goo blog サービス終了のお知らせ 

光輝く☆希望の家

スリランカの希望の家。今は地滑りで家は居住不可。でも、その体験は私の中に生きていて、書き留めたい事が生まれ続けています。

おもいこみ

2014年03月28日 17時52分41秒 | つぶやき
遠い昔だったような気もするし、つい最近だったような気もするし。

スリランカへ行っていたのは、そんな時空の中に生きているみたい。

私の環境もこの2年で様変わりした。



このところ、年配の方との関わりを持っている。

年配といっても、かなりなご高齢の方ばかりで、
80歳では、「お若い」グループに入るお歴々。

その中で感じることは、

お年寄りって、意外と「わがまま」ってこと。

自分も、もうそんなに遠くない未来にそうなるわけだから、

なんだか、切なくなってくる。


そして、いつものように
じーーーーーーーーーーーーーーーっと観察してみると、
何故ゆえ、「わがまま」になっているかが、それなりに理解できてくる。

もちろん、その理解は正しいとは限らない。

あくまでも、私自身の理解・・・。


「わがまま」だなぁ、とこちらが感じた出来事は様々なんだけれど
その多くが、コミニュケーションの欠落にあることがわかってきた。

要するに、こちらの気持ちや状況が伝わっていないわけ。

その要因に筋力、視力、聴力の低下が大きく関与していることは否めない。

高齢の方と関わっている方は、「うん、うん」と大きくうなずいていることだろう。

そして、多くの場合、高齢者の頭の中に描かれた「考え」は曲げられないのだ。

「思いこみの強さ」は、聴力の低下の援軍を受けながら
聴きたいように私の言葉を受け取り 

はたまた視力の低下の援軍を受け
観たいように 目の前に起きている体験を受け取る。

その流れは、当然、ちぐはぐなコミニュケーションになり、

こっちも「わからせたろかいっ!」的な、闘争心に燃えてしまうことになるのである。

数々の機能の低下があるのにノンバーバルな会話の方は
むしろ視力や聴力の低下を補うみたいに研ぎ澄まされるようで、
その闘争心は、まんまと伝わり、
相手も戦闘モードに突入という展開になるのである。

こっちはこっちで、「云う事を聴いてくれない=わがまま」というこれまた思いこみを持っていて、「支配してやろう」なんて思ってはいないんだけど、結果的には、相手を思い通りにしたいんだな。
これって、おばぁちゃんやおじいちゃんもそうなわけで、
なんか、北と南みたいな意固地な感じになって、
お互いに「相手が悪い」って思っているんだよねぇ。



そして、「それって、いくつから始まっちゃうの?」と
自問してみる。

歳を重ねないまでも
始まってるやん・・・・

こわっ

そして、そして、
少しづつ、脳が委縮していくのと比例するように
思いこみの強度って増していくのかも。

今も、私の中の思い込みは強化中なのか??

YES・・・

え、強化月間になっていません?

YES・・・

やだ、ダークな時ほど、強化月間になりやすいの?

