プロとアマの違いとは何だろうか?
一番分かりやすいのは、仕事を通じて「お金をもらっているか、もらっていないか」の違いかと思う。
日本人の多くはサラリーマンとして企業に勤めている。保険、金融、ソフトウェア、不動産、建築、メーカーなど、所属する業界こそ違え、会社から給料を頂いているのだから、すべての方がプロである。
大学から新卒で入社した当初は、給料はもらっているものの、まだ右も左も分からないアマに近いサラリーマンだが、5年・10年とその会社で働いて、経験を積むとともに、より専門的な技能も身につけ、プロの社員として一人立ちする。
ただ、世の中が不況に陥り、会社から解雇されて失業したら、肩書きがなくなり、どんな大企業に勤めていてもただの人になる。その際に、プロとして他社に雇ってもらえるかどうかは、各個人のキャリアや能力次第だと思う。
世の中は本当に厳しい。だからこそ、常に自己研鑽を怠らず、もしもの時のために自分の実力を高めておくことが最善の対策となる。
僕が生業としている日本語教師は、残念ながら社会的地位が低い。
それは一般の人が「日本語が話せる人は、基本的には誰にでも日本語を教えられる」という認識を持っているからだと思う。つまり、ちょっと外国語が出来て、日本語が話せれば、誰でも出来ると気軽に考えているのだ。語学好きが趣味の延長でやっている程度にしか捉えられていない。
確かにそういう面もあるかもしれない。僕は大学こそ日本語学科を卒業したが、何の実務経験もなくブラジルで日本語教師として教壇デビューした。また、日本から来た日本人が、何の教師経験もなく、いきなり授業を受け持つ。
新人サラリーマンのケースで説明したように、誰しも最初は新人である。だから、日本語教師も最初は新米であり、経験を積むに従って、教師としての知識や技術をつけていく。
でも、他業界と大きく違うのは、給料が少ないために、アルバイト感覚で働き、2,3年でやめてしまう人が多いことである。これでは日本語教師として1人前になる前にやめてしまっていおり、学校にとっても本人にとってももったいない。
僕は日本語を教える仕事が心底好きだから日本語教師をしているが、いつ仕事を失っても不思議ではない。失業した時に自分を救ってくれるものは、自分自身の実力だけである。他の学校で雇ってもらうためには、他の日本語の先生とは違う「プロ」の日本語教師としての付加価値が必要である。
年齢がある程度いき、成績も低迷したプロ野球選手やプロサッカー選手がチームから戦力外通告を受ける。そして、彼らは必死に就職活動をして、プレーを続けられるチームを探したり、引退したりする。
有名な選手はプレーヤーとして現役を続けられなくても、コーチやら監督やらで同じ業界で仕事を続けられるかもしれない。でも、名前が知られていない選手は、それこそ色々なコネを頼って、仕事を見つけざるを得ない。
だから、60歳の定年を迎えるまで、現役として働けたサラリーマンはすごいと思う。でも、それ以前に仕事をやめざるを得なくなってしまったとしても、それも1つの人生だし、必死に生きていることが尊敬に値する。
ただ、本当の「プロ」としての付加価値を持つ人は、何らかの形で自分が好きな仕事を続けていけるんじゃないかと思う。僕は、出来れば日本語教師として退職するまで仕事を続けたい。
僕は50歳で日本に帰国し、日本で日本在住の外国人に日本語を教えるのが目標である。また、日本語の授業だけでなく、日本で日本人の方にポルトガル語も教えてみたい。そして、日本語・ポルトガル語の翻訳の仕事も続けていきたい。
これらの希望をすべてかなえるためには、やはり人とは違う付加価値を持った日本語教師にならなければならないと思う。そのためには、やはり日々の努力が必要だ。
日本のJリーガーが海外に出ると通用しなくなることがよくあるが、僕も日本に戻っても通用する「プロ」の日本語教師を目指して頑張っていきたい。
一番分かりやすいのは、仕事を通じて「お金をもらっているか、もらっていないか」の違いかと思う。
日本人の多くはサラリーマンとして企業に勤めている。保険、金融、ソフトウェア、不動産、建築、メーカーなど、所属する業界こそ違え、会社から給料を頂いているのだから、すべての方がプロである。
大学から新卒で入社した当初は、給料はもらっているものの、まだ右も左も分からないアマに近いサラリーマンだが、5年・10年とその会社で働いて、経験を積むとともに、より専門的な技能も身につけ、プロの社員として一人立ちする。
