家とは、基礎があり床があり、壁があり、屋根がある。
さらに上下水道があり、ガスがあり、電気がある。
まだまだトイレがあり、家電があり、食材があり、布団があります。
不思議なもので始めは1で満足だったものが2も3も欲しくなり、満足すると次の満足を見つけ出します。
次の満足を見つける時は、自分以外の人と比べて、自分より良いと思われるものと比べてだと思います。
私たちには不満な生活でも、質素どころか豊かに生活ができています。
豊かというのは隣近所の人と比べてもいいですが、これが100年前、500年前、1000年前と比べても今は豊かです。
戦争に巻き込まれた時代もあったでしょう。
飢饉に見舞われた時代もあったでしょう。
疫病に蔓延した時代もあったでしょう。
しかし、その時代よりも今はスーパーに行けば余って破棄するくらい食料はあるし、住む場所も数々の地震や災害を教訓にして進化して並大抵のことでは壊れません。
マスクも100年前よりもはるかに性能が良くなっています。
こんなにも恵まれた日本に住まわせていただいている。
病気のところ以外は健康です。
貯金はちょっとだけかもしれませんが自身の銀行の残高以下ではありません。
仮に、現在の残高以下になっても現状以下になり続けるくらい残高がある。
しかし、私たちは、それでも不安なのです。
私たちは、それでも心配なのです。
こんなにも恵まれているのに。
もう物を豊かに「所有」するよりも生かされている「根っこ」の部分に目を向けてもいいかもしれません。
生かされている「根っこ」の部分とは、生かされているから豊かさを体験できる生かされている部分です。
生かされているから所有を楽しめる。
生かされているからトラブルを経験できる。
どれも生かされているからです。
もちろん、それらが嫌になる時もある。
嫌になるくらい満たされている。
嫌になるくらいありがたい、ということ。
病気でも生きていけるくらいの健康だ、ありがたい。
学校の勉強はできないけど学ぶ機会はいくらでもある、ありがたい。
人に嫌われたけど新しい出会いのチャンスがなくなったわけじゃない、ありがたい。
心中は、生きていけるだけあるからありがたい、満足、十分だ、です。
それでも生かされている現実に感謝をしたいと思います。