Yuko & Hide のマルタ日記

Hの引退を機に新しい人生を出発するにあたり、歴史・文化そして人々の生き様に触れるべく、ヨーロッパ行きを決心しました。

ケンブリッジ 

2008-08-14 19:58:06 | Weblog
8月14日(木) 8月4日(月)朝9:30に家を出発、途中昼食など2回の休憩を入れて昼13:30頃ケンブリッジ着。

いくつかの大学構内やシティーセンターを見学の後、ケンブリッジ出身のマルタ・ゴゾ在住A子さんのご主人マークお勧めのパブで夕食。色々な種類のビールを皆で試し飲み。

2日目 雨が降ってきたが、まずはパント(ボート)でケム川下り。

キングズ・カレッジの礼拝堂、クィーンズ・カレッジ、トリニティー・カレッジ等など、きれいな花々に縁取られた芝生や緑深い木々に囲まれたレンガ造りの古い建物の大学群。落ち着いた、美しい環境の中で勉強できる人たちはなんと幸せだろう! 
その後、フィッツウィリアム博物館に入ったが、日本の有田焼、柿右衛門等がたくさん展示されていた。イランの陶器の人物の絵付けは、日本の棟方志功の絵にも似ていたりして興味深かった。

この日も、マークお勧めの静かな住宅街にある別のパブに行ったのだが、コックさんがロンドンに行っているので食事ができない、と言われてがっかりしていたら、お客さんが近くのパブを紹介してくれた。どちらのパブも地元の人しか知らないような場所にあるパブで、なかなか良かった。

3日目 イーストボーンのトムには、夕方5時頃着くと言っておいたので、ケンブリッジから南西5キロ、車で10~15分位のグランチェスターへ行くことにした。ガイドブックには「昔バイロンやミルトンなど文人が思索にふけったという、閑静な村」とある。小川が流れ、藁葺き屋根の家が数件。イギリスらしい田舎を味わうことができた。果樹園にあるティー・ルームでスコーンと紅茶でお昼にした。


マルタからのお客様

2008-08-14 19:12:15 | Weblog
8月14日(木) 旅行から帰って1日置いた8月1日、マルタで親しくしていたUさん夫妻が夏休みでヨークへ来た。3時半ごろ到着。まだ早い時間だったので、車で私たちが以前住んでいた競馬場近辺、ヨーク大学、スポーツクラブ、ゴルフ場に案内した。

ゴルフのハンディキャップが6の腕前のUさん。ゴルフ場に着いたら目がキラキラ。今回の旅行では、ゴルフはせず観光だけにしますとのことだったのだが、翌日天気もよかったので四人で一緒にプレーすることになった。プレー費£20、クラブ・レンタル料£5、ローリーレンタル料£1、合計£26。

さすがUさん、難しいイギリスのコースで初めて、またレンタル・クラブでまわったのにもかかわらず、グロス78でまわった。マルタの時よりも一層上達されているように思った。

午後からはヨーク市内見物。

3日目は、ノースヨーク・ムーアのへザー(ヒース)を見に行ったのだけれど、まだ花が咲いていなかった。小さな駅に蒸気機関車が入ってくるところも見られた。

4日目は、Hideの運転で一緒にケンブリッジ(2泊)とイーストボーンのトムの家(2泊)に向った。

一年半ぶりに会ったUさん夫妻。去年2月に日本であった時、仕事が見つかりそうだと言っていたけれど、マルタのゴルフ場で知り合ったスイス人経営者の下で中東(ドバイ)を拠点に日本とマルタを行き来することになり、自信と貫禄がついて一回り大きく見えた。

ドバイで開かれたビジネス・展示会に行ったら、韓国や中国はいくつもブースがあり進出しているのに、日本からの展示・進出は一件も無かったそうだ。帰国するたびに、日本企業にアメリカやヨーロッパばかり目を向けないで、中東にもビジネスチャンスを求めるべきだといっても、日本人は、中東は危険なんじゃないの?という反応ばかりでがっかりする、と言っていた。


