志賀高原
志賀高原も夏には一度はゆきたい処だ、
一寸した日陰に入れば忽ちに涼しさに呑み込まれて・日差しを恋しいほどに成る
志賀高原は一年に何度か訪れる準ホームグランドだ。何しろ若かりし頃初めてキャンプに行った記念の場所である
キャンプファイヤーも初めてなら、見知らぬ者同志で歌う山の唄もはじめ、それが高じて山が好きになり百名山の七八峰を登る事にもなった
今は昔の話だ、今はその時の広場もすっかり狭くなって草が生えている。栄枯盛衰は昔から常の世の出来事だ
横手山から志賀高原に下ると色々な花に出遭う
深山靫草だ、昔は我家の周りの野良。切りも無く遭った、牛やヤギなどが好んで食べる美味しい草であった
今は全く見えなくなってかなり高い山へ行かないと見えない草になって仕舞った、まだ尾が赤くなれない秋茜が遊んでいる
こんなに群生して居る処もある、いろいろな花々が混生しているので単独で撮影するのが難しい位だ
熊の湯の山田牧場へのわかされに高原の湿地がある、まさにお花畑で、自然に足が止まって仕舞い時間のたつのも忘れてシャッターを切っている
小葉の擬寶珠、の薊、ワラビ、子五味。芒草藤、等等数限りなく混生している
此処にももう秋を連れて来た赤蜻蛉が遊んでいる、此れから空きが住むにつれて尾腹を赤く染めて里へ下る
今咲かなくては、、今実を付けなければ、、と真剣に咲いている、そしてその結果が此のぐんせいなのだ
河原松葉の花が草原の中で目だっている、アカツメクサもしぶとく咲いている、丈夫な花だ
志賀柳蘭が咲き始めた。見事な群生である
未だ咲き始めたばかりで花はこれからだろう、逞しい茎に沢山の蕾はこれからが楽しみだ
大きな草の中で互して、突き抜けて咲く逞しさは尊敬
柳蘭の鮮やかさはいつどこで見ても見ごたえのある花だ、此れから柳絮になるまでの半月余りが愉しませてくれる期間だ
種が風に飛ばされて地に落ちて翌年芽が出てくさのなかで耐えて生き抜き
その翌年一輪か二輪咲いて三年目に初めて草地を突き抜けて一人前に咲く、種でも地下茎でも増える強かな花でもある
大粟帰りの中に混じっても咲いている奴もいる
、所狭しと競い合って咲く花達に感服だ
哀しみをこれえて咲く吾亦紅も沢山ある、秋を代表するはなでもう山は秋の準備に余念がない
坊主頭の花は「女頭剃せど吾も亦紅」という
すうっと伸びた丹保槍の咲が紅の毛や理に成っているの薊は独特の花だし蜜を多く持った花だ、虫たちの訪れが激しい
少し黄昏時の成って来た高原は一抹の寂しさをもたらす景色だ
しろい鋸草が色色な草に混じって咲いている、、花は咲かないわけにはゆかない、咲くことが必須の使命なのだ
人も草も樹も獣たちも、生きるという事はたいへんなことだ、そしてしんどいことなのだ、そのかんにも何かしらの楽しさを見つけ求めて生きる
余生を後悔無い様に生きなくてはなるまい
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子
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