おはようがんす
先日小旅でで 信州路を高峰高原に、というより折角のドライブなので何処かへと思ったがあまり遠くは疲れる
から駄目だとか、然し信州を旅したいとか、色色言われて段段消去法でやって行く内に斯う謂う事に成ったのだ
浅間サンラインから更にその上の浅間中腹の道、浅間南麓農免道路に入り新緑から萌え葉に移ろう道を走る
あさま山荘事件の現場の下を通過して高峰高原道路に出て北上する
落葉松に巻き付いた藤が満開だ
林業の為には、昔は「蔓切」という作業があったのだが、そうした工程も林業の停滞で無くなってしまった
その結果の藤の満開が見えるようになってしまった、綺麗ではあるが、、、。
そしてそれが何本も林立している、山林も荒廃しているのだ、あまりにも利益利益を追求した結果
国力や国の自立や自給の問題を超えて世界中から集めて配布する生活が、果たして地球の為に良いのだろうか?
今を取敢えず生きればそれで良いという考方が蔓延し過ぎていると思う
さりとて非力な者にはそれを如何斯うできない、その地方に生きる者にはその地方独特の生き方があり
其れこそが自然と共生できる道なのだが
理想と現実とは餘にかけ離れてしまっている
谷空木が道端を埋め尽くしている、前出の、卯の花、と親戚の樹だが、色が良い、大きな雑木が無い開けた場所
を好んで繁殖する、昔から山手にある灌木だ
この見事な咲きっぷりが、とても潔い
咲き始めは特に色濃く咲いて主張が大きい、初夏を彩る中山間地の名花だ。
高峰高原は、まだ残雪が沢山あり、新緑ともいえない、落葉松の葉が生きている証拠に出て来た様な状況だ
山桜が咲き始めている、霜除けに色濃く葉っぱを開いて寒さに耐える山桜がいじらしい
自然とはいろいろな防御の体質を持っていて、いち早く咲いていち早く実を成熟させ、一早く種を落として増やす
それは厳しい自然を生き抜いてゆく必須の本能なのだろう
早春を如実に見せる山桜だ
此の山桜の樹の中心部分の赤みがチップにして最高の燻製ができる、
それぞれが持っている最高な役割がそれぞれの樹にあるのだ、だから必要に迫られて樹が生えていると思えば
その樹も愛おしものだ
こんな五月内に夏日が何日も出現する、異常気象の中でも花は咲いて見せる、多くの樹や花や自然に感謝しながら
日々を過ごせる幸せを痛感している
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子
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