ロンドン

2008-08-14 18:23:16 | Weblog
     ノルウェーの高原

8月14日(木) ノルウェーからの帰り、7月29日夜遅くロンドンに着いたので1泊。次の日、まだロンドンで行っていなかった所を見てまわる。

帰国する前にマガリー(フランス人キャタリーンの娘)にも会っておきたかったので、夏季集中講義の授業が終わる夕方の時間に、新しく購入したフラットを見がてら立ち寄った。

閑静な場所にある広いフラット群。フラット住人専用のテニスコート3面と大きな樫の木がある芝生を植えてある専用ガーデンなどを案内してもらった。物件探し、契約、おばあさんの生前贈与の税金関係諸手続き、引越し等など、21才の彼女が全部一人でやった。

今月下旬にギリシャに旅行するのだが、21日のヒースロー発の飛行機が朝早く、また帰りの29日の飛行機が夜遅く着くため、20日と29日にマガリーのフラットに泊めてもらうことにした。20日に彼女のお父さんと新しい奥様も泊ることになったらしいが、お二人にお会いするのもまた楽しみだ。

ノルウェー旅行 3

2008-08-13 23:32:41 | Weblog
8月13日(木) 5日目 ハダンゲルフィヨルドの最奥部のエイトフィヨルド方面までのドライブ。途中、樹木のない海抜1200~300メートルの高原を走り、美しい湖・谷・滝、そして遠くからではあるが氷河を眺めた。

この周辺は北緯約60度であるにもかかわらず、海抜約1100メートル前後までは樹木を見かけた。我々の住んでいるヨークシャー地方は北緯約54度(樺太の北端と同じ緯度)であるが、海抜500メートル位までしか樹木がなく、この差異には驚いた(土壌や強風が影響していると思われるが)。

途中スカンジナビア半島の現地人のサーミ(別名ラップ)の居住地に寄り、その後エイトフィヨルド周辺の水力発電所を見学した。きわめてシンプルな制御室と少ない操業人員(25名)には驚いたが、水資源に恵まれたノルウエイの一旦を垣間見ることが出来た。

6日目 このツアーのハイライトであるソグネフィヨルドへのクルーズのため、ヤイロからラールダールへ移動。世界で最も長く(204km)て深い(最深部で1308m)フィヨルドであるが、こんな断崖絶壁の山奥の内陸部にまで塩水の内海が連なっているとは信じられないくらいだ。
グドヴァンゲンまでの約3時間のクルーズイング中、飽きることもなく美しい景色に見惚れた。
上陸後、長い時間バスに乗り、やっとベルゲンの南部のOsoyro(空港に近く、フィヨルドに面した静かな別荘地帯)に着き、素晴らしいホテルで2泊。 

7日目 Osoyroからフェリーボートに乗り、ベアフィヨルドやハルダンゲルフィヨルドを見た。ソグネフィヨルドとかなり趣きを異にし、日本の瀬戸内海のように島がたくさんあり、その背後に山々が見え、更にその後部に氷河が見えるというような絵のような美しい景色であった。
ボートから降り、RosendalにあるCastleを訪問し、その内部や庭園等を見学。これまで自然ばかりであったがノルウェイの文化にも少し触れたような気がした。

夕方はホテルのプールで泳いだり、バブル・バスやサウナ・バスに入ったり、庭園を散歩したりして、ゆったりと過ごした。    

ノルウェー旅行 2

2008-08-13 05:13:29 | Weblog
            ベルゲンのブリッゲン地区


8月13日(水) 日本もオリンピックで沸いているようだが、イギリスでも14歳のTom君が飛び込み競技に出場する時は何回もテレビでやっていたし、水泳女子400mフリースタイルで48年ぶりに金を取ったことなどで連日湧いている。国によって得意なスポーツが異なるが、イギリスでは水泳、カヌー、ボート、乗馬、自転車などでメダルを獲った。バドミントンも頑張っているようだ。

さてノルウェー。ロンドン・ガトウィック空港からScandinavian Airlinesに乗り2時間でベルゲン空港着。機内では隣の座席の人が水を頼んだら£2(400円ちょっと)払っていた。サンドウィッチもお金を払って買う。

