おぜの2
お晩でがんす
尾瀬の朝はとても爽やかだ、傷心の年寄りには最高の癒し時間だ
木道の間にもニッコウキスゲが生えている、あるところにはあるものだ,
鷺菅も昔から見ると少なくなった気がするがそれでもある
下には沢蘭が交っている
行者大蒜が大群生である、適地適作と言うが我が家の物とは大違いだ
此れほどの大蒜があれば行者様も厳しい修行にも耐えてゆけるであろう
羊の刻に咲くから羊草、つまり午後二時くらいのことか?葉っぱと花だけを池塘の底から伸ばし
どんな風にも雨にも負けずに可憐な花を咲かせている睡蓮の仲間だ、今回は会えないかと思ていたが
やっと会えたという感じだ
杜若の群落が彼方此方で歓迎してくれる体の割には大きな花で存在感がある
時間があれば絵にも描きたいが、独りで放浪しているときの様にはゆかない
経咲き始めの一群の花だ、なんと言うかは忘れたが一日に一つずつその株からは咲かない
毎日毎日少しずつどんな気象の変動が来ても対応できるように種を温存するための知恵なのかもしれない
でも黄菅も三倍体,だかもしれないので結実は如何なのかな?
何処まで続く木道は先人の苦労が良く見える。そして頭が下がる
白樺と岳樺の生育ラインの境目にある尾瀬は両方が林立している
この池塘には尾瀬河骨が見える、釧路湿原の河骨と違うところは花の芯が。どうのこうのと言ったが
植物学者になるわけでもなく、それほどの細かい知識を持っても、使い道がないという言い訳だ
水の中から付き出した花が突然一人で咲いていると言った感があるが、否、水中で一年中養分を蓄えて
頑張っている親株の努力は凄いと思う
安物のカメラではこれが限界の引き付けだ
池塘に映った雲や空はまるで池塘の底が抜けているかに見る
池塘と日光黄菅と逆さハイカーとはトリックアートの世界だ
朝露に濡れた黄菅の美しさは感動ものだ
そして向こうの山は帝釈山だろうか??ぽつんと一人ぼっちの白樺が今の自分に似ていて目の朝露がこぼれる
水芭蕉の本当の花が結実して水面に写っているこの花一つで350~400の種ができて水面に流れ出る
浮遊散布の播種の仕方は水がない事には始まらない
今にも落ちそうな涙をたくさん持った沢蘭が悲しそうだ、そしてなぜそんなに可哀相気で悲しそうなのだ
と問いかけてみたが風がわずかに何かを言ったくらいだ
チングルマの花が咲き終えてもう実ができてこれから更に茎をのばし沢山の綿毛で風を受ける準備に余念
がない、この状態が元元の名前の「稚児車」だ、古人の命名の妙はとても追いつけない
立派だ、、
第二弾はこの辺りで終う
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子
良かったです。あまりにもお休みが長いので、世をはかなんで落ち込んでしまったのではないかと心配でした。
まだまだ本復とまではいかないようですが、行動なさっていらしたようで安心致しました。
尾瀬、いいですね~若かりし頃いっぺん行っただけの場所ですが、こんなに沢山の花があったのですね。
もっとあるならもっと見せて下さい。飽きたりしませんから。
こめんとありがとうございます
尾瀬はいつ行っても魅力的な場所です
そしていつも落胆はさせない春夏秋冬それぞれの顔を見せる、
特に夏の尾瀬は花々が一斉に咲き競い自分の種を繁栄させるために色色な知恵を絞っているのが楽しい
ゆっくりと自分のペースでじっくりと花を見る
写真も良いし絵も良いし図鑑と見比べるのもよい
只距離があるので足腰の鍛錬が必要だ
でも近くの山小屋で泊まる様にすれば十分堪能できる
来年も希望しているのだが。家族の許可が出るかどうか
では又