原発や今後必要なエネルギーを考えるブログ&五行詩

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本当に東電だけの責任か?

2012年05月18日 | うそをすべて話そうから

 

本当に東電だけの責任か?

福島第一原発の事故は本当に東京電力の責任か?

 

少し考えてみましょう。もちろん、福島原発の所有者は東京電力であり、運転も東電の責任で行われ、さらに東電といえば日本で1・2を争うような巨大企業ですから、事故は東電の責任と考えられます。

 

しかし、たとえば75kwの原子力発電所を持ちたいと東電が考えた場合、それを国に申請し、国の定めた指針のもとで設計をし、建設し、経済省の原子力安全・保安院の審査と許可を得て完成させることになります。

 

福島原発の事故は、地震によって原発が壊れたことが原因で、地震までの運転は正常におこなわれていましたし、地震後の東電の技術者の処置も正しかったと考えています。そうなると、福島原発の事故は不安全な、つまり地震による耐えられない施設を認めた保安院にこそ、責任があるとも考えられます。

 

これまで保安院のような役所は、原発の耐震(津波やその他の地震に伴うことを含む)指針をつくるときには「なんのために指針をつくるのか」でなく、「責任を逃れられればよい」ということに注意を払ってきたと言えます。

 

福島原発の事故が起こった後、テレビに登場した経済省の原子力安全・保安院の人の顔と発言の様子を見て唖然とした人が多くいました。

 

まず「なぜ謝らないの?」ということが不思議だったかと思います。原発の安全の責任を負っているのですから、原発が事故を起こせばもっとも深く頭を下げなければならないのは保安院だからです。

 

日頃から東京電力の施設を認可し、運転状態を監視し、国民に変わって原発の安全を守るということだけをいわゆる「指導」しているのですから、事故が起こったらその全責任は保安院にあります。まして、今回のように震度6の地震で壊れたとか、普通のビルでも大きな被害がなかった津波でやられたというのは、まさに「保安院が指導の中心」にいたからでしょう。

 

私が原子力施設の責任者(ウラン濃縮研究所)だった頃の経験では、保安院は今回の事故で壊れた非常用のディーゼル発電機を、敷地内に置くことを「指令」したか「認可」しました。非常用の電源供給装置ですから、ディーゼル発電機は最後の砦とも言えます。これを原発の敷地ないに設置すれば、何らかの事故が起こったときに、同時のディーゼル発電機も壊れる可能性は非常に高いことは、少し考えればわかります。

 

なぜディーゼル発電機を原発敷地内に置いたかについては、かなりの調査をしなければわからないでしょう。東電がディーゼル発電機を構内に置くことを主張したのか、建設したGEの設計によるのか、それとも当時の科学技術庁(現文科省)が指示したのかは不明です。

 

ディーゼル発電機の経緯はいまわかりませんが、それでも原子力関連の設備は役所が細かく口を出し「認可」もしますから、保安院の責任は重大であるといえます。

 

そもそも保安院という存在自体が国民に対する裏切りです。

 

かつては、原子力というのは巨大な技術なので「推進」と「安全」を二つにわけておいたほうがよいと、原子力委員会「推進」と原子力安全委員会「安全」の二つの組織がつくられていました。推進側の原子力委員会が問題のある原発を進めようとしても、安全委員会が待ったをかけることができるので、国民は安全だという仕組みだったのです。

 

それがいつの間にか(2001年)経済省に原子力安全・保安院なるものができ、独自に動き始めました。福島原発事故でも、原子力委員会も安全委員会も表にでず、保安院がシャシャりでてきたのあh、まさに現在の日本の原子力行政をよく示しています。保安院が力をもってからというもの、安全委員会にはなんの情報も入ってこず、力もありませんでした。

 

保安院という組織は「原発の安全」などにはまったく関心がありません。ただ「原発を動かすこと」だけが目的ですから、「本来、耐震指針は何を目的とするべきか」などという議論が入り込む余地はありません。

 

だから、水素爆発についても、「設計上は格納容器から水素が漏れないようになっている。国の安全審査でも、漏れてしまったらどうするかという設計上の手当てはされていない」(読売新聞201148日)などと、「想定外」であったとぬけぬけと言えるのです。

 

「水素がもれないようになっている」という言い方から、保安院が「工業的装置の危険」についてもっとも初歩的なこともしらないことがわかります。事故が避けられるかどうかは「設計時に大丈夫」とされていたことが、違う状況になることをどの程度「想像」できるかにかかっているからです。

 

私が原子力安全委員会の専門部会で議論した頃、原発でいろいろな事故が起こっていあましたが、報告はありませんでした。それは現場サイドの問題であり、基本的は安全問題ではないと認識されたのでしょう。役所というのはそうゆうところです。そこが原発のような巨大技術をマネジメントすることには無理があります。

 

多くの人が気づいていると思いますが、福島原発の事故が起こってからも、保安院の責任者である「保安院長」は国民に謝罪していません。これだけの事故を起こっても、最高責任者の保安院長の顔をほとんど誰もしらないということは、明らかに異常です。

 

私がこのことを再三、発言してきましたが、「まさか、国が原子力の安全をチェックしないなど、考えられない」ということで、私のほうが変人扱いになることが多くありました。

 

昨年4月18日に、東電社長が国会に呼ばれて釈明をしたとき「津波の高さの想定は甘かった」と陳謝しました。メディアは一斉に東京電力を批判しましたが、これもまた見当外れです。

 

東電社長が「甘かった」と言った津波の高さについてそれを審査した保安院は「東電や電力に関係していて、本当は津波の専門家でない人たち」を集めて委員会をつくり、形ばかりの検討しかしませんでした。

 

つまり最初から東電の申請を覆す意思はなく「国民の安全を守る役所」の機能はまったくはたしていなかったのです。

 

今後はまず基本に返り、原子力安全・保安院を潰し、原子力委員会と安全委員会を見直し、国民の安全を最重要に検討するシステムを構築し、原発については電力会社が直接的に責任を持つようにすることが必要です。

 

でも、本当に日本はこの巨大技術をマネジメントする力があるのでしょうか?

 

―――――――――――――――――― コメント ――――――――――――

 

どうか皆さん以上のことを参考にしてもらって、今後の原発の安全について考えてください。

 

エネルギーと原発のウソをすべて話そう 武田邦彦著 から一部参考にしました。

 

全体の目次です

http://blog.goo.ne.jp/yuki-enerugi/e/5ad6f917a9ed6d912b79e397cbf56527

 


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