1日目 夜遅くノルウェー第二の都市ベルゲン着(今回のツアーのメンバーは37名で殆どが英国人であった)。

ベルゲンの町はかつてノルウェーの首都だった。1350年ごろから1763年までハンザ同盟(ドイツ商人が貿易をしていた頃の、商業独占を目的とした都市同盟)に加盟。名産の干しダラが交易の対象だったようだ。ハンザ商人が貿易のために商館を築いていたブリッゲン地区は、現在でも三角屋根の木造建物がぎっしりと並んでいて、1980年ユネスコ世界遺産に登録された。

2日目 ベルゲン市内観光。お昼は魚市場でスモークサーモン、エビ、かに等とサンドイッチを食べた。おいしかったけれど、1皿120クローネ(2400円)なので二人で食べた。

ガイド・ブックにはケーブルカーでフロイエン山に登ると眺めが良い、と書いてあったが、長い列だったので途中まで歩いて登った。

午後ハダンゲルフィヨルドの景色を眺めながら次の目的地Flamへと向う。

3日目 フロムからミュルダールを結ぶ登山鉄道に乗る。全長約20kmの急勾配。20のトンネルを通り過ぎながら約1時間かけて登るが、あちこちの残雪のある岩山から滝が流れ出ている。途中大きな滝のある場所で20分程下車。

午後景色の良い高地を通り抜けながらスキー・リゾート地Geiloヤイロへ。ヤイロ泊。

4日目 朝、熊牧場へ行き、熊やムースを見たが、ここはつまらなかった。午後はホテルの裏にあるスキー用リフトに乗って上まで行き、ヤイロの全景を見た後、約1時間かけて歩いて戻った。途中リッチなノールウェイ人の別荘(ガイドさんの話では国民の30パーセントが別荘を保有しいるとのこと!)を眺めながら帰った。ヤイロ泊。







ノルウェー旅行 1

2008-08-11 02:21:29 | Weblog
                 フィヨルド

8月11日(月) 北京オリンピックが始まり、英国選手が出場する競技が中心だけれど、ついついテレビを見てしまい、ブログを書くのが後回しになりがち。
7月22日から29日までノルウェーにツアー旅行した。北欧は初めてだったので楽しみにしていた。

ノルウェーに関する旅行記などをインターネットで検索すると、8月でも寒かったという記事が多かったので、ヨークと同じくらいの気温だとみて七分袖のシャツを中心に持って行ったところ、連日晴天続き(ガイドさんの話ではこれは非常に珍しいとのこと)で30℃を越える暑さだった(湿度は低くからっとしていた)。半袖シャツを買いたかったくらいだったが、ノルウェーはビックリするくらい物価が高く、すぐに諦めた。

ちなみにお酒類がすごく高く、スパーマーケットで缶ビール440ml 一本25~35クローネ(日本円で500~700円)、ホテルのレストランではグラス・ワイン90クローネ(1,800円)、ビール大グラス90クローネ(1,800円)。他のものも大体イギリスの2倍だった。

ガイドさんの話ではノルウェイの国民一人当たりの所得は月約3万クローネ(約60万円)とのことで、豊かな生活状況のようだ(ツアーの運転手さんの話では2年前にポーランドから来たが、物価が高いがそれに見合って賃金が高く、結構快適に生活できるとのこと)。

ノルウェイは資源に恵まれ、幸せな国だと思う。石油・ガス(かなり輸出している)、水(水力発電所が非常に多い)、樹木(家は殆ど木造、古いキリスト教会も木造)、漁業(鮭、にしん等)、観光資源(フィヨルド、山・谷、氷河、滝・川・湖等)に見られるように。






ヨーク市の老人ホーム見学

2008-07-21 22:24:07 | Weblog
7月21日(月) ヨーク市内には公立の老人ホームが10件(殆どが30人位を収容するもの)、ヨーク市公認の私的な老人ホームが20件(規模は様々で8人から80人位まで)あるが、今日はシティー・カウンセルで紹介してもらった公立の老人ホームの1つを見学してきた。

