朝ラン 5.5km
無意識のうちに感じていたことを
明快に言葉にされた快感と
理解できない部分と
共感と不理解の交差する本だった。
多くの人はフロイト的な原因論に基づいて生活していると思う。
フロイトの考えにどっぷりつかっていた私には
難解な点も多々あった。
自分が自分のための自分の人生を生きていないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるであろうか。
課題の分離
他者の課題に土足で踏み込むこと、
あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること。
これがあらゆる対人関係のトラブルを引き起こす。
他者の課題に踏み込まない。
だからと言って放任主義を推奨しているわけではない。見守ること。援助はすること。
信じるということも課題の分離。
相手のことを信じること。
これは私の課題。
しかし私の期待や信頼に対して相手がどう動くかは相手の課題。
例えば育児の問題で子供がなかなか靴紐を結べずにいる。結べるまで待つよりも親が結んだ方が早い。でもこれは介入であり、子供の課題を取り上げてしまっている。
他者の期待を満たすように生きることは楽なもの。
自分の人生を他人任せにしているのだから。
親の敷いたレールの上を走る。
大小様々な不満はあるにせよ、レールの上を走っている限りにおいて道に迷うことはない。
自由とは他者から嫌われること。
できれば嫌われたくない。
承認欲求を満たしたい。
でも全ての人から嫌われないように立ち回る生き方は不自由極まり無い。
嫌われる可能性を恐れることなく前に進んでいく。
坂道を転がるように生きるのではなく
眼前の坂を登っていく。
これが人間にとっての自由なのだ。
〇〇だったから◻︎◻︎だという原因論では自分では手も足も出せない。
目的を変えて仕舞えばそれで済む話になる。
対人関係というとどうしても2人の関係や大勢との関係をイメージしてしまうが、まずは自分。
承認欲求に縛られていると対人関係のカードはいつまでも他者の手ににぎられたままになる。
叱っても褒めてもいけない。
他者を評価する言葉は縦の関係から出てくる言葉で、大切なのは横の関係を築いていくこと。
そして誰かの役に立っていると思えた時だけ、自らの価値を実感できる。
意識の上で対等であること、そして主張すべきは堂々と主張することが大切。
対人関係の最終目的地は共同体感覚。
ここにいてもいいという所属感。
信頼することを怖れていたら、結局は誰とも深い関係を築くことができない。
信用は英語で言うところのクレジット。
条件付きの話。
信頼は他者を信じるに当たって一切の条件をつけないこと。
自分を変えることができるのは自分しかいない。