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たわ言、泣き言、独り言 時々新刊案内

自分の狙い通りに読まれて、かつ感動される作品を書きたい

この記事は2023年10月25日にXに投稿したポストを加筆修正したものです。

ある方が web 小説投稿サイトであるカクヨムに書かれた記事を読んで、とても心をうたれました。
作品にこめた作者の狙いと、作品を読んで読者が感じる感想は別の物。
それをわかっていても、自分のこめた狙いと違う読み方をされると、どうしてそんなふうに読むのだろうと考えてしまう。
好きに読んでねと言いながらも、どうしても。

わたしは「酸性雨」で「第3回日本SF作家クラブの小さな小説コンテスト」いわゆる さなコン3 に応募して、幸い一次選考を通過しました。
そしてフィードバックコメントを頂きました。
そこにはこうありました。

>…メタフィクションであることを目的化しすぎている…主人公の個性が希薄…メタフィクションという構造が主人公を動かしているように読めてしまいます…

この指摘は全くその通りでした。
特に「主人公の個性が希薄」という特性(感情描写がほぼ無い)は、自分のほとんどの作品に共通していて、いろんな方に指摘されています。
なので、このコメントを頂いたときも、素直にそうだよねと頷いていました。
でも、心の奥底では違っていたのです。
狙ってそうしているのだと考えていたのです。

そう、フィードバックコメントを書かれた方は、さきの部分について、わたしの狙い通りに「酸性雨」を読まれたわけです。
ですが、狙いの通りに読まれたからと言って、それで作品が成功したわけではありません。
指摘された部分は、自分の作品の弱点です。
読者を惹きつけ、感動させるのには足かせになります。

わたしは、わたしの思い通りに書いて、それでもなお読者を感動させる、そんなふうな作品をつくりたい。
それにはまだまだ力が足りない。
今回の さなコン3 で頂いたフィードバックコメントで、そのことに気づかされたのでした。
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