二階建てになっている一見普通の大きな家。明るいサン・ルームに数人のお年寄りがいらっしゃったので、すぐにわかった。古い家を改造したものだ。

マネージャーの女性が、気持ちよく私達を受け入れてくださり、一時間半ほどお邪魔した。31人のお年寄り(かなり高齢だった。内2人はショート・ステイ)がおり、面倒を見るスタッフ(全員がシティー・カウンシルのスタッフ)が27人とのこと。建物内の壁紙も明るい色。狭いけれども全部個室で、見せていただいた方の部屋には家族の写真、絵、花等がたくさん飾られていた。

■ 家族との交流のためにコンピューターを最近2台導入。スタッフや大学生などのボランティが手伝ってメールを読んだり出来る。これは、遠くに住んでいる家族とのやり取り等に、とてもいいアイディアだと思った。
 
■ リビング・ルームのような部屋が4つほど、サン・ルームが1つ、クリスマスや誕生日会のような特別なことのある時使う大きな部屋が1つあった。
食事はその大きな部屋で全員一緒にするのかと思ったら違った。キッチン付きの小さいダイニング・ルームが3箇所あって、各自の部屋に近い部屋で食事をするそうだ。そして家族が訪ねてきた時に一緒にお茶を飲んだり、軽い食事が出来るような小さなダイニング・ルームが2箇所あった。
お風呂場も建物の都合からだと思うけれど、4ヶ所位に散らばっていた。

■ 二人のお年寄りが一緒に"オーディオ・ブック”を聞いていらっしゃった。「昨日一冊聞き終わったので、今日新しい本を聞き始めたところだ」とおっしゃっていた。本が好きな人の為には、耳から楽しめるオーディオ・ブックは素晴らしいと思う。英語の本だと、著作権の切れた古い本はインターネットで無料で聞けるけれど、日本語の本はどうなのだろう。

日本で友達が盲人の方達のために朗読ボランティアをやっているけれど、盲人の方達だけでなく老人にもいいので、朗読ボランティアの方々にどんどん活躍してもらいたい。加えて、図書館で借りられたり、インターネットで無料で読める本がたくさんあるといいなと思う。

■ ボランティアの方たちの援助がとても助かっているとのことだった。
庭の芝刈り、デイ・サービスで通ってくる方たちのサポート、買物に行きたい人を車で連れて行く、話し相手になる、ティー・タイムのお茶出し、ピアノ・ギターなど音楽のサービスetc.

小・中・高・大学生も訪ねてきて色々な形で援助してくれる・・・・というお話は、とても印象的だった。日本でも、時間のある定年退職した私達の年代の人が、もっと社会のために役立つことが出来るのではないだろうか。

火曜日に一緒にゴルフをしているパットさんは、プレーが終わると急いで帰る。老人ホームに入っている90歳近い女性を車で買物に連れて行ったり話し相手になってあげているからだと言っていた。マルタでのゴルフ友達の一人も、車でお年寄りを行きたいところに連れて行ってあげるボランティアを週2回やっていた。もう一人の方は、乗馬が得意なので障害者が乗馬をするのを補助するボランティア。

ヨークの日本人の知り合いの3人も週一回施設に通っていると聞いた。

入所しているお年寄りの方たちは、オーディオ・ブックを二人で聞いていらっしゃった方達以外は、私達が訪れた時間帯にはただ黙ってソファーに座っていらっしゃるだけだったので、だれか話し相手がいたら退屈さも紛れるだろうと強く感じた。スタッフはそこまで時間が取れないと思う。

■週間の料金は約460ポンド(約10万円位)でかなり高い。でも、シティー・カウンシルが本人の資産状況を査定して算出されるカウンシルからの援助金がある。これと本人の年金を控除した後の金額が本人の負担する金額となる。また裕福な人も貧しい人も同じサービスとのことで、日本と比べて老人福祉の水準がかなり高いのではないかと思った。


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明日から旅行等でブログが書けませんので8月10日頃までお休みします。



湖水地方

2008-07-18 03:04:16 | Weblog
7月17日(木) Hideは去年一人で湖水地方を旅行したけれど、私はまだ行ったことがなかったので、フランス人の友達キャタリーンを誘ってHideの運転で3泊4日の旅をして来た。彼女は今年1月初めにヨークに遊びに来たので半年振りの再会。

