
毎年食べていると、、、、、、
二百年後の世界はどうなっているのだろうか、、
そんなに先を見なくても良いのではないだろうか
先に幸せが必ずあるとは限っていない
今が最も幸せなのかもしれない
毎日の幸せに感謝しつつ生きる
そんじゃあまた
こめんとありがとうございます
色色とお気遣い戴いて感謝して居ります
勿論不明草の検索も感謝ですが、其の事を何時も心のどこかに措いてくださるが嬉しいのです
一生に内には色色な友達ができます、その時だけの一過性の友達から何年もお付き合いして戴ける友達も、、、そして一番の友達はいつも心のどこかに置いて下さる友達です
そうしてそうした友達が何人いるかがその人の今迄の過ごし方の価値だと思っています
信じていた友達に裏切られて二度と会うまいと思っている人もいます
何故そんな仕打ちができるのだろうかと思うこともあります、でも、会わずにいれば何も言う事も無く嫌な思いをする事もありません
親しくしていた相馬の同級生Kもそうした人でしたが、会わなければなんでもない
多くの友人と多くのお付き合いができる事こそ幸せなのです
自分もそうした生涯の友の端くれに成れるように
精進したいと思っています
短歌は心の内に仕舞い切れない思いを吐き出して
その次の感動を取り入れるための隙間を開けるために作っています
だから次々と作ると言う事は隙間が沢山あってぼろ襤褸でどうにかして次の感動でつなぎたいと思うからできます
偶偶選んでくださった選者先生に感謝です
では又
何故初なりの胡瓜の歌を知っているのですか?????????????
何はともあれ遠くから嬉しい連絡で有りがたいです
これからも精進します
では又