私たちは、生かされています。
地球に生かされています。
太陽に生かされています。
ご先祖さまに生かされています。
社会に生かされています。
自分自身に生かされています。
生かされていることの感謝を忘れますと自分一人で生きているんだと感謝を忘れ、いつか自分が死ぬことを忘れてしまいます。
感謝とは、忘れやすいものかもしれません。
けど、忘れやすくていいのかもしれません。
意識しなければ感謝はできないのでそれがいいんだと思います。
仮に、私たちが意識的に感謝をしなくても、体が、呼吸が、心臓の動きが生かされていることを感謝しているかもしれません。
それでも、私は、すぐ忘れてしまう感謝を続けて生きたいと思います。
私がした感謝は、誰も覚えていないし、私もすぐ感謝をしたことを忘れると思います。
同じように、人が生きることも同じだと思います。
なにごともなく生まれて。
なにごともなく生かされて。
なにごともなく死んでいく。
なにごともなく時代は流れる。
なにごともなくそれが繰り返される。
私たちの感謝もなにごともなかったかのように扱われます。
しかし、それでいいんです。
形に残らないし、覚えてもいつか忘れる、まるでなにごともなかったかのように。
この形に残らないとは最上の喜びかもしれません。
形に残るという完成が果たして永遠だろうか。
形に残らずに、いつまでも完成しないものこそ永遠ではないだろうか。
それを地球のみんなでする遊び。
私たちの命がけの遊び。
大人になり遊びを忘れても、子供からは遊びは忘れられません。
子供の遊びとは、感謝の継続なのかもしれません。
感謝の継続は、生きる歓喜かもしれません。
生きる歓喜は、子供だけの特権ではない気がします。
大人の私たちでも日々、歓喜であふれていると思います。
それが形に残らず、完成もせず、すぐに忘れてしまう、感謝の継続なのかもしれません。
お得な生き方とは、なにごともなく感謝することもしれませんね。