「徳」ってお得!?

~何人かの霊能者の先生に「あなたは徳が高いですね」と言われ「徳」について考えてみました。
感じるまま発信してみます!~

第20話 「いじめについて」(相談者様へのメールより)

2011-02-28 17:19:20 | 日記
ブログを休み個人的なご相談に対応しています

以下のコメントは50才代の女性からの「職場でのイジメに対する精神的対応」についての回答です
携帯電話のメールによるやりとりですのでお互いに細かいニュアンスが伝わらなくなっているかも知れません
また、ご相談者を励ます目的でコメント内ではイジメる側の人に極悪人になってもらいました
自分で読み返してもちょっとくどいように思いますが基本的に原文のまま転載します(一部修正しました)

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「いじめについての回答」

人間は最小限生きてきくための能力を与えられています
本能と呼ばれる機能です
これは生まれ落ちた時から感覚的な知識として持ちえたもので、誰かが教えなくてもちゃんと身についています

例えば、怒り、食欲、物欲、性欲・・・等々
どれ一つとっても野生時代を生き延び、繁栄するために欠かせないものです
赤ちゃんがおっぱいを飲むときの舌の使い方なども本当によくできた「本能」なのだそうです

そんなすばらしい本能ですが、それに依存している間は現代人と言えども原始的、あるいは動物的と言わざるを得ません
・害獣から身を守るための「怒り」
・自らの命を存続するための「食欲」
・自らの生活を安定させるための「物欲」
・子孫繁栄のための「性欲」

他にもまだまだあります。 数え上げたらきりがありません
これら一つの本能が欠如しても原始の人間が現在に子孫を残すことは非常に難しかったであろうと思うのです

ご相談の「イジメ」についても実は自分が相手より優位であろうとする「本能」なのです
人間は本能的に競争心を持っています
身近な人を相手(ライバル)に、頑張るエネルギーが沸き起こる素晴らしい「本能」が競争心なのです

例えば・・・
スポーツにしても競争する相手がいないと単なる数値の更新でしかありません
多くの場合、数値を更新するために支払う努力、時間は無意味に思えるかも知れません
せっかく努力できる素材(素質)があっても多くの場合努力することを惜しむでしょう
しかしながら競争する相手が存在すると記録の更新自体に意味を持ち、もはや無駄ではなくなるでしょう

誰かが記録を破ると、その記録をも更新する人が現れます
こうして絶えず人間は肉体的、精神的に向上を目指します

ところが頑張る気力がなくなってしまった者が、それでも相手には負けたくないと、今度は相手を貶(おとしめ)ることによって相対的に自分が優位であろうとする行動を起こすことがあります
これが「イジメ」のシステムです

こうなると素晴らしい本能であるはずの競争心が、自分を、努力もできないくせに他人を妬(ねた)むダメダメ人間に貶(おとしめ)る「逆本能」になってしまいます
「イジメ」・・・すなわち相手が苦しめたり悲しませたりすることを自分の喜びとすることは人間の弱さの象徴なのです
「イジメ」だけでなく昨今よく言われる「誰でもよかった」、「もやもやした」、「憂さ晴らしをしたかった」、「差別」等々はすべて「逆本能」の仕業です
いつまでも本能から抜け出せずに翻弄されていると、それは「逆本能」となって自分を貶める結果になるのです
(堕ちても心や魂は目に見えないので気づかないのです)

まさに動物的と言うか野生的と言うか・・はたまた原始人に向かってまっしぐら・・・と言うべきか
人間の究極的な目標は神仏と呼ばれる聖霊に近づくことですから、イジメの心は目標からは正反対に進んでいると言えましょう

この事に気づきさえすればイジメがいかに卑劣で低俗で恥ずかしい事であるかは理解できるはずなのですが・・・残念ながら今の人間社会ではまだまだ気づいていない人が多いようです

前述の4つの「本能」にとらわれる(依存、もしくは執着する)とどうなるでしょうか?

・年中怒ってばかりいる → 人との交流が少なくなり物事の本質を見極められなくなる
・食欲にまかせて食べてばかりいる → 病気がちになり、場合によって短命になる傾向あり
・物欲にまかせてもの(お金を含む)を手に入れることに終始する → 心や魂よりも物を優先するあまり物事の本質を見極められなくなる
・性欲にまかせて行動する → いわずもがな

結局はすべて人間としての精神的な成長を遅らせ、同時にストレスの源となり新たな逆本能を生む「悪循環」に陥る危険性を感じます
貴女はこのことを理解した上で、イジメは魂が成長していない人間のやることであり、イジメる側はイジメられる側よりもよほど(魂の)格が下なのだと覚えておいて下さい

その事が理解できれば少々の嫌がらせには耐える事ができるでしょうし、耐える必要もなくなります
その様は幼稚園児があらん限りの知恵を絞って聖人に悪態をつく事のように思えるからです

どんな悪態をつこうが、所詮幼稚園児は幼稚園児
イジメのしくみが分かり、精神的な理屈の分かった今の貴女に対して精神的幼稚園児(である貴女の同僚)が精神的霊的に貴女にかなうはずはないのです

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※ご相談者の女性には昨年より継続してお話しをさせて頂いていますので精神的な理屈はある程度ご理解頂いています

唯浄