私たちは生きていますと嫌な思いをするものです。
嫌なことをされることもありますが、してしまうこともあるものです。
けど、どれも「嫌なこと」ですんでいるとも思えるんです。
嫌なことをされるときって、嫌なことだけですんでいるんだと思います。
嫌な思いだけで、いじめでもないし犯罪でもない。
今、受けている嫌思いは、いじめや犯罪ではなかったんです。
そう思いますと、いじめや犯罪じゃなくてよかったと心から感謝したくなります。
それに、今、受けている嫌な思いというのは他の思いではなかったことを思いますと、これもありがたいです。
なにをいいたいかというと、今、受けている嫌な思いは、「もっと嫌なこと」ではなかったし、「すごく嫌なこと」ではなかったということです。
ただの「嫌なこと」を今受けるだけでいい。
「嫌なこと」ですんでいる。
これは、ありがたいことだと思います。
この嫌なことは、人によっては、悪口や嫌がらせかもしれません。
上の話から思うに、それもただの「悪口」ですんでいるし、ただの「嫌がらせ」ですんでいるともいえるのはないでしょうか。
「悪口」だけど、「ひどい悪口」ではなかったし、「嫌がせ」だけど、「ひどい嫌がらせ」ではない。
今くらいの悪口や嫌がせであって、もっと悪くなかったし、ひどくなかったのです。
これはなんにでもいえるかもしれませんね。
嫌な思いはするけど、もっと嫌な思いじゃなくてよかった。
嫌なことはされるけど、もっと嫌なことじゃなくてよかった。
これは、いじめや犯罪を肯定しているのではなくて、人を恨まずに、心中では、心穏やかにいようねっていうことなんです。
そんなに人を恨んでも、怒ってもいいことってないです。
ましてや、復讐を考えてもいいことはないです。
それよりも、今日も、自分のまぶたで瞬きできたありがたい、とか。
今日も、一日、無事に過ごせたありがたい、とか。
そういう感謝に目を向けたいと思います。
嫌なことする人も私たちもいつか死んじゃうんです。
私たちは、人を恨んでいるあいだに、怒っているあいだに死に向かっている。
人を恨んだり、怒ったりすることってあると思いますが、恨みや怒ることを感謝に変えていけたらいいですよね。
そしたら、人を恨んだり、怒ったことは、人を恨んだけど感謝に変わったことになり、怒ったけど感謝に変わったことになります。
結局、何事にも感謝しているのがお得かもしれませんね。