YES・・・



ぎょぇぇっ だよ。

秋の行事  グロフェス

2011年08月27日 10時10分12秒 | つぶやき
毎年、出店しているグロフェス。

今年は、どうしたものかなと・・・。

いつもなら、もう計画を練って、色々やっているわけで。

昨年は、カリーの看板もえちこさんがつくってくれたり、

あきこさんのTシャツサインもあったりして、

これから、やるぞーーーーって意気込んでいたんだけど。


実際、原発、震災で、なーんか、シュンっとなっている。

しかも、スリでの体験もシュンとなっている要因。


言い訳は色々ある。

けどさ。


結局・・・言い訳なんだよね。


心の中に渦巻いているモヤモヤとした気持ちがある。






ちゃんと責任とらないとだな。



今、置かれている自分の現状と
今、起きている自分の心情。



どちらにも責任とらないとだな。














絆ハウス

2011年06月10日 12時07分00秒 | つぶやき
我が家の2軒どなり。

親戚のご厚意で一年間は無料で貸してもらう。

その条件のもと、家の大掃除、補修が始まったのは、

3.11から2週間くらいの時だったと思う。

まだ、水も風も冷たかった。


たくさんの人が関わってくれた。

キッチンのお掃除には丸2日もかかったし、

屋根の板金は、友人の浜さんが、無償で修理してくれた。


あちこち痛んだところが在る家を 住むようにするまでには

いろいろな物語がある。

補修にはお金もかかる。

スリランカの子供たちの家を創るためにバザーで集めたお金を

快く使っていいと了承してくださった 静岡のみなさん。

沢山の愛が詰まっている家。

沢山の絆が結ばれている家。

その家の事を 私たちは「絆ハウス」と呼ぶようになった。


石巻へ行って、そりゃぁ美しい海と出会って、

絆ハウスへ来る家族なんていないんじゃないかと感じた。


だって、ほんとに綺麗な海なんだもの。

そこには、友人が、家族がいる。


いくら津波で流されてしまっても

生まれ育った土地を離れて

諏訪の絆ハウスへ避難するなんて

私の ひとりよがりな考えだと知った。



そして、昨日、絆ハウスの入居者が決まった。


郡山の自主避難しているご家族だ。


住み慣れた家を 捨てる。

なんて、悲しいことなんだろう。

心労は尽きないに違いない。

チカラになれるほどのチカラを持っていないけれど

チカラになりたい。

ほんとうに そう  おもう・・・。








この2カ月

2011年06月07日 14時46分22秒 | つぶやき

スリランカの事を想うと チクリと胸が痛む。


今回の津波があってから、

ずっと考えていた。

お国柄と言ってしまえば、それまでだけれど

日本とスリランカの国民では

随分温度差があるように感じる。


日本では、多くの一般市民が立ち上がっている。


スリランカでは、どうだろうか。

相当、問題は在るはず。

例えば、ダイオキシンの問題。

例えば、北部の難民の問題。

例えば、地雷の問題。




けれど、国民が、どれほど それに関心があるかと言えば、

かなり、無関心。

知ってはいるけれど、

自分には、どうしようもない・・・って

思っているのかな。


地雷だって、海外諸国の援助で撤去する事しか頭にないんじゃないだろうか。


北部のキャンプの人たち、

もう3年になるけれど

いまだに、テントで暮らしていたりするんじゃないかと思ってしまう。

テント地域では、長い行列の果てに給水車があった。

その光景が、赤い土埃と共に鮮やかに甦った。




この時期、政局どうのとやっている

日本の政治もお粗末で怒りが湧いてくるが、


スリランカの政治も酷いと思う。


それに、国民がその事にあまりにも無関心過ぎて

というか、文句を言わせない的な空気があるのか、教育がなされているのか、

理由はたくさんあるとは思うけど

このままじゃ、ダメだな・・ってマジで感じる。


いつまでも、海外の援助をあてにしてちゃ・・・ってことだよね。



ハイソサエティなスリランカ人の多くは、海外で仕事をしている。

居住地も海外。

それが、ある意味スリランカ人のステータスになっていたりするから。



スリランカの人たちはバカじゃないし

それどころかかなり頭がいいと思う。

記憶力も抜群だし、

何より、お金儲けが上手い。

つい、数年前までは、JAPAN JAPAN だったのに、

今は、もっぱら 中国だ。


コロンボやモラトワでは、結構お金持ちがいる。

でも、その人たちは、貧しい人たちを旨い具合に利用しているみたいに見える。






かなり、スリランカの人たちを批判しちゃった。

でも、それが、正直な気持ち。


小金持ちは援助的で

本当のお金持ちは、全く援助とは無関係な暮らしをしている。


あぁ。これってもしかしたら日本もスリランカも一緒かなぁ。

永田町のやり取りを観てるとそう思わざるを得ない。


国会を福島のホットスポットか、津波の避難場所でやってみたらいい。

議員の先生たちに、堅い体育館の床で 共同生活を開会中暮らしてみたら

もうちょっとは、ましな議論が生まれるんじゃないかと思うよ。



そして、スリランカに原発はないけれど

もし、福島のような事故が起きたとしたら、


スリランカは無人島になるんだろうな。








石巻 牡鹿半島

2011年04月19日 11時29分18秒 | つぶやき
美しい海だった。

壊れた家、がれき、屋根の上に乗ったままの車をのぞけば・・・。


4月16日 石巻市 牡鹿半島の避難所へ向かった。

介護ホームへ 下着と
子供たちへ絵本や学用品をめいっぱい積みこんで
とにもかくにも、行こうと決めたのは 先週。

