昨日の夜は友人の大学の卒業式を見に行った。
ブラジルで卒業式を見たのは7、8年ぶり2回目。初めて見た前回はカルチャーショックを受けたが、今回は2回目だったこともあって、驚くことはなかった。
でも、日本の方には珍しいかと思うので、紹介しておく。
およその段取りは次の通りである。
1.音楽とともに卒業生が入場し、壇上の席に座る。
2.卒業生の名前が呼ばれ、それと同時に各卒業生が選んだ音楽が大音量で鳴り、カメラマンが映す卒業生の様子が壇上の大画面に映し出される。
(選ばれる曲の種類はロック、MPB、クラシックなどはさまざま。)
3.卒業生の両親や友達などの関係者が会場の各地で立ち上がって叫ぶ。
4.学部長が卒業証書の文面を読み始めると、音楽の音量が下げられ、あの独特な帽子を戴冠され、卒業生が卒業証書にサインする。
5.随時その様子が壇上の大画面に映し出され、家族なども画面上に大きく映し出される。
6.次の卒業生の名前が呼ばれると、今度はその人の曲がかかり、壇上で2人の卒業生が肩を組み、記念撮影をする。
後はこれの繰り返しである。
この後は、卒業生代表、学長、学部長の挨拶、優秀な卒業生の表彰を行い、最後に卒業生一同が帽子を上に向かって投げ、終了した。もう完全に1つのショーである。
最初に僕が卒業式を見に行った時は、それぞれが2,3分スピーチを行っていた。しかし、これをすると式の時間がものすごく長くなるので、現在では行われていないようである。
この卒業式のすべてが卒業式のパンフレット制作に始まり、当日のビデオ撮影、進行、写真撮影などが1つのビデオ製作会社により行われる。
ブラジル人がこれだけ大学の卒業式を派手にやるのは、ブラジル人のお祭り気質もあるが、大学を卒業することの難しさとも関係している。
卒業生代表のスピーチの中でも触れられていたが、ブラジルの大学は比較的入りやすいが、卒業するのは簡単なことではない。1学期や2学期でやめていく生徒が3、4割いるのである。だから、卒業証書をもらうことの意味合いが重い。
日本はもはや大学全入時代。しかも、以前からの全卒の習慣も残っている。一旦入ってしまえば、あとはトコロテン方式で、勉強しなくても卒業できる。つまり、卒業証書の意味合いはほとんどない。
18歳で入学し、意味のない卒業証書をもらって22歳で卒業し、就職。このレールから外れた人は、人生の負け組へと転落する。
その点ブラジルは違う。4年できっちり卒業する生徒から6,7年かけて卒業する生徒もいるから、卒業生が入学した年はみんなバラバラであり、年齢も上から下まで5,6歳は違う。しかも、卒業後すぐに就職できるとは限らない。
ブラジルでは負けと思って、努力をやめた人が本当の負け組になる。だから、いつでも人生はやり直しできる。それがブラジル人の考え方である。
僕は日本で大学の卒業式に出席しなかった。あまりにも形式的だし、卒業証書に何の価値も感じなかったからだ。今思えば、意味はなくても取り敢えず出席はしておくべきだったと思う。
でも、もしブラジルのような大学の制度だったら、卒業することの意味合い・達成感から、出席していたのではないかと思う。
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