僕は、引越しが多い。
今まで住んだ家は10軒。特に高校を卒業して札幌を離れて12年が経ったが、その間に9軒の部屋を転々とした。
①1981年 6月~2000年 3月 元町(札幌)
②2000年 4月~2002年 3月 池ノ上学生宿舎(東広島)
③2002年 4月~2005年 3月 ひだまり荘(東広島)
④2005年 4月~2005年 6月 南行徳(市川)
⑤2005年 7月~2005年12月 島之内(大阪)
⑥2006年 1月~2006年 3月 駒込(東京)
⑦2006年 4月~2009年 5月 自由が丘(東京)
⑧2009年 6月~2010年 8月 中目黒(東京)
⑨2010年 9月~2011年 2月 緑町(喜茂別)
⑩2011年 3月~2012年現在 御園(喜茂別)
この中で、最も印象に残っている家はというと、やはり喜茂別に引っ越す直前まで暮らしていた⑧の中目黒だろう。
それはもう、このブログで100回以上書いてきたので割愛。
では、次に印象に残っている家はというと、わずか半年しか住んでいなかったが⑤の島之内だと思う。
島之内という地名を聞いたことのある人は少ないと思う。大阪人でもあまり知らないと思う。
でも、もの凄いところなのだ。
わかりやすく言うと、心斎橋の繁華街から堺筋を渡ったところ、最寄り駅で言うと長堀橋。
つまり、ミナミのど真ん中である。
家の裏が韓国人街で、24時間営業のちょっと怪しいスーパーマーケットもあった。
決して治安は良いとは言えず、僕も車上荒らしに遭い、朝車に行ってみると、スーツの上着と鞄がなくなっていたことがあった(後部座席に置きっぱなしにした僕も悪いのだが)。
ヤクザの事務所も近くにあり驚いたが、僕と非常に仲の良かった同僚がそこに入ったことがあるというのにはさらに驚いた。
近所に住んでいるのは外国人と、ヤクザと、水商売の人と、僕の会社の人たち。
そう、僕の会社の寮がこんなところにあったのだ。
10階建てマンションで8畳ほどのワンルーム。そのマンションは僕が働いていた会社の関連会社の物で、一般の人も住んでいたが住んでいたのは本当にヤクザと水商売の人と僕の会社の人たちだけだったように思う。
僕はその6階に住んでおり、隣には僕と最も仲の良い同僚も住んでおり、同じフロアには広末涼子に似た水商売風の女の子や、ちょっと怖そうだがエレベーターで挨拶したら話が盛り上がり「今度飲みに行きましょう。この辺詳しいんで」と言う男などもいた。そのマンションには半年ほどしかいなかったため、その二人と仲良くなることができなかったのが結構心残りだった。
僕ら社員は住宅手当のおかげでそんなミナミのど真ん中に家賃1万円で住んでいたのである。
会社はそこから自転車で10分ほど西に行ったところの堀江にあった。
一大繁華街の心斎橋は、早朝になると祭りの後のようにゴミが散らかり、カラスが集まる。
そこをスーツを着てママチャリをちんたらこぎながら出勤すると、ブサイクな女がホストと一緒にガードレールに座っている。
それを見て『ああ、この女は一体このホストに今までどんだけ貢いできたのだろう』などと想像し、そして会社の同僚と話題にする。
僕がそこに引っ越した当初は朝ご飯も晩ご飯も寮で準備してくれた(経営悪化で廃止となったが)。
だから週末などは、仕事が終わると一旦家に帰り、そこで晩飯を食ってから同じマンションに住んでる同僚と夜のミナミへと繰り出すわけだ。
心斎橋、道頓堀、難波、アメリカ村、宗右衛門町、堀江・・・。
家まで歩いて帰れるので、当然終電を気にする必要などない。
ここで僕は繁華街で暮らす醍醐味や、夜遊びの面白さなんかに目覚めてしまったのだと思う。
アメリカ村のクラブや、宗右衛門町のキャバクラに行くこともあったが、一番行くことが多かったのが、やはり心斎橋だ。
馴染みの居酒屋もあったし、同僚たちの溜まり場のバーもあったし、ホットペッパーのクーポンを使ってガールズバーに行ったりもした。