キャタリーンは、最近娘のためにロンドンにフラットを買って足場が出来たので、10日間の休暇を取り,12日(土)と16日我家泊。

13日(日) 朝10時過ぎ家を出発、昼過ぎにB&B着、部屋で持参のおにぎりで昼食。湖水地方のウィンダミアを拠点に、宿泊したB&Bの近くのOrrest Head Viewpoint に登って景色を眺めた後、ウィンダミア湖まで歩いて行き周辺を散策。

2日目(14日) Hawksheadに寄った後、対岸の小高い丘約9.5Kmのコースを歩く。昼食休憩を入れて約4時間、丘と言っても下りはかなり急だった。小川が流れている所もあったし、頂上からの眺めも良かった。帰りに「ピーター・ラビット」作家ベアトリクス・ポッターの住んでいた家に行ったけれど、残念ながら閉館間際でほんのちょっと居間を覗いただけ。庭を見て帰った。

3日目(15日) 朝出発時、小雨が降っていたのでケズィック(湖水地方の北側)周辺の山登りの予定を変更し、グラスミアにあるEasedale Tarn(小さな湖)の周囲の約2時間くらいの平坦なフット・パスを歩くことにした。
グラスミアは小さな村で、かわいい店が並んでいたので見て周るのも楽しかった。

4日目(16日) 帰る日も朝目が覚めると小雨が降っていたけれど、出かける頃には雨も上がる。帰りはヨークシャ・デール地方の北側(行きは南側)のルートを取った。MukerやReeth等の村に寄りながら、途中ムーア地帯を通ったが、花が咲きかけているHeatherの草原の中を歩けたのが良かった。

湖水地方は湖、森、林、牧場、小川など自然が溢れていて、軽井沢、蓼科、奥入瀬等を思い出した。たくさんのパブリック・フット・パスが整備されているので、小さな子供からお年寄りまで体力に合わせてコースが選べる。各村にインフォメイション・センターがあって相談にのってくれたり、情報をもらえる。

ベアトリクス・ポッターは周辺の土地を多く購入したが、死後湖水地方の景観保護のためナショナル・トラストに寄贈した。湖水地方はナショナル・トラスト(会員の年会費は46ポンド)によってしっかりと管理されている。

キャタリーンは、来た時より表情も晴れ晴れして元気になってロンドンに帰って行った。

ドイツ旅行 3

2008-07-11 03:20:12 | Weblog
          リューベックのホルステン門

7月12日(土) 5日目続き ベルリンではオプションでポツダムに行った。第2次世界大戦末期、米、英、ソ連の首脳会議が開かれ、ドイツの戦後処理と日本を降伏させる策が話し合われたツェツィーリエンホーフ宮殿を見学。お城というよりも英国風の落ち着いた古い館という感じだった。その後サンスーシ宮殿見学。

この時のガイドさん(女性)は英語も分かり易かったが、流暢な日本語で私達に話しかけてきてびっくりした。スペイン語、イタリア語、フランス語、ロシア語等も話せるとのことだった。

6日目 ベルリン → ドレスデン(第二次世界大戦でかなり焼けたが、再建が進んでおり、エルベ川に面したいい街だった。ツヴィンガー宮殿、レジデンス城、フラウエン教会等を見学) → ライプツィッヒ(バッハが活躍し、ステンドグラスにも描かれているトーマス教会、旧市庁舎等を見学)

7日目 ライプツィッヒ → ワイマール(ゲーテの家・リストの家の内部を見学。ゲーテとシラーの像の建つ国民劇場広場、ワイマール公の城等を見学) → コブルグ城 → ニュールンベルク(ナチスの党大会会場跡とニュールンベルグ裁判の法廷、眺めの美しいカイザーブルグ、受胎告知のレリーフのある聖ローレンツ教会等を見学) 

8日目 ニュールンベルク → ロマンティック街道 → ローテンブルグ(シュピタール門、コボルツエラー門、市庁舎・マルクト広場等を見学。タウバー川の上方にある美しい街) → ミュンヘン

9日目 ミュンヘン
午前中ミュンヘン市内観光。仕掛け時計の新市庁舎、フラウエン教会・ペーター教会、ニンフェンブルグ城(時間制約のため踊り子のローラ・モンテツ嬢等の美人画は見れず残念)等を見学。大きな街だが緑も多く落ち着いた街。
 
