おばんでがんす
庚申待ちは私の浅学では確か道教から来ているらしい、人は、頭、腹、足、に「三し」と言う虫がいていつもその人
の行状を監視している、庚、申、の日が60日に一偏やってくるがその度に夜に閻魔様に告げ口に行く、いやな虫だ
閻魔様はそれを参考にして集約し寿命や死後の配置を決めると言う
夜、人が寝静まらないと閻魔様の所へ行けないので庚申の日は寝ずに騒いでいると言う酒好きには都合のよい日だ
平安時代からある行事で、公家、社寺族。武士、一般へと流下してきたらしい
当区では当日集めた食材で「混ぜご飯」を作りこれを皆で食べる、酒は飲まないのが例であるが
正面に掲げてある神様の掛け軸を外して巻き取ってしまうと、神様不在になるので酒宴が始まる
都合のよいならわしで有るが、下戸には面白くないが、、、、
仏教では「青面金剛尊」と「帝釈天」で神道では、猿田彦大臣だ、猿繋がりで、三猿の信仰がある
「見ざる言わざる聞かざる」だ
近くの地区の庚申塚だ。昔からの少ない公用地であることから防火水槽が傍にある
何処か不具合が出て映像が回転しない何度か試みたがいけない、これは仏教式の青面金剛尊である
秋葉大神は火除けの神様で各地にあり村中にも何か所もある。この地区も防火用水を敢えて作ったのかもしれない
此れは「蚕影碑」で農家の基幹作物で有った養蚕の神様で有り。晩霜害で飼育できな無くなった蚕を捨てなくては
ならない農家の悲しみの具象だ、山に捨てることから「蚕影山」ともいう
苔むして文字は読めないが庚申様だの北西の外れに建てて、疫病や野荒らしや、害獣などの侵入を守護してく
ださる神様である
この神様をお祀りするための庚申待ちなのだ
此れは、猿と申、繋がりで信仰が広がった三猿の社だ、当家の固有の神壇にある
UPしてみると見ざる言わざる聞かざるの三猿が彫ってある
こうしたお祀りを残しながら地域住民の団結や親睦を図って来た
善男善女の顔はどちらも大らかで平穏な顔つきだ
こうした語らいのの中に新旧住民の和合もあり融和が生まれる
こうした事を長く後世に伝えることも高齢者の役割で有ろう、良い風習は長く伝えたい
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子
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