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鉄道、登山、動物、植物、グルメ、歴史、名所、読書といった内容で、焦点の定まらない内容となってしまうかも😅

大蓮寺、遍照寺、旧中橋跡

2022-10-07 20:55:00 | 東海道
大蓮寺です。

階段を登ったところに山門です。

境内の柘榴は、家康の側室、お万の方手植えのものです。とても美しく手入れされてます😀

初夏の頃、柘榴の花が満開でした😀

大蓮寺の先に、遍照寺があります。
有形文化財の木造薬師如来坐像があるとのことですが、ちょっと入りにくく😅

遍照寺から東海道に戻る所に、旧中橋跡があります。かつて、今井川にかかっていたとの説明板があります。

そして今は、普通の交差点です😆


おしまい😀













帷子橋、香象院、天徳院

2022-10-06 20:15:00 | 東海道
松原商店街の終わりに帷子川に架かる帷子橋があります。

現在の帷子橋はこちら。

広重の浮世絵、保土ヶ谷宿に描かれています😁

当時の帷子橋は、この先の天王町駅前公園にあたりにありました。この公園に旧帷子橋が復元されてます。



橋を渡りますと、香象院、天徳院と続きます。

香象院は、横浜市のホームページによると、
開山の年代は不詳。保土ケ谷宿で最大の寺子屋があり、明治6年(1873)に保土ケ谷小学校の分校となった。保土ケ谷郷土史家・磯貝正氏の功績を称えた碑がある。真言宗。
とあります。



御釜が有ります。

お地蔵様

天徳院です。こちらも、横浜市のホームページによると、
開山は安土桃山時代(1573年)。本尊は運慶作といわれる地蔵菩薩坐像。土地の豪族、小野筑後守(ちくごのかみ)が帰依して建立した。曹洞宗。
とあります。
天徳院の山門😃

おしまい😀



















芝生追分、保土ヶ谷宿江戸方見附、橘樹神社

2022-10-05 22:00:00 | 東海道
街道を進んで行きますと、やがて芝生追分です。八王子への道が分岐しています。



分岐点です。向かって右手が八王子方面😁

左手は、静かな松原商店街に突入😆

商店街に、当時の保土ヶ谷宿見附の説明板です。ここから保土ヶ谷宿にはいります。

商店街の先に、橘樹神社。
当神社は、牛頭天王社として、文治二年(1186年 約八百三十年前)源頼朝公天下の平和を賀し国中の大小の神衹に奉幣し祭祀の典を行った時の創建と伝えられています。天王町の名前は、ここに因んでいます。


青面金剛像。

神社によくある力石シリーズ😶


おしまい😀











上台橋、勧業寺、浅間神社

2022-10-04 21:25:00 | 東海道
神奈川台町の浮世絵です。あの坂道で、客引きしてますね。さくらやの屋号も見えます😆



上台橋。この辺りが、京都側からの神奈川宿の入り口です。



橋からの眺めは、近代都市、横浜😁

上台橋を過ぎ、西口ランプ入口信号の交差点の奥に、勧業寺があります。なんと、ここは新選組近藤組長の天然理心流の開祖、近藤内蔵助長裕の墓があるということです。ちょっと入りにくい雰囲気だったので、外観だけ😅


坂道を下り、浅間下の交差点から旧東海道にはいります。右手は切り立った台地になっています。まもなく、浅間神社の鳥居⛩が現れ、急な階段を登り詰めると、本殿が現れます😐

浅間神社の創建は承歴四年(1080年)で、ここ芝生村の鎮守。山腹に横穴式古墳があり、富士山麓に通じているとの伝説があるとのこと。

街道に面した鳥居


本殿


おしまい😄







田中屋、神奈川台関門跡

2022-10-03 22:17:00 | 東海道
神奈川の坂道を登ります。この辺りは、神奈川湊を見下ろす景勝の地でした。神奈川宿が賑わった当時から続く唯一の料亭が、文久三年(1854年)創業の田中屋です。田中屋の前身、旅籠さくらやは、安藤広重の東海道五十三次にも描かれた由緒正しき店名です。坂本龍馬の妻おりょうさんも、明治7年に勝海舟の紹介で働いていたと伝えられています😲

田中屋

台町からの眺め😀


神奈川台関門跡です。

開港当時は、外国人の殺傷事件が多く発生したために、国内警備のための横浜周辺に関門を設置して、取り締まったと言うことです😑

おしまい😀