スリランカで津波の避難所へ行った経験はあるものの

今回の被害の大きさは、その比ではない。

女川原発と目と鼻の先にある避難所。

寄磯小学校には、120名の方が避難していた。

道路が寸断され

最近 自衛隊が作ったであろう 砂漠に在るような道をゆっくり進むと こじんまりした小学校があらわれる。

電気は 一昨日きたという。
水道もガスもまだだ。

身体をふいたり、洗いものは プールの水を使っているとのこと。

そのプールの水も半分となり
この先、いつ水道が来るかわからないので、
シャンプーは禁止にしたと 笑って話してくれた。

漁師さんだったんだろうな・・と思われる男性とお話しさせてもらった。

案内されたのは、小学校の眼下に広がる美しい海とは裏腹に
めちゃめちゃになった漁村。

言葉もない。

石巻の漁港からここへ来るまでも、どの街も壊れはて、
一か所として、普通の町並みはなかった。


避難所に到着した時、殆ど人がいなかったので、どうしたことかと思っていたら

男衆は毎日「骨」を探しに行っているという。

それで出払っていたんだ。

「ご家族は無事でしたか?」その言葉をおもわず飲み込んだ。

訊けなかった・・・

申し訳なさ過ぎて。



必要なもの。欲しいものを伺った。


その質問が どんなに残酷なものであるか 知っている。

欲しいものは、前の生活、家、仕事。

決まっているじゃないか。

けれど、それを差し出すことは出来ない。

悲しさと悔しさが、身体に広がった。

男性は、
「そろそろ、あったかくなってきたし、
ジャージとか 靴も汚れてきたんでそんなものが欲しいな・・・」と言った。

「前に、送られてきたんだけど、サイズが合わなくて履けなかったんだ。」

「じゃ、サイズを聴いておいてください。後でお電話しますから・・・。そして、購入して送りますね」

そんな事しか出来ない自分に とっても腹が立つ。

「電気が通ったので、冷蔵庫が欲しいな。
全部、海水に使っちゃったから、使えねんだ。これからあったかくなってくっとせっかく作った食いもんが腐っちまうし、ノロとかあっから・・・」

帰り道、冷蔵庫を送ると決めた。

そして、やっぱり
どうしようも出来ない自分に とっても腹が立つ。

津波

2011年03月15日 12時53分26秒 | つぶやき
私にとっては2度目の体験。

一度目は、スリランカで。


インド洋大津波の被災地が最初の津波体験だった。

120kgの支援物資を文字通り担いで被災地へ向かった。


だから、必要なこと が、手に取るように見える。


水、食糧、毛布、ミルク、生理用品、トイレットペーパー
こんなとこが テレビから流れてくる情報だ。

そして、まだまだ足りないものはたくさんある。

床に長く寝ているだけで 体力は必要以上に消耗し、
気力の減退はすさまじい。

スリランカの人々は床に寝ることは、日常の事だった。
それでも、辛いと訴える人がいたほど。

まして、日本。

3日目になれば、限界に来る人もいて当然だ。

問題は、どうやって届けるか・・・なのだ。

迅速な陸路の確保が必要。

そして、避難している人たちの名簿や正確な人数の把握が必要不可欠だ。

でないと、支援物資が無駄に運ばれることになる。
特に食料は、余って廃棄するところや
全く届かないところがでてくるからだ。

この人が貰えて この人の分はない・・・なんてことが、
同じ キャンプで 幾度行われてきたことか・・・。

この非常事態の状況下で、「我慢」はいつもの数倍のストレスを生む。

ハイチでは、Tシャツ一枚で殺人が起きるほどなんだから・・・。



そして、下着。

メディアには出てきていないが、
下着を新しいものにするだけでも
精神的にも 身体的にも効果的なのだ。

村は壊滅。
生き延びた人々のキャンプで
下着とTシャツを持って行ったことがある。

その時の村人の表情が効果を物語っていた。

下着は、私のお古だったけれど
村の女性の表情は本当に嬉しそうだった。

日本では、まさかお古とはいかないが、
支援物資のひとつにいれて欲しい。



宮城の方たちが洗濯する水が確保できるのはまだまだ先の事になるだろう。

是非とも、新しい清潔なパリッとしたものをひとりひとりが身に付けられるようにしたい。






そして、今、被災地に 一番必要なのは 「希望」 だ。

コミットメント

2011年01月24日 10時47分24秒 | つぶやき
小正月に娘夫婦がスキーに来た。

娘の伴侶は、3歳の頃にスキーを始めたベテランで
孫の玲(6歳)と哲(4歳)に 今年初めてスキーをはかせることに。


私も こちらにきてから始めたスキー。
やっとのことで止まれるくらいの腕前なので
お子様に教えるほどのことではない。

そして、玲はパパの教えで目覚ましい進歩をとげた。

哲も私の股に挟まれながら、爆走。
何度か、網に捕獲されつつも
ひとりでバランスを取って滑る事に成功。

満面の笑みをこちらに見せる。


そして、埼玉へ帰る日。
玲は、長野に泊まると言ってきかない。
それが、叶わないとわかると
今度は「すきや」に行くと言ってきかない。

なんで、長野まで来て「すきや」?

スキーとすきやをかけているのかとも思う。

よほどスキーが楽しかったんだね。

そして、玲のコミットメントが凄いんだ。

何を言っても
「すきやへ行きたい」
何をしても
「すきやへ行きたい」

泣いたり、
ヒステリーを起こしたり、
説明したり、
言い続けたり、


考え付く方法を、
在りとあらゆる手段で
「すきや行き」をもぎ取るまで
やり続ける。

とうとう 大人は根負けして、
埼玉に着いたら「すきや」へ行くという約束をし、
玲はそれで納得した。


なんというコミットメント。
これが、コミットするという生き方なんだね。

子供ってすごい。
怖いもんなしなんだよなぁ。