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鉄道、登山、動物、植物、グルメ、歴史、名所、読書といった内容で、焦点の定まらない内容となってしまうかも😅

赤関橋、赤レンガ建物、五太夫橋、宝蔵院

2022-10-12 22:20:00 | 東海道
歩道橋から先、狭い道を下っていきます。東海道の標札がいたる所で現れます😀



海道橋

赤関橋

提灯立場跡

赤レンガ建物。ここは、明治20年の国産初のハム工場🐷
ゴミ捨て場がちょっと気になる…


五太夫橋。五太夫とは、元小田原北条氏の家臣石巻五太夫のこと。家康の江戸城内府に際して、ここで出迎えたといいます。

五太夫橋を渡ると、宝蔵院です。


この先、戸塚宿江戸見附と入ります😁

おしまい😀














焼餅坂、品平橋、品濃の一里塚、福寿観音、品濃坂

2022-10-11 21:34:00 | 東海道
境木からは、下り坂となります。この坂道は焼餅坂といい、往時は切り通しの坂で名物の焼餅を商う茶屋が軒を連ねました。

焼餅坂😶

ここは、浮世絵にもなってます。富士山も大きく見えますねー😀

その先、品平橋を渡ります😁

少し山に切り立った、品濃の一里塚が見えてきます。江戸日本橋から数えて9番目の一里塚です。

塚はこのように見上げる高さになってます。

そして、品濃の一里塚は、街道の東側、西側ともに残っています😳

道標もありました。戸塚と保土ヶ谷の間です😑


さらに進むと、右手に福寿観音です。
比較的新しい祠のようです。
この観音様にお祈りして、後ろを振り返ると、そこには巨大なタワーマンションが😮そう、ここはほぼ、東戸塚なのです😙

ここは切り立った山の中だったんですね。
東海道に戻ります。

かつては、難所といわれた品濃坂上は、現在品濃坂歩道橋となっています😀
歩道橋なのに、東海道🤣

歩道橋を下りたところに、品濃坂の説明板が。

かつての品濃坂、現在は歩道橋…

おしまい😁
























境木立場茶屋若林家、境木地蔵尊、武相国境之木

2022-10-10 15:50:00 | 東海道
宿場と宿場の間に、馬子や人足の休憩のためなどに設けられたのが立場です。中でも、ここ、境木の立場は、権太坂、焼餅坂、品濃坂と難所が続く中、見晴らしの良い高台で、西に富士、東に江戸湾を望む景観が素晴らしく、旅人が必ず足を止める名所でした。また、茶屋で出す牡丹餅は、境木立場の名物として広く知られており、大変賑わったと言うことです😀

この辺りが、境木立場茶屋若林家のあった辺り😗


そしてここには、境木地蔵尊があります。
この地蔵には、次のような珍しい伝承があります。いつの頃か、相模国鎌倉腰越の海辺に漂着した地蔵が、土地の漁師の夢枕に立ち、俺は江戸の方へ行きたい。運んでくれたらこの海を守ろうと告げたので、漁師たちが、江戸へ運ぶ途中、この境木で動かなくなったため、村人たちは、地蔵を引き取り、お堂を立てて安置したところ、それからは、村が繁昌したということです😆

地蔵堂の入り口😶


地蔵堂かな?

ここにもお地蔵様。マスクされてます🤣


そして、武相国境之木。境木の由来になりました。
戸塚まで一里九丁。


国境之木


広重が描いた、保土ヶ谷、境木立場です。

おしまい😀













樹源寺、元町橋、権太坂、投込塚跡

2022-10-09 18:54:00 | 東海道
東海道を保土ヶ谷宿を抜けて進みますと、右手の土手の上に見えてくるのが樹源寺です。


さらに、元町ガードの信号がある交差点を左折し、今井川に架かる元町橋を渡り、標識を右に折れて進みます。
ここから、急坂を登ります。この坂道を権太坂と言います。変わった名前の坂道ですが、説明板が側にあります🤣

坂道を登りきったところにある境木中学校前バス停を、ちょっと左に折れた坂道を下ると投入塚之跡があります。ここは、権太坂で行き倒れになった旅人や馬を投げ込んだ塚の跡地です😥
三界萬霊馬頭観音、青面金剛像があります。

おしまい😀








保土ヶ谷宿、助郷会所、問屋場、高札場、本陣、上方見附

2022-10-08 21:57:00 | 東海道
保土ヶ谷宿を進みます。問屋場、本陣などの跡地の標札がありますが、今は道路になっていたり、建物も違うものになっています。

助郷会所跡

問屋場跡

高札場跡

金沢横丁。金沢、浦賀への追分です。道標が四柱残っています😀


本陣跡


大金子屋脇本陣跡

水屋脇本陣跡

藤屋脇本陣跡

旅籠、本金子屋伝左衛門跡

茶屋本陣九左衛門跡

保土ヶ谷の一里塚。江戸日本橋から八里目。
京都方からの見附でもあります。


おしまい😀