中でも僕の一番のお気に入りは西日本最大の広さを持つというプールバーである。
ここの何が良いかっていうと、店員のかわいい女の子と一緒にビリヤードができるのである。
しかもこの店員がかわいいだけじゃなくてみんなめちゃめちゃ強いのである。
実は僕もビリヤードに関しては結構な自信がある。大学時代は大会に参加していたほどだ。だからあまり素人とやっても楽しくないのだが、ここでは十分楽しめた。
http://blog.goo.ne.jp/yume-tokyo/e/81996ce3f8f8664f347615f17887beeb
また、夜遊びに限らず、趣味が読書の僕は休日になると島之内図書館で借りた本を片手に難波のショッピングモールをうろつき、そこのカフェで読書をしたりもよくした。六本木ヒルズと設計者が同じというなんばパークスが僕は大のお気に入りだった。
神座のラーメンと出会ったのも島之内に住んでいた頃だ。大阪を離れる時に神座のラーメンを食べれなくなるのが本当に残念だと思ったが、次の勤務先の渋谷で偶然支店を発見し、狂喜乱舞した記憶がある。
関西はミナミが最大の繁華街だと思うが、梅田を中心としたキタもあるし、京都や神戸も近いうえ私鉄で安く行ける。京都には紅葉の季節を始め何度も足を運んだし、神戸にはルミナリエを見に行ったりもした。
また、大学時代同じヨット部だった恐ろしく趣味のあう友達も当時大阪大学に通っていたため、よく一緒に暴れていた。
僕が大学を過ごした広島からも近かったため僕も広島に何度か行ったし、広島から友達が来たことも何度もあった。
わずか半年しかいなかった大阪生活だったが、とにかく印象が強い。
そんな大阪生活だったが、僕は会社の倒産を機に、迷わず再度上京することにした。
それくらい東京での暮らしに憧れていたし、その予感をはるかに越えて東京は熱い街だった。
このブログで200回くらい書いているとおり僕は東京が大好きなわけだが、なんだかんだ言ってこのミナミでの生活も忘れられないのだ。
今まで住んだ家は10軒。特に高校を卒業して札幌を離れて12年が経ったが、その間に9軒の部屋を転々とした。
①1981年 6月~2000年 3月 元町(札幌)
②2000年 4月~2002年 3月 池ノ上学生宿舎(東広島)
③2002年 4月~2005年 3月 ひだまり荘(東広島)
④2005年 4月~2005年 6月 南行徳(市川)
⑤2005年 7月~2005年12月 島之内(大阪)
⑥2006年 1月~2006年 3月 駒込(東京)
⑦2006年 4月~2009年 5月 自由が丘(東京)
⑧2009年 6月~2010年 8月 中目黒(東京)
⑨2010年 9月~2011年 2月 緑町(喜茂別)
⑩2011年 3月~2012年現在 御園(喜茂別)
この中で、最も印象に残っている家はというと、やはり喜茂別に引っ越す直前まで暮らしていた⑧の中目黒だろう。
それはもう、このブログで100回以上書いてきたので割愛。
では、次に印象に残っている家はというと、わずか半年しか住んでいなかったが⑤の島之内だと思う。
島之内という地名を聞いたことのある人は少ないと思う。大阪人でもあまり知らないと思う。
でも、もの凄いところなのだ。
わかりやすく言うと、心斎橋の繁華街から堺筋を渡ったところ、最寄り駅で言うと長堀橋。
つまり、ミナミのど真ん中である。
家の裏が韓国人街で、24時間営業のちょっと怪しいスーパーマーケットもあった。
決して治安は良いとは言えず、僕も車上荒らしに遭い、朝車に行ってみると、スーツの上着と鞄がなくなっていたことがあった(後部座席に置きっぱなしにした僕も悪いのだが)。
ヤクザの事務所も近くにあり驚いたが、僕と非常に仲の良かった同僚がそこに入ったことがあるというのにはさらに驚いた。
近所に住んでいるのは外国人と、ヤクザと、水商売の人と、僕の会社の人たち。
そう、僕の会社の寮がこんなところにあったのだ。