午後はオプションで ダッハウ強制収容所跡見学。ユダヤ人だけでなく宗教上、思想上、政治上の問題で収容されていた人も多かった。シャワー室に見せかけたガス室、その隣にはシャワーを浴びるという口実のための脱衣所、遺体を焼く焼却炉、タタミ一畳分の木製の3段ベッドの大部屋を見学。20分間の映像も見た。

夜は有名なビアーホール(ホーフブロイハウス)でこの地方(バーバリアン)の音楽演奏やダンスを見ながらビールを飲んだ。 

10日目 ミュンヘン → オーバーアマガウ(家の外壁に童話の一部や宗教画、花模様等のフレスコ画が描かれている。家々には花がきれいに植えられスイスの山村に似ていた) → ノイシュヴァンシュタイン城 → ブラック・フォーレスト

11日目 ブラック・フォーレスト → ハイデルブルグ(ハイデルブルグ城、マルクト広場の聖霊教会、天井・壁等に落書きのある学生牢等を見学) → フランクフルト(市内見学)

ライン・モーゼル・フランケンの白ワインがおいしかった。(ツアーの間、ホテルの部屋で3本空けた。)
ドイツ料理はまあまあのレベル。日本人の舌に合うためか、日本料理や中華料理を食べたくならなかった。




ドイツ旅行 2

2008-07-10 03:09:59 | Weblog
         ベルリンの壁

7月12日(土) 5日目 ベルリン。 高層建築物がないし道路が広いので空間がたっぷりある。新しい建物が多く、建築中や改修中の建物も目に付いた。ベルリンの壁は意外にも薄くて(15センチ位)頼りなく、特に高く感じなかった(約4メートル位)。

オーストラリアに住んでいるドイツ人のご夫婦は、東西が分裂している頃は常に緊張があって安心していられない辛い時代だった。厳しい警備があり、壁を越えようとするものなら直ちに撃ち殺された。皆写真を撮っているけれど、写真を撮る気にならない・・と昔を思い出して目に涙を浮かべていた。

日本人の私達に親近感(ドイツも日本も孤立に追いやられ、第二次世界大戦に突入したためか?)を持ってくださったらしく、別れる時にオーストラリアのメルボルンの住所を書いたきれいなカードを下さった。最後の夜、一緒に飲もうと誘ってくださって遅くまでおしゃべりをしたけれど、ご主人はドイツ語訛りのオーストラリア英語で分かりずらく、30%位しか理解できなかった。あまり聞き返しても悪いので、かなり分かった振りをしてしまった。

長い話の一部を書き留めておきたい。

ご主人の方は74才、奥様は72才、それぞれ伴侶を亡くして寂しかった5年前に飛行機の中で知り合って結婚。偶然にも、同じ小学校を出、若い頃ドイツで通ったダンス学校も同じだったとのこと。とても仲がよくて、いつも手をつないで歩いていらした。夜のオプションで皆で食事に行ったとき、アコーディオンとクラリネットの生演奏に合わせて二人で楽しそうにダンスを踊っていた。奥様の方はご主人の手や肩を抱いたりして愛情表現をされていた。もう一人の日本人女性と「いい感じだわねぇ。でも自分があの年になって新しいご主人を見つけてあんなに仲良くしていける情熱が残っているかしらねぇ」と同じ意見だった。

ご主人の方は、戦時中の爆弾でお父さんが亡くなった。大工見習いをしていたが上司がいい人で給料もよく仕事もたくさんさせてもらえた。自分で家を建て母親と住んだ。数年後オーストラリアに旅行に出た。短い滞在予定だったのに、偶然いい条件の大工仕事が入りそのまましばらくオーストラリアにいた。

ドイツに戻り仕事もしたが、ダンス学校にも通い、そこで一目ぼれの女性と結婚。とても素晴らしい女性だった。そのお父さんはナチスの幹部だった。オーストラリアに移住するために乗った船が、エンジン火災を起こし所持品が全て焼けてしまったけれど、あまり大変だとは思わなかったそうだ。