お晩でがんす
20日は最後の正月行事で、二十日正月と呼ぶ、
この日は恵比寿講の日だ
自宅用の恵比寿様大黒様 大中小取り混ぜて四対を別間にしつらえた台の上に出す
商売用の神棚から、恵比寿様と大黒様を三対と七福神様の御乗りの宝船を一艘出す
結構賑やかな台に成る
海の幸の秋刀魚二匹と、ご飯と汁一膳。沢山の小判の天婦羅だ
薩摩芋の輪切りで作る
こうして御馳走を進ぜて福の神の来訪を祈る、昔の庶民の食卓は此れくらいが立派な御馳走であったのだろう
ここに家族のお財布を置く沢山のお金が入るようにと願う
子供たちの空っぽの財布に 恵比寿爺と大黒婆がそっと入れておく
因みに 昔の寺の住職は妻帯禁止であったので、賄いのお勝手で煤ぼけて真っ黒になっている男女の区別もつかないほどの人を大黒様と呼んだ
これは妻ではなく、大黒天という仏であるといったところだ
だから今でも寺の奥様は大黒様と呼んでいる
何はともあれ今年も沢山の宝が入りますように、、、、、、
頼る神様は多いい方がよいので、七福神も動員する
少しよく深すぎるかも、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子
20日は最後の正月行事で、二十日正月と呼ぶ、
この日は恵比寿講の日だ
自宅用の恵比寿様大黒様 大中小取り混ぜて四対を別間にしつらえた台の上に出す
商売用の神棚から、恵比寿様と大黒様を三対と七福神様の御乗りの宝船を一艘出す
結構賑やかな台に成る
海の幸の秋刀魚二匹と、ご飯と汁一膳。沢山の小判の天婦羅だ
薩摩芋の輪切りで作る
こうして御馳走を進ぜて福の神の来訪を祈る、昔の庶民の食卓は此れくらいが立派な御馳走であったのだろう
ここに家族のお財布を置く沢山のお金が入るようにと願う
子供たちの空っぽの財布に 恵比寿爺と大黒婆がそっと入れておく
因みに 昔の寺の住職は妻帯禁止であったので、賄いのお勝手で煤ぼけて真っ黒になっている男女の区別もつかないほどの人を大黒様と呼んだ
これは妻ではなく、大黒天という仏であるといったところだ
だから今でも寺の奥様は大黒様と呼んでいる
何はともあれ今年も沢山の宝が入りますように、、、、、、
頼る神様は多いい方がよいので、七福神も動員する
少しよく深すぎるかも、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子
20日正月は東京ではほとんど聞きません 当然お飾りなど実施している家庭は極めて少ないものと想像します
富士山の描かれた帆の宝船に存在感がありますね 他の神様方もたくさん たいていの家庭にはこれほどの神さまは集まりません きっと我が家には探しても1体も無いでしょう 神様のご神体はたくさんあっても良いものなのかなってちょっと素朴な疑問も
正月の子供たちはお年玉を2回もらえることになるのですか? 子供たちにとっては嬉しい神事ですね
<橙>
やっぱりね~これだけ福の神を大事にしているから、師匠のお宅はザック、ザック貯まるのね~
恵比寿大黒も無い我が家
今年もカツカツで行くしかないね
コメントありがとうございます
宝船は昔戴いたものですが大切にしております
今も大切なそして何度も仕事を発注してくださるお客さまです
子供たちにとっては嬉しい神事ですから必ずします
子供たちもよくよく丁寧に拝んでいます
御神体が幾つも有るのは如何かと言う疑問ですが、百観音、百庚申、百地蔵、百稲荷等と沢山の御神体を祀るところは沢山あります
なのでこちらでは普通に見られる状況です
大勢の神様がいらっしゃるとそれだけ御利益も多いという簡単な方程式です
此の日に「恵比寿講」をする家がまだまだ多く
かなり大きな「すーぱー」でも夕方は秋刀魚が売り切れに成ってしまいます
大型スーパーが四店舗ありますが何処も秋刀魚は売り切れ状態です
長閑な田舎の風物詩です
ではまた
コメントありがとう
そうです神様を大事にすれば神様も答えてくれます、あのキリスト様さえも
「信じよされば救わん」と言っています
信じなければ手を差し伸べようがないからでしょうか?
恵比寿大黒天は「異名同神」と言われています
つまりどちらも同じ神様ですよと言うわけです
だから一人では片手落ちで常に二人でいるわけです、それが夫婦和合の意味につながり
仲良くしているから無駄な出費がなくてお金が残る、、、それがお金持ちに成る、、、
商売が繁盛してお金持ちに成る、、と段々変化し、転化して「商い恵比寿」に成り熊手でお金を掻き寄せる事に成り、熊手市が立つ、、、、
風が吹けば桶屋が儲かる。。話と同じですね
そして恵比寿大黒様は自分で購入したのではお金が出てしまい貯まらないのです
誰かから戴くのが常道です
最高は裕福な家から戴くのが良いのですが
此れは中中難しい
気に入った大黒様が有ったら何方かに買って戴きそれを寄付して戴く
そして後でお礼をする
それが例えば買値より余計で有れば縁起が良い
、、、と言う事に成っている
お金を貯めるのにも元手が掛るという話でした
ではまた