おはようがんす
先日の喜寿の祝の小旅の続きです
高峰高原から林道をたのしみながら湯の丸山へ向かい、湯ノ丸駐車場で降りて
蓮華躑躅を見に行ってきた、勿論後期高齢者だから登りはリフトである
当然蓮華躑躅は期待していなかったが、想定通りで牛の糞をふんずけない様に歩くのが
真剣で有った
リフトから下を見ながら。この程度の斜面に臆している自分が餘に力なく見えて腹が立った
のんびりと寝ている牛と殆ど変わらない無力感に捉われた
毎日毎日堕情に生きて居てなんの得が有るのかと思うところがある
姫すいば、であろう、群生して一帯を赤く染めている、外来種が繁殖して今や在来種と
間違えるようだ、
野薊も沢山あるがまだ咲くところまでゆかない
野綾目は沢山の牛にもたべられないで繁茂している、おそらく餘美味くないのだろう
蕾が山のようにある、来週の日曜辺りは見ごろだろう
冬はスキーで稼ぎ、夏は牧場で利用し湯の丸山の登山道として位置しているリフトを降りて
躑躅平までは平坦でむしろ下り込みのようだ、これから九合目までは花の宝庫なのだが
登山をすると言う覚悟も無く来たので、。そがれの蓮華を見て下山する
途中何時の間にか自然にどことなく山中でも林道でも低地でも繁殖している
マーガレトが群生している、こうして何時の間にか日本の佳き花も外来種に席巻されてしまう
のかとおもうと花は綺麗なものだが複雑の心境になる
この写真にある川の縁にルピナスが沢山ある
ルピナスも何時の間にか日本の花のようになってしまって、比較的に海抜の高い所によく見る
写真を撮っていると元気な声が聞こえて来た、民宿でもしているらしき家の子供が下の川で
岩魚を吊ったらしく、釣れた釣れたと興奮しながら走って来た
手馴れた様に青草でえらからぶら下げて来たのを止めて撮影させてもらった
未だ身体をよじって刎ねている、見事な岩魚だ
こんな自然豊かな環境で育った子供は素直な良い仔に育つだろう
どんな綺麗な花よりも、きれいで純真な場面に遭遇した、
多分今夜の宿も良い宿で有り良い風呂であろうと幸先を想像した
歳をとるという事も偶にはよいことがあるものだ、まんざら悪くはない
紅いノコギリソウが餘はっきりしない梅雨空に凛としてたっている
歳はとっても矜持は捨てずにいきたいものだ
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子
羨ましい
四万温泉では、ゆっくり湯に浸かれましたか?
最後の矜持という字、読めなかったし、、、意味が分からず調べてしまいました
まだまだ勉強
こめんとありがとうございます
四万は極極普通の小さな宿でした
ゆっくりと手足を伸ばし外を眺め涼風に当たり
色々と想像,創造の世界にはまり堪能してきました
欲には切りは無く、こうして至福の時を過ごせば
喉元過ぎれば、、、、、で又行きたくなります
彼の松尾芭蕉でさえも旅をしなければよい句はでないと言って奥の細道を旅した
ましてや凡愚の者は率先してそうした場所に出会いを求めなければ、良い歌も出ない
只能無しの野良犬でさえ歩けばぶつかり棒があり
新しいものに出会える
過ぎし時巡り来たらず、一寸の光陰軽んずべから
ず、だ
釈迦に説法か
では又