Kさんは戦前、朝鮮(現在の韓国)での暮らし。そこでの教育は、朝鮮の人々を人として見ない教育がされ、また、戦況が悪くなると、日本軍の上官は、部下をおいて逃げていていたと語ります。
戦争が終わり、日本は敗戦し、昼間は外で日本人は出歩くこともできないと。
日本に帰ってきてからの生活は、木を組んだだけの住宅での生活を余儀なくされたそうです。そんな時、親が病気にかかり、当時、診療所の所長をされていた須田章さん(後に共産党初の県議会議員になります)、戦後の苦しい生活の中で、助けてもらったと話します。
今日もメモをできずまとまっていませんが、一人ひとり、様々な戦争体験、あらゆる機会で語っていただけたらと思いました。
写真は、東京大空襲・戦災資料センターの中の展示品