10階建てマンションで8畳ほどのワンルーム。そのマンションは僕が働いていた会社の関連会社の物で、一般の人も住んでいたが住んでいたのは本当にヤクザと水商売の人と僕の会社の人たちだけだったように思う。
僕はその6階に住んでおり、隣には僕と最も仲の良い同僚も住んでおり、同じフロアには広末涼子に似た水商売風の女の子や、ちょっと怖そうだがエレベーターで挨拶したら話が盛り上がり「今度飲みに行きましょう。この辺詳しいんで」と言う男などもいた。そのマンションには半年ほどしかいなかったため、その二人と仲良くなることができなかったのが結構心残りだった。
僕ら社員は住宅手当のおかげでそんなミナミのど真ん中に家賃1万円で住んでいたのである。
会社はそこから自転車で10分ほど西に行ったところの堀江にあった。
一大繁華街の心斎橋は、早朝になると祭りの後のようにゴミが散らかり、カラスが集まる。
そこをスーツを着てママチャリをちんたらこぎながら出勤すると、ブサイクな女がホストと一緒にガードレールに座っている。
それを見て『ああ、この女は一体このホストに今までどんだけ貢いできたのだろう』などと想像し、そして会社の同僚と話題にする。
僕がそこに引っ越した当初は朝ご飯も晩ご飯も寮で準備してくれた(経営悪化で廃止となったが)。
だから週末などは、仕事が終わると一旦家に帰り、そこで晩飯を食ってから同じマンションに住んでる同僚と夜のミナミへと繰り出すわけだ。
心斎橋、道頓堀、難波、アメリカ村、宗右衛門町、堀江・・・。
家まで歩いて帰れるので、当然終電を気にする必要などない。
ここで僕は繁華街で暮らす醍醐味や、夜遊びの面白さなんかに目覚めてしまったのだと思う。
アメリカ村のクラブや、宗右衛門町のキャバクラに行くこともあったが、一番行くことが多かったのが、やはり心斎橋だ。
馴染みの居酒屋もあったし、同僚たちの溜まり場のバーもあったし、ホットペッパーのクーポンを使ってガールズバーに行ったりもした。
中でも僕の一番のお気に入りは西日本最大の広さを持つというプールバーである。
ここの何が良いかっていうと、店員のかわいい女の子と一緒にビリヤードができるのである。
しかもこの店員がかわいいだけじゃなくてみんなめちゃめちゃ強いのである。
実は僕もビリヤードに関しては結構な自信がある。大学時代は大会に参加していたほどだ。だからあまり素人とやっても楽しくないのだが、ここでは十分楽しめた。
http://blog.goo.ne.jp/yume-tokyo/e/81996ce3f8f8664f347615f17887beeb
また、夜遊びに限らず、趣味が読書の僕は休日になると島之内図書館で借りた本を片手に難波のショッピングモールをうろつき、そこのカフェで読書をしたりもよくした。六本木ヒルズと設計者が同じというなんばパークスが僕は大のお気に入りだった。
神座のラーメンと出会ったのも島之内に住んでいた頃だ。大阪を離れる時に神座のラーメンを食べれなくなるのが本当に残念だと思ったが、次の勤務先の渋谷で偶然支店を発見し、狂喜乱舞した記憶がある。
関西はミナミが最大の繁華街だと思うが、梅田を中心としたキタもあるし、京都や神戸も近いうえ私鉄で安く行ける。京都には紅葉の季節を始め何度も足を運んだし、神戸にはルミナリエを見に行ったりもした。
また、大学時代同じヨット部だった恐ろしく趣味のあう友達も当時大阪大学に通っていたため、よく一緒に暴れていた。
僕が大学を過ごした広島からも近かったため僕も広島に何度か行ったし、広島から友達が来たことも何度もあった。
わずか半年しかいなかった大阪生活だったが、とにかく印象が強い。
そんな大阪生活だったが、僕は会社の倒産を機に、迷わず再度上京することにした。
それくらい東京での暮らしに憧れていたし、その予感をはるかに越えて東京は熱い街だった。
このブログで200回くらい書いているとおり僕は東京が大好きなわけだが、なんだかんだ言ってこのミナミでの生活も忘れられないのだ。