ただ、世の中が不況に陥り、会社から解雇されて失業したら、肩書きがなくなり、どんな大企業に勤めていてもただの人になる。その際に、プロとして他社に雇ってもらえるかどうかは、各個人のキャリアや能力次第だと思う。
世の中は本当に厳しい。だからこそ、常に自己研鑽を怠らず、もしもの時のために自分の実力を高めておくことが最善の対策となる。
僕が生業としている日本語教師は、残念ながら社会的地位が低い。
それは一般の人が「日本語が話せる人は、基本的には誰にでも日本語を教えられる」という認識を持っているからだと思う。つまり、ちょっと外国語が出来て、日本語が話せれば、誰でも出来ると気軽に考えているのだ。語学好きが趣味の延長でやっている程度にしか捉えられていない。
確かにそういう面もあるかもしれない。僕は大学こそ日本語学科を卒業したが、何の実務経験もなくブラジルで日本語教師として教壇デビューした。また、日本から来た日本人が、何の教師経験もなく、いきなり授業を受け持つ。
新人サラリーマンのケースで説明したように、誰しも最初は新人である。だから、日本語教師も最初は新米であり、経験を積むに従って、教師としての知識や技術をつけていく。
でも、他業界と大きく違うのは、給料が少ないために、アルバイト感覚で働き、2,3年でやめてしまう人が多いことである。これでは日本語教師として1人前になる前にやめてしまっていおり、学校にとっても本人にとってももったいない。
僕は日本語を教える仕事が心底好きだから日本語教師をしているが、いつ仕事を失っても不思議ではない。失業した時に自分を救ってくれるものは、自分自身の実力だけである。他の学校で雇ってもらうためには、他の日本語の先生とは違う「プロ」の日本語教師としての付加価値が必要である。
年齢がある程度いき、成績も低迷したプロ野球選手やプロサッカー選手がチームから戦力外通告を受ける。そして、彼らは必死に就職活動をして、プレーを続けられるチームを探したり、引退したりする。
有名な選手はプレーヤーとして現役を続けられなくても、コーチやら監督やらで同じ業界で仕事を続けられるかもしれない。でも、名前が知られていない選手は、それこそ色々なコネを頼って、仕事を見つけざるを得ない。
だから、60歳の定年を迎えるまで、現役として働けたサラリーマンはすごいと思う。でも、それ以前に仕事をやめざるを得なくなってしまったとしても、それも1つの人生だし、必死に生きていることが尊敬に値する。
ただ、本当の「プロ」としての付加価値を持つ人は、何らかの形で自分が好きな仕事を続けていけるんじゃないかと思う。僕は、出来れば日本語教師として退職するまで仕事を続けたい。
僕は50歳で日本に帰国し、日本で日本在住の外国人に日本語を教えるのが目標である。また、日本語の授業だけでなく、日本で日本人の方にポルトガル語も教えてみたい。そして、日本語・ポルトガル語の翻訳の仕事も続けていきたい。
これらの希望をすべてかなえるためには、やはり人とは違う付加価値を持った日本語教師にならなければならないと思う。そのためには、やはり日々の努力が必要だ。
日本のJリーガーが海外に出ると通用しなくなることがよくあるが、僕も日本に戻っても通用する「プロ」の日本語教師を目指して頑張っていきたい。

確かにブラジル関係のレポートを書く場合は、現地の言葉であるポルトガル語の資料を収集してそれに基づいて書かないと、出来上がったものはどうしても日本人の学者・研究者らの意見をまとめたようなものになってしまうと思います。
文法を習うという意味では、日本人の先生に習ったほうがより有効かと思います。
そういった方のニーズにお答えできるようにこちらで吸収できるだけ吸収して、日本に帰国してお役に立てればと思っています。
目標がはっきりしていて、たけさんは充実した人生を送っています。
見習いたいです。
日本語教育関連のブログを閲覧してたどり着きました!!
私な日本語教員を目指して、副専攻で大学で勉強中です。
卒業後は留学も考えてますが、日本語教員を目指したいです。
できれば大学で教えたいのですが(笑)
ブログの記事を読んで、凄く勇気づけられた反面、少し現実をしりました。
それでも、まだなりたいと思っているので、その自分の流れに任せたいです。
またお伺いいたします!!
大学で教えるには、やはり修士課程はないといけないかと思います。
どんな日本語教師になりたいかを明確にし、それに向けて努力するのが一番の近道かと思います。
とっても共感しました
私の状況ととても似ています
これからも 遊びに来ますね
よろしくお願いします
お互いそれぞれの立場でがんばって生きましょう!