赤城大沼
2018年09月21日 | 花
おばんでがんす
秋探しの小旅は日帰りの連続の様なものだ、まだ仕事が捨てきれないし必要とされてい
ると思っている節がある、だから思い切って長旅ができない、極端に言えば若しも私が天界に赴ひた
としても、会社も家庭も周囲の世間も何も変わらない、
その程度の物なのに自分を過大評価しているのだ、悔しいけれどそれが現実で有ろう
そんな事でゆっくりはできないがこまめにネタ取りに出かけている
切りに煙る赤城大沼のカットだ、よほど好きなのだろう未だ若い二人が釣りをしている
何をつっているのかも聞かなかったが、水面を只管見つめていて、その瞬間を待つ
私にはとてもできない作業だ
大沼と小沼の間に覚満渕がある小湿地帯だ、小さな池があるが、榛名山から見ると矢張り大きな
山なんだということが判る、湖の数と水量が如実に表している
大沼の周囲を秋探しに歩いて見ると結構色色な場面がある
芒の径も中中の風情だ
悲しい物語を秘めた、吾亦紅、も咲いている
関東嫁菜で有ろう薄紫の野菊だが、これも悲しい物語を持っている花だ
どんなに虐げられてもいびられても強かに繁茂している、強い花だ
矢張り海抜が低いせいなのか、竜胆の花色は薄い、その分可憐さはあるが存在感が薄い
花は派手さは無いが群生していると存在感がある、独特の香りがあたりを漂う、ゆうがぎくだ
湖尻に行ったら一面に林間を埋めて、晒し菜升麻が咲いている、若芽をさらして食べると言う事から
命名と効いている
秋の短い時に作にして葉大型の花だ、霧雨を存分にため込んだ花穂は、重そうだが美しい
この美しさに免じて、本日はこの辺で良かろうかい
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子
こめんとありがとうございます
少し早かったが赤城の秋を楽しんできました
勿論楽しむ迄の余裕はありませんで、。わき目もふらず駆け足で通り過ぎたと言った塩梅です
でも自然はやっぱり人を裏切らない
何かしら楽しい物を見せて呉れて癒してくれます
私も学習をして行き会った人に癒しの万分の一も
提供できるようにしたいと思っています
今は自分だけが癒されるので目一杯です
いつも何時も勉強が足りないなと反省しています
死神が迎えに来て連れてゆかれるまで頑張る
そんじゃあまた
こめんとありがとうございます
ノルウエー、、、、、想像もつかないことですし
生涯行けないところでしょう
御主人の選択を間違わなかったと言う事の一語に尽きる、、やはり頭脳明晰容姿端麗は男女共の武器です
そして本当に良い事を始めましたね
必ずあなたの事だから物にするでしょう
頑張れ同級生
では又
こめんとありがとうございます
だいぶ慣れましたが時々無性に寂しくなることが有ります、先日も四十年もお付き合いがあった
お得意様の奥さまが亡くなりましたがだんだんとしたいい人が少なくなるんぽが心細い限りです
彼の占領軍総司令官マッカーサー元帥が言いました、老兵は死なず、ただ消え去るのみ、
全くですいつか来る死と言うものを意識するようになって日々とても大切に成っています
板絵も勉強不足でうまく成りませんが
呆け防止と思えば苦にならない、笑わば笑えです
其の内にじっくり描ける日が来ると思います
お気遣いを戴き感謝して居ります
では又
<本日はこの辺で良かろうかい
良かろう
良かろう
サラシナショウマの清らかさが、ちゃんと写っています
霧の覚満淵も、幻想的で良いものです
お彼岸ですね
早いものです
忙しく色々していらして、山にも花も見に行けて、奥さんも安心したかな?
大変ごぶ沙汰していますブログでお元気の御様子は承知していますので喜んでいます
私も殆んどが医者の梯子をしている状態ですが
元気です
孫も大きくなって孫育てからも解放されました
若い者達もぼちぼち定年の話が出る様になり
この夏は暑さを凌ぐためにもと思い主人の友人がいる、ノルウエーに七月一杯行っていました
ノルウエーはとっても冷涼なところです
お話すれば切りも無くありますが
其れは後日として主人と二人で今英語塾に通っています、つくづく英語力の不足を痛感して呆け防止もかねて週3回の塾です
イギリス人の先生で多少アメリカとイントネーションが違いますが、楽しく勉強しています
三年勉強してどうにか通用すればもう一度行きたいと思っています
目標を持つという事は張り合いが出ます
七十五の手習いと言う事で周りの人や親せきや家族に笑われていますが、楽しい事には変わりなく
良い事を始めたと存じます
元気でいればそのうちに何かの機会に遭えるかもしれません、希望は持っています
何はともあれ元気で楽しく老後を楽しみましょう
其れでは又コメントをさせてもらいます
頑張れ同級生
御無沙汰です、お元気ですか
秋はいろいろな顔を持っていて、物思いに耽る秋もあります
大分一人居に慣れたと言う話も聞いていますし
私の経験からももうぼちぼち慣れる頃だと思っていますが
人の感情は色色ですから未だショックカラ立ち直れないのかなとも思っています
何となれば最近は板絵が全く見られなくなっています、そこまで気持ちが回らないのか余裕ができないのかはたまた別の事が忙しいのか
いろいろと想像しています
只管心を込めて絵に向かっているときは諸々の事が一時わすられます
私も主人を亡くした時にどれほど絵を描くことで助けられたか知れません
折を見て集中して描いて見てください
きっと良い絵が描けると思います
小さな親切大きなお節介とも存じますが
期待して待っています
あの板絵で何人の人が癒されるか、、
絵にも大きな力があります
生意気を申しました、、
では又コメントします
絵子