I LOVE VIVIANNE

  『世界は私のために回っているのよ♪』
    ★箱入り娘のうちのワンコ★

塩好き

2017-09-27 12:50:06 | ママ
朝ラン 5km


ステーキもお寿司🍣も塩で食べるのが好きな私は
外食でいざという時のために
こんなものを持ち歩くことにしました。



上から
わさび塩
クレイジーソルト
セルファン(フランス)
ハワイ島KONAの塩
山口の塩

とか言いながら
誕生日の日はなんと塩を持って行くの忘れました。
未だにこの塩をかけて食べたことはありません。


スーパーで見かけたクレイジーソルトのポップコーン🍿


なかなか美味でした。

少林山

2017-09-26 20:32:56 | ママ
時間があるとヴィにお付き合いいただいて
少林山の階段登りをしています。











この日は階段登ってタウトの径を下って
反対側から坂道を登って2往復してみました。



天然酵母のパンやさん🍞🥐🥖発見❗️
森のパン屋さん
土日の営業だそうです。
今度行ってみよう。


こちらはなんとも懐かしい感じの盆栽やさん。
小品盆栽ディスプレイが可愛かった。
惠樹庵


少林山には何度も立ち寄っているけれど
こっち側は初めて。
発見がいっぱいあって楽しかった。

三度目の殺人

2017-09-26 20:14:38 | 映画
誕生日には前々から見たかった
『三度目の殺人』を観に行きました。

真実などどうでもいいと言い
裁判での勝ちにこだわる弁護士。

コロコロと供述を変え、
心の奥を見通しているような殺人者。

容疑者と心を通わせ心に傷を負った少女。

嘘と真実が入り混じったサスペンス。
真実などどうでもよかった弁護士が真実にたどり着く。
しかしその真実は真実でなかった。

この映画には沢山のメタファが出てくる。
カナリア、十字架、器・・・
観ているものの心をくすぐる。

三度目の殺人とは私の考えることでいいのだろうか。
または、裁判というシステムがもたらす殺人ということだろうか。

とにかく考えさせられるいい映画だった。

映画の後は誕生日ディナーを食べに
ネットでいくつかチョイス。

一軒目、二軒目、三軒目とも休み。
OMG😱
なんだか誕生日を祝ってもらえてないようでガックリ😪
結局よく行くGGCでステーキを。

イチボのステーキは美味しかった。


誕生日は無礼講ということで
黒ごまパフェも完食


ご馳走さまでした!

バーベル

2017-09-25 14:03:18 | ママ
レイ子の部屋(リビングの隣、レイコ子さんがよく泊まりに来てたから)が
トレーニングルームに変わりつつあります。

バーベル🏋️‍♀️をVIPに買ってもらいました。
分解すればダンベルとしても使えます。


これまで5kg、2.5kg、1kgのダンベルを駆使して
ボディパンプをやって来ました。


これでもよかったけど
できることならスクワットとチェストには
バーベルを使いたいと思ってました。
念願のバーベルです💕

私の中ではVIPから私の誕生日プレゼント🎂🎁🎊と思っております。
(はっきり誕生日プレゼントとは言われてないので)
5じゅうウン歳、まだまだ進化したい。
進化しよう。
進化できたら。
進化できるかな。
日夜頑張っております💪

やりすぎると一気にダメージが来て
昨夜は夕方からやる気ナッシング。
VIPからはトレーニング禁止令が発令されてしまいました😅
トレーニングしたければ辛くても笑ってないとね😄

私にはまだ欲しいマシンがあります。
1つはすでにVIPに却下されました💦
あの美尻トレーナー岡部友さんの家にもありました(やっぱり❗️)
もう1つは大したものではないのでそのうち揃えたいです。

現在ジョイント式のラバーマットを注文中です。
レイ子の部屋に敷き詰め
トレーニングの環境を整えていこうと思います。

岡部友さんが常に負荷が欲しいと言っていた気持ちがよーく分かります。
何かするのでも負荷を与えてこなしたい。

例えばヴィの毎日の散歩。
やっぱり両足にそれぞれ500gのお守りをつけるべきだ。
料理しながらだって何かできる。
常に負荷を考えてしまう自分が怖い😱

ということで土曜日はまたまた少林山の階段登りをして来ました。





お参りもして来ました。


毎日でも階段登りたい〜💕と思う今日この頃。



嫌われる勇気

2017-09-24 10:29:51 | 読書
朝ラン 5.5km




無意識のうちに感じていたことを
明快に言葉にされた快感と
理解できない部分と
共感と不理解の交差する本だった。

多くの人はフロイト的な原因論に基づいて生活していると思う。
フロイトの考えにどっぷりつかっていた私には
難解な点も多々あった。

自分が自分のための自分の人生を生きていないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるであろうか。

課題の分離
他者の課題に土足で踏み込むこと、
あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること。
これがあらゆる対人関係のトラブルを引き起こす。
他者の課題に踏み込まない。
だからと言って放任主義を推奨しているわけではない。見守ること。援助はすること。

信じるということも課題の分離。
相手のことを信じること。
これは私の課題。
しかし私の期待や信頼に対して相手がどう動くかは相手の課題。

例えば育児の問題で子供がなかなか靴紐を結べずにいる。結べるまで待つよりも親が結んだ方が早い。でもこれは介入であり、子供の課題を取り上げてしまっている。

他者の期待を満たすように生きることは楽なもの。
自分の人生を他人任せにしているのだから。
親の敷いたレールの上を走る。
大小様々な不満はあるにせよ、レールの上を走っている限りにおいて道に迷うことはない。

自由とは他者から嫌われること。
できれば嫌われたくない。
承認欲求を満たしたい。
でも全ての人から嫌われないように立ち回る生き方は不自由極まり無い。
嫌われる可能性を恐れることなく前に進んでいく。
坂道を転がるように生きるのではなく
眼前の坂を登っていく。
これが人間にとっての自由なのだ。

〇〇だったから◻︎◻︎だという原因論では自分では手も足も出せない。
目的を変えて仕舞えばそれで済む話になる。

対人関係というとどうしても2人の関係や大勢との関係をイメージしてしまうが、まずは自分。
承認欲求に縛られていると対人関係のカードはいつまでも他者の手ににぎられたままになる。

叱っても褒めてもいけない。
他者を評価する言葉は縦の関係から出てくる言葉で、大切なのは横の関係を築いていくこと。
そして誰かの役に立っていると思えた時だけ、自らの価値を実感できる。

意識の上で対等であること、そして主張すべきは堂々と主張することが大切。

対人関係の最終目的地は共同体感覚。
ここにいてもいいという所属感。

信頼することを怖れていたら、結局は誰とも深い関係を築くことができない。
信用は英語で言うところのクレジット。
条件付きの話。
信頼は他者を信じるに当たって一切の条件をつけないこと。

自分を変えることができるのは